自分を休ませることは、勇気を持つこと
無理をするな、とはよく言えたものだ。
全部投げ出そうってのも、私にとっちゃあ大仕事なんだぞ。
肩の荷になっているものを降ろすのに、およそ1時間ぐらいはかかるもの。
人間の周りを囲んでいるいろんな要素・・・仕事、友情、恋愛、体調、お金、美容、などなど・・・「今悩んでいることがある」のチェック欄が各項目にあるのなら、「全てを選択する」のチェックボックスのクリック1回で回答できるだろう。
笑えるぐらい、今の私は切羽詰まっている。
こんなに特定の期間にいろんな負担が集中して、それを全部解決するのにはクレイジーパワーが必要だけれど、そんな時に何かひとつでも投げ出すのは”逃げ”だと思ってしまうぐらい私の脳はどうかしている。
頑張って偉いね
この言葉は、一見いい言葉に見えて実は残酷な言葉だと思う。
だって、自己肯定感の低い人を沼らせてしまう言葉なんだもの。
自分を破壊するまでこの言葉が欲しくてたまらなくて、無理してでも他人にアピールできるぐらい頑張っちゃう。
「自分に負けずに頑張っていて、偉い」。
自分をどこかで否定しておきながらキラキラ輝いているこの言葉が、私は嫌いだ。でも、嫌いになりきれない。
この言葉は、いつも私の次なる”無理アクティビティ”を生み出す源泉となってしまうのである。
明日頑張れなかったらどうしようってなるじゃん
休みたい時も、無理してでも頑張ってしまう理由のひとつには、明日の自分が信じられないという心の闇があると考えている。
それはきっと、悪いことではない。
でも同時に、明日の自分を信じることに勇気が必要なんだとも気づく。
ということは、
休むこと=自分を信じる勇気を持つこと=(自分にとっては)頑張ること
なんじゃなかろうか。
疲れはたまって、焦りに焦って、リラックスする余裕もない。それは、散々わかってる。でも、私は自分を信じてみたい。自分を大切にしたい。今と向き合っていたい。それは、頑張ってるかどうかに関わらず、自分の軸にしていたいこと。
だから休もう。最近、noteに「休もう」と書く頻度が増えたということは、休むタイミングなのだとも思うし。
今日は資格の問題を1問解いて、明日の仕事に備えて寝ようと思うので、これを読んでいる方もよかったら一緒に休みましょう。
今日も一日、ほんとうにほんとうにお疲れ様でした。