人間が“慣れる”怖さ「関心領域」
映画「関心領域」を見てきた。
私は戦争映画が好きだ。
戦争という極限状態が、人が一番不可解で恐ろしいというのを感じられる場面のひとつだから、題材として惹かれるんだと思う。
でも「戦争映画が好き」なんて言うと、思想とか情操のやばい女だと思われかねないので、好きな戦争ジャンルの作品やこだわりもあるが、あまりこの辺の話は他人にしたことがない。
需要があればまた書こうかな。
ともあれ、「関心領域」は、当時の感性や常識のもと再現された歴史をみて、現代を生きる私たちはどう感じるのかを問われる、そんな映画だったと思う。
開始いきなり画面が真っ暗!謎の音だけの数分間
最初タイトルが画面に表示された後、すぐ画面は真っ暗になり、謎の不協和音が響く。
しかもこれが長い!
最初私はこれがなんの演出なのか気づくことができなかった。
後でレビューなどをみていると、意味不明とかつまらないと言う人が結構いたが、ひとりだけ「ユダヤ人たちがわけも分からず真っ暗なガス室に閉じ込められた時の状態を表現している」と言っている人がいて、なるほどと思った。
こうやってわけも分からないうちに亡くなる方がたくさんいたんだと思う。
意外としっかり聞こえる「隣からの」音
この映画はアカデミー音響賞を受賞している。
収容所の隣にセットを組み、実際にどのくらい、どんな音が聞こえてくるのかが綿密に計算されたと聞いていたので、私は最初からかなり耳をそばだてて聞いていた。
遠くから微かに聞こえてくるのだと思っていたら、看守の怒号や叫び声、銃声やなにかの機械音がかなりはっきり聞こえてくる。
これはかなりの違和感があり、子供たちは悪影響を受けていそうな描写があるが、母親だけは完全に無反応で、夫の転勤が決まっても、収容所の隣の家に居座ろうとする。
またユダヤ人から奪ったものを山分けするような描写も、さも当たり前かのように出てくる。
ホロコーストに関して「直接的に彼らを虐げたわけではないにしろ、彼らがいなくなった後の屋敷や家財を自分のものとして潤っていたから、帰ってこないほうが好都合だった」と聞いたことがあるのを思い出した。
もし最初は罪悪感があったとしても、分かっていてやっているなら、そして、やったほうが自分にとって有利だとしたら……。
あとは慣れていくしか道はないのではないだろうか?
「洗う」「掃除する」という行為
川遊び中に収容所からの遺灰が川に流れてくるなど、家族がユダヤ人に身体的に触れる時、彼らは異常にその部分を洗う。
さらに終盤では、彼らの時代と、収容所跡の展示スペースを丹念に掃除している現代の風景がリンクし、それを見たヘスは嘔吐する。
見ない、感じないために掃除しようとする時代と、見て、感じるために掃除する時代。
今も当時も人の感覚は同じなのに、見ない、感じないことで「普通の暮らし」が営まれてしまう不思議を感じる。
ごく普通に結婚して子育てして夫を単身赴任に送り出すような、今だってその辺にいくらでもありそうな「普通の家族」が、ホロコーストに加担している。
昔の話ではなく、今でもその可能性はどこにでもあると思った。
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