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AVO.HANDMADEの始まり


今回は、今年でオープンして3年目になるハンドメイドセレクトショップ「AVO.HANDMADE」の立ち上げのお話をします。

2021年の冬頃に少しずつコロナが明け、ようやくイベントや商業施設が賑わいを取り戻した。

11月に初開催したイベント「オータムマルシェ」。
※詳しくは前回の投稿にまとめてます。


10日間に渡る大型イベント「オータムマルシェ」が終了し、作家さんたちやお客様に会えない寂しさからイベントロスになり、“またイベントを開催したいなぁ“と。

第2回のイベントを叶えるために施設の方に企画書を提示。前回のイベントが好評だったこともあり、施設側も次回の開催を快く引き受けて下さった。

ただ、私が懸念していたことが二つ。

1.コロナ禍によるイベントの延期または中止
2.会社員ということによる自身のリソースの確保

まだコロナの状況が完全に治っていないことから、イベントが中止になった場合作家様の作品の販売先、イベント開催を心待ちにしているお客様への想いはどうなるのかと・・

そして、私がまだ会社員だったこともありリソースがなく人を雇うほどの資金力もないことからコロナ禍でのイベント開催は非常にハイリスクだった。


そこで・・

“お店を構えればイベントが中止されても委託という形で店舗で取り扱えばいい!お客様もそちらを案内すれば、イベント以外でも作品を気軽に手に取ることができる!”

と考えてまずはリソースを空けるために、会社に離職を伝えることを決意。

自分自身の中で新卒採用で最低で5年頑張るという目標もクリアした。
観光という分野はすごく好きでまた違う形で携わりたい思いがあり、
知見を増やす、視野を広げる、経験を積む、自分の得意な分野を活かせるチャンスかもしれないと捉え、前向きな意味のステップアップを決めた。

もし、イベント業が上手くいかなくても転職すればいい!(それは、胸を張って5年間社会人経験をした!と言えるほど頑張った経験があったからだと思う)

周りからは、

「ハンドメイドで食べていけないでしょ?」
「5年も勤めたのにもったいない!」
「イベントなんて儲からないでしょ」

沢山の意見があったが、自分の直感力と行動力を信じたかった。
これまで誰かに轢かれたレールを上を走っている、相手の顔色を伺いながら人に合わせて生きる人生だった。

ここで何かが変わる気がした。変われない自分を「今しかないぞ!」と環境を変えるきっかけを誰かに大きなハンマーで叩かれるような衝撃があったことを覚えている。

会社を退職という形ですぐに行動に移すことに。

退職理由はと聞かれ・・

「地域や商業施設でハンドメイドのイベントを開催しました。コロナを通して、オンライン化が進む中で、オフラインの繋がりを必ず求めている人がいる。それは、私自身も物作りを通して経験し、自分が心を込めて作った作品を直接自分の手でお客様に届ける。作り手の顔が見えるそんなイベントに私は魅力を感じました。まだまだ沖縄には、ハンドメイドを知らない人たちも多く、既製品と引けを取らないほど技術や作品のクオリティが高い作品も沢山ある。それを手に取りたい人だって必ずいる、認知されていない作家さんやその作品にスポットライトを当ててあげる、作り手と使い手が繋がる場所を提供してあげる。作り手が表現するクリエイティビティがビジネスとして企業と繋がるそこまで目指したい。」


上司に相談するとまさかの一言。

「お店出すか?」

「!?」

驚きの発言に言葉が出なかったのを覚えている。資金も実績も顧客も全て0→1からスタートの私にとって、資金が確保できたことが嬉しかった。

すぐに物件探しに取り掛かるが、小さなマルシェができるような庭の広い物件はなかなか見つからなかった。

そこで、パルコシティのイベント担当の方にアポを取り施設内で空いているテナントを提示してもらった。条件表を見てみたことのない賃料(当時の給与3ヶ月分?)や数百万円の初期費用に目を疑った。さすが、大手企業。

何度も交渉を重ねなんとかペイできる金額まで商談を繰り返す。1ヶ月前まで社会人で、PCの前でWEB商品を企画していたため商談や営業については全く無知。営業トークや雑談力もなく今となっては、あんなガキンチョな自分を相手していただきありがとうございます!と思えるほど心から感謝している。

もちろんその頃はスタッフもおらず、誰に相談すべきかわからず毎日頭を抱えた。コンセプト、店舗名、ロゴ、ディスプレイ、VMD全てが手探りで眠れない日を過ごす。

とにかくイメージを膨らませるために色んなセレクトショップや商業施設に足を運び、ネットで情報を集めお店のコンセプトを明確にしていった。

当時のスマホはこんな感じ・・


店内を視察し、使用可能な什器を残してもらいなるべく初期費用を抑える。前の店舗がアパレルだったので残せる什器が少なくほぼ毎日什器探しの旅へ。

店舗視察

1番最初のイメージ。↓
天井が高く、開放的だったが殺風景に見えることでとにかくドライフラワーで埋め尽くしたかった。木の櫓を取り付ける予定だったが、予算と耐久性でNGとなった図。

イベントのビジュアルでいつもお世話になっている土屋さんにビジュアルをお願いしなんとか納期ギリギリでロゴ、ビジュアルが完成。

ビジュアルイメージ

沖縄の作り手にフォーカスしたい思いから海の景色は外せなかった。たった19坪の小さなお店から壮大な海のような物語が始まるそんな気がした。

店名は「AVO.HANDMADE」

正直なんの意味もない。ここから意味を創り出せばいいんだ、そんな思いで大好きな食べ物アボカドのアボをとって「AVO」。子供から大人まで誰もが覚えやすい1度訪れたら忘れられないお店を目指して。

メインテーブルの色味が店内と合わなくて大急ぎで塗装。この段階でおそらくオープンの1週間前。

ディスプレイ什器の塗装
店内装飾
大迫力の装飾
ドライフラワーの壁
mona candleさんが作ってくれたノベルティ


オープン前日までバタバタと沢山の作家さんやスタッフの協力もあり、、
ついにオープンの時。


オープンと同時にお祝いのお花や沢山の作家様やお客様が足を運んでくれた。

オープン当初の店内
沢山のメッセージや差し入れありがとう!

毎日沢山の差し入れや温かい応援のメッセージのおかげで励まされた。

数ヶ月前までは自分がまさかお店を構える、しかも商業施設に店舗を構えるなんて夢にも思っていなかった。

チャンスはいつ訪れるかわからない。だからこそ、常にどんな状況であろうと“自分ならできる”と信じチャレンジする。

これが正解か不正解か、幸せか不幸せ、成功か失敗は誰かが決めることじゃない。
自分自身が正解、幸せ、成功と思える行動や選択をし続ける。

誰かに反対されても自分で選択したことならば、自分でうまくいくように努力すればいい。

ここからが怒涛の毎日のスタートだ。

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