note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第35話
「なるほど。これでお客さんを誘導するのですか」
バシャリはしきりに感心すると、閃いたように目を輝かせた。
「そうだ。私、喫茶店なる社交場に一度も行ったことがありません。幸子、今からここに行きましょう」
「今から?」
「はい。今日は、健吉はマルおばさんの家に泊まりますから時間はありますよ」
月に一度、マルおばさんの家に近所の子供たちが一緒に泊まる日だ。
「健吉はお泊まり会を満喫していますよ。だから喫茶店に行きましょう。ほらっ、私の稼いだお金があるじゃないですか」
バシャリがせがむように言った。
たまにはいいか。わたしは肩の力をぬいて言った。
「しかたないわね。付き合ってあげるわ」
「やりました」と、バシャリは飛び上がった。
目当ての喫茶店は、大井町の駅前の大通りに面したレンガ造りの店で、扉の両隣に観葉植物が置かれていた。
扉を開けると、店員が出迎えてくれた。天井に大きなシャンデリアがぶら下がり、コの字型のカウンターとテーブル席が見えた。
わたしたちは角の席に案内された。
席に腰を下ろすと、店員が隣の席にカレーを置いた。
背広姿の男性が、冷水の入ったコップからスプーンを引きぬくと、勢いよく食べはじめた。余程お腹が空いていたらしい。
メニューをひとしきり眺めたあと、わたしたちはコーヒーを注文した。
ふと、向かいのカウンター席に座る若い男女が目に留まる。
男性は、マリンボーダーのシャツに、色の濃いサングラス。横とうしろを刈り上げ、前髪をたらした髪形だ。
今、流行の慎太郎刈りだった。芥山賞を受賞し一躍時の人になった石橋慎太郎の髪形で、近頃それをまねる人たちが増えて、月光族なんて呼ばれている。
一方女性は、ノースリーブのブラウスに花柄のスカートという、とても華やかな装いだった。
わたしと同じ歳ぐらいだろうか? 最先端の服装に身を包んだ二人が、何だかまぶしかった。
ふと女性が、こちらを向いた。品定めをするような視線がつきささる。
バシャリの顔をちらりと見てわずかに目を見張ると、そのまま視線をわたしの買いものかごに移動させる。
彼女は鼻で軽くわらうと満足したのか、元の姿勢に戻った。あまりの恥ずかしさに顔が熱くなった。
色あせた紺色のスカートに目をやる。買いものかごに、地味な洋服……流行とはほど遠い自分の格好が、みじめだった。
気にしちゃダメよ、とから元気を出して前を向くと、目の前の光景に絶句した。
二人はお互いの手を握り合い、頬がひっつくほどの距離でしゃべり合っていた。
なんて、はしたないのかしら。いくら素敵な洋服でも品がなければ台無しだ。あまりに大胆な二人のふるまいに、わたしは眉をひそめた。
そのときだった。バシャリがおもむろに立ち上がり、二人に歩み寄った。
「なぜ、手をつないでいるのですか?」
見知らぬ人間からの問いかけに、二人はうろたえた。
天井に頭がつくほど背が高い上にとびきりの美形ーーなのに腹まき姿なのだ。そんな異様な格好の男が自分たちを見下ろしている。
仰天するのも当然だった。しかし恋人の手前、弱気な姿は見せられない。
そう判断したのか、男はすぐさま態勢を立てなおし、ぐいっとにらみをきかせた。
「いいだろ別に、恋人同士なんだからよ」
台詞は威勢が良かったが、腰がひけている。
「恋人? 恋人はお互いの手をつなぐのですか?」
とまどいが極まったのか、二人はまばたきひとつしない。その様子を見て、ようやくわたしは席を立つと、
「すみません。この人、変なんです」
と何度も頭を下げた。二人は気味が悪そうにさっと席から立つと、会計もそこそこに店から出て行ってしまった。
「あっ、もっと聞きたかったのですが」
バシャリは、なごりおしそうに扉に目をやる。
「むやみやたらに知らない人に話しかけないで。迷惑するのはこっちなんだから」
わたしが小声で注意すると、
「地球では見知らぬ人間とは交流できないのですか? 変わった規則ですねえ」と、バシャリは理解に苦しむような表情を浮かべた。
もうっ、この人と一緒にいると恥をかいてばかりだわ、とわたしはコップの水を一気に飲みほした。
さきほどの騒ぎのせいか、店員がちらちらとこちらの様子をうかがっている。ぐいっとコーヒーを飲み終えたわたしは「出ましょう」と席を立った。
お会計をしていると、バシャリが開いた扉を指さした。
「あれっ、周一じゃないですか?」
その方向を目で追った。見覚えのある帽子が見える。たしかにお父さんだった。だがその瞬間、さっと血の気が引いた。
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