ぼくとぼくの心が居る場所
毎朝、出勤前にソファに座って10分ほど瞑想する。
ぼくの家は山の中にあるからいつもは静かだ。
でも時々家の外から音が聞こえる。
自動車のエンジン、ご近所さんのゴミ出し、ドアの開く音・・・。
ぼくは目を閉じている。
その音たちを聞いて、無意識に頭の中で状況を思い浮かべる。
なぜだろうか。
思い浮かぶ映像は、子供の頃に住んでいた家の周りの風景。
今もそこに住んでいるかのように。
公園の祠、八重桜の木、向かいの家の白い塀、ボロボロのアスファルトにマンホール・・・。
"そこは違うよ"
何度そう言っても、ぼくの心はその映像を消そうとしたい。
"えっ、ここじゃないのかい?"
そう言っているようだ。
ぼくの心は完全に居場所を勘違いしている。
それどころか、今住んでいる家の周りの風景を思い浮かべようとしても、思い出せない。
今、その場所にいて、しかも毎日見ているのに。
こんなことが毎朝のように起こっている。
瞑想しているうちに、ぼくの心だけがタイムスリップしているようだ。
ほんの10分。
ぼくの心は毎朝あの頃あの場所に何を見に行っているのだろうか。
自分だけ懐かしさに浸っているのだろうか。
ぼく自身も連れて行け、と言いたいところだが、その必要はない。
今いるこの場所がぼくの居場所だから。
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小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。