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「ライフスタイル」に出てきただけの人を区別する。学校の友達やママ友にこだわらない【ジブンのこと】

先日、コーチ仲間と横浜のホテルのカフェラウンジでアフタヌーンティーを頂いてきました。


私の所属しているコーチングスクールは講座が終わってもいつまでも所属していてもよくて(しかも無料!)、その中で今までの卒業生や受講生の方が色々なイベントを立てられていて、所属している人ならそういったイベントなどに誰でも参加できます。

オンラインが多いですが、行動制限もなくなった最近はリアル(対面)のイベントも増えてきました。


今回はそんなイベントの一つで、自分を癒しにアフタヌーンティーを食べましょう✨という企画。

リアルで対面するのが初めてだったり、ほとんど話したことがない方とご一緒でもずっと話は尽きず、決められた時間では足りなくて別のところに移動してお茶までしてきました。


私はもともと友達が多いほうではないですし、今はお互い予定が合わなかったりなかなか友達とは会えていないです。
そんな中でこうしてオンラインやリアルで会ってもらえる方がいるのはありがたいです。

今そうやって会っている仲間は、私が普段仕事したり子育てしたりしている中では絶対に出会えないような人たちです。


トマス・レナードさんの「selfish」という本の中に、

“「人生」を豊かにしてくれる人と「ライフスタイル」の中で登場しただけの人を区別する”

っていう一節があるのですが、この言葉が私の中にすごく残っているんです。

充実した「人生」は魅力の源になるが、「ライフスタイル」は見栄の表れであることが多い。(中略)
「人生」とは自分自身がベースであるもの、「ライフスタイル」とは外からどう見えるかがベースである。

selfish ステップ9より

私なりの解釈ですが、
「人生」とは本当に自分自身が生きたい生き方。「ライフスタイル」とは見栄や他人のものさしで作られた「こういう生き方がきっといいに違いない」というもの、かなあ、と。

「ライフスタイル」とは演劇のような要素がある。映画に出てくる役者のように、いろんな人が次々に登場しては去っていく。あなたの「ライフスタイル」の中に入り込んできて、与えられた役割の分だけ筋書きを前に進め、そしてまた出ていくのだ。
「ライフスタイル」に強くとらわれている人にとっては自分以外はエキストラであって、自分の映画に端役として登場するものにすぎない。自分にとって、どの人間関係を大切にすべきで、どの人間関係は付属物でしかないのか、きちんと区別することが必要だ。

selfishステップ9 6項より

つまり、
“「人生」を豊かにしてくれる人と「ライフスタイル」の中で登場しただけの人を区別する”
というのは、

自分の生きたい人生を豊かにしてくれる人とだけ付き合えばいい。
学校のクラスメイトや仕事仲間、ママ友のような、それぞれの時代で出会っただけの人にとらわれない。

ということかな、と私は解釈しています。

(もちろん、学生時代の友達や仕事仲間、ママ友なんかどうでもいい、ってことではないです。)


学生時代の友達や仕事仲間やママ友と呼べる人が今いなくても気にしない。自分の人生を豊かにしてくれる人はきっとどこかにいる、

ということかな、と。


特に子どもや学生にとっては学校の世界が全てになりがちですが、もっと広い世界があるよ!と言いたいです。


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