人といてやわらいだ世界
「このハイライト、あの人のブルベの肌に似合うよな。」
「これ、あの人の好きな青、だろうか。ちょっと緑っぽいかな?」
私の頭がつぶやくとき、いつの間にか他の誰かがそこ加わっていることに最近気づいた。
ひとりでいるのに、私の世界にはひっそりとした温かさが存在している。
それは変化と呼ぶには些細なことで、あまりに曖昧かもしれないが。
ずっと他人を思考回路に入れることが怖かった。
思い描く他人は、いつだって強くて、攻撃的で、異物を見るように遠くから顔をしかめている。
人との関わりの中でずっしりと沈み込んだ心の重さも、ひとりで傷ついて内側で流し続けた涙も、記憶が薄れても忘れることはないだろう。
だがいつからなのか。
ものを考えるとき当たり前のように誰かがいて、ほんの少し気持ちが跳ねるように感じる。少しずつでも関わった人達の存在感が私の中に残り、何でもないときにふわりと重なり合う。
誰かの目を通してモノを見るとき、モノを透かして誰かの存在を感じるとき、その人たちはやさしい。心地いいのだ。
悩んで悩んで買ったADDICTIONの2つのハイライトは、取り出すたび、知人に勧めたい衝動で心が弾む。筆を滑らせれば、あの人の頬骨の上ではどんな風に輝くだろうと、想像することが私を嬉しく満たす。ほんの5センチほどのキラキラした粉のかたまりから見えてくる景色が、今の世界を少し輝かせてくれる。
ピーコックブルーのニットに身を滑り込ませ、すべり出た白い肌と編み込まれた青を見てふと時間がとまる。あの人の選ぶ「青」はどんな青なのか、私の好む「青」とは同じ名前でも、取り込まれる色素も光も違うのだろうな。絞られた袖を眺め、頭の中に浮かぶ違う色で染めあげてみる。一枚の服を着ることが柔く広がる時をつくる。
別に世の中が住みやすくなったわけじゃない。時々虚しく感じる、何も変わらない、という感覚は現実だ。怖いものも、傷つくことも、醜い感情も、いつだって存在し続けている。
だがそれだけじゃない。そうじゃない温かさや、安らぎや、ぱっと火花が弾けるような面白さ、嬉しさが、ちゃんといてくれる。
忘れてはいけないこと。
思い出そうとして、探しだして、世界に触れる私の感覚はやわらいだ。
固く縮まって強くならなくても、やわらかく伸びる、よく捏ねたパン生地みたいに自分を作っていければ、それもまた強くなったと言えるのだろう。
多分今、少し心が弱っているから、騒音を消し去ってまた縮まろうとする私を感じる。
手放したくない、やわらいだ世界。
ある日のつぶやきをここに残しておこう。