ベイビー社会人の私、”できない自分”とお友達になる。
社会人になってから、私は学生時代に比べて「できないんだな」「向いていないんだな」と思うことに遭遇する頻度が格段に増えたと感じる。
おはよう。できない。
こんにちは。しんどい。
さようなら。またやらかした。
おやすみなさい。明日どうすんべか…
といった調子である。これがほぼ毎日。
自分の不注意で誰かに迷惑をかけたり、呆れられてしまったり、凹んだり。
24h大忙しだね。自分、大変ご苦労様ですという気持ち。
「できない!」と体感している自分ごと、他人は体感することはできないのだから。
いろんな人に言われてきたけれど、気にせざるを得ないよねっていうのが現実。
たとえば私は、いっさい怪我をせずに料理(ある意味で戦闘)をすることができないし、どんなに単純な依頼を受けたとしてもメモをせずにはいられないぐらい記憶力が悪いし、何より集中力が欠如している。
ADHDの検査をしたいけど本当にそう診断されそうで怖い、そのぐらい他人にできて私にはできないことがたっくさんある。1人だけいつも遅れてる。
そのたびに凹んでしまうことも、死ぬほど増えた。
そこで「…もう辛いよね、やってらんないよね」って愚痴をこぼした時に、いちばん「いやそれな??めっちゃくちゃ分かるよ!」って共感してくれる友達は、やっぱり自分なんだと最近思う。
バックグラウンド
上手く生きられず苦しんでいたり、誰かを怒らせてしまったり、不器用なことをたくさんしてしまっている人を見る時。
私は「その人の裏にどんなバックグラウンド(背景)があるのだろうか」ということを考える。思えば中学高校時代ぐらいから、ずっとそうだった。
病気とか誰にも言えないような事柄であったり、他人が「もっと早く言ってくれれば考慮したのに」と言いたくなることであっても自分を守るために秘密にしている事情であったり、無意識に抱えている辛いことであったり。
「できないこと」の裏にあるバックグラウンドは十人十色だけれども、100%くまなく知ることはできない。唯一理解できるのは、”できない自分”当本人のみ。
だから社会人になって「できないこと」が多すぎて、”できない自分”しか仲間がいなくて、結果友達になることを選んだ。
辛い時は、いつも自分を呼び出してはすぐ愚痴るようにしている。笑
もちろん周りの友達をたくさん頼ったりすることも全然増えたけれども、やっぱり一番の理解者である自分の存在は大きい。
だから。
いつもありがとう。
明日もこれからもずっと、どうかよろしくね。