くるされる、の意味を知っていますか?
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』 上間陽子 読了レビューです。
文字数:約1,700文字 ネタバレ:一部あり
・あらすじ
著者は沖縄で生まれ育ち、東京で教員となって戻ってきた。
年間を通して温かい気候、青空を溶かしたような海が沖縄のイメージだ。
けれどもそこに暮らす人々について、内地の人間は何を知っているのだろうか。
・レビュー
本書の「まえがき」に書かれた次の文章が、本書がどういったものであるかを体現しています。
それなりのページ数があると思いきや、大部分はインタビューをした相手とのやり取りに割かれており、意外にも読みやすい構成です。
ただ、むしろそうした作りでなければ、読み終えるのが難しい論文のような1冊になっていたでしょう。
ちなみに「内地」とは沖縄から見た日本で、「くるされる」は酷く殴られることだそうな。
私自身は沖縄との繋がりが何もなく、九州や関西とも縁がない関東および東北がルーツの人間です。
それでも沖縄の光と影については見聞きしており、出身の人と接したこともあります。
面積比などを考えれば比べるべくもないですが、神奈川にも米軍基地として横須賀や厚木があり、横浜にはノース・ドックなどが存在します。
三浦半島へ向かう途中にある横須賀では、幹線道路のすぐ脇に基地のゲートがあり、それらを見慣れない人間にとっては異物以外の何物でもありません。
歴史をひもとけば沖縄の歴史を知ることが可能でも、日本ではなかった日本という感覚を、内地の人間が想像するのは難しいです。
◇
本書に登場する女性たち、といっても10代中頃から後半の少女と呼ぶのが適切に思える彼女たちは、夫のいないシングルマザーが多くを占めます。
離婚の原因は夫の暴力あるいは金銭の搾取で、多くの人は読んでいて気分が悪くなることでしょう。
こいつら、まとめてくるしたろか!
などと憤りつつ、決して余裕があるわけでもない経済状況であっても、彼女たちがキャバクラで働くなどして子供を育てようとするのは、いったい何故なのかと疑問に思ってしまいます。
そういうものだから、と分かったふうの理屈はウンザリなので、自分なりの勝手な推測を書くなら、自らの生き直しでもあるのかなと。
大切にされなかった過去の自分を救いたいと、淡い希望を子供に託しているのではないでしょうか。
本書には子供に脳性麻痺があっても、定時制の高校を経て専門学校に入り、やがて看護師になった女性が登場します。
それを苦境に挫けず夢を掴んだ美談と捉える方とは、たぶん仲良くできそうにありません。
両親に愛されて育ったのであれば、彼女が同じ人生を歩むことはなかったでしょうし、七ヵ月での早産にはならず、おそらく脳性麻痺もなかったことでしょう。
それでも彼女は次のように話したそうです。
めっちゃええ子やん!
あやうく美談だと思いかけてしまいそうですが、もちろん順風満帆な女性たちばかりではなく、連絡がつかなくなってしまった場合もあるようです。
◇
いつか沖縄に行ってみたいと検討しつつ、今になっても実現していません。
夏にあった感染症の大流行もさることながら、飛行機の予約をしなければいけないので、どうにも訪れるのが難しく。
そうこうしているうちに火災で首里城は燃え落ち、老朽化により牧志公設市場が閉鎖になりました。
行かないうちに変わってしまうものがあるのは仕方ないにせよ、まるで「ないもの」として扱いたくはないと思っています。
男の側を描いた本としては、著者と共にインタビューもしている打越正行『ヤンキーと地元』をどうぞ。
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