夜に歩く、ただそれだけのおはなし
靴を履くとつま先がむぎゅっと潰されて、すこし窮屈そうにしておりました。一歩進むごとに輪っかの大きさが違う蝶々結びが揺れています。
地面を踏んで、踵から離して、また地面を踏む動作をするだけでペタペタと音がするのは、アスファルトがまだらに色づいているせいでしょうか。
黒光りする地面には靴の底が写っておりました。ほんのりと鼻につくカビ臭い香りは雨上がり独特の夜を感じられます。カビ臭さが鼻を通る手前、歩く度に凍ってしまいそうなほど冷たい空気が鼻の中を抜けていきました。
春雨の後でも、夕立の後でも、秋雨の後でも耳を澄ませばどこからか虫の声が聴こえてくるものですが、今日はなにも聞こえません。
閑静な住宅街の中にわたしのペタペタと鳴る足音だけが響いておりました。
それから足音にだんだんと荒くなる呼吸が呼応していき、まだマスク越しに漏れる息が白く色づかなくても剥き出しの耳は冷たい空気にさらされてヒリヒリと痛くなるのです。
その痛みはやがて熱を持ち寒さによる痛みを感じなくなった頃に、今度は身体の芯から寒さに襲われ肩を竦めながら歩くことになります。
黄色で点滅を繰り返す信号をいくつか超えて、来た道をなぞると不思議と寒さによる痛みはどこかへ消えていて、随分と前に潰したきりのつま先に走った鈍い痛みに襲われました。
歩道から白線へと道がかわり、線上を歩くと痛みで足がおぼつかず、ふらりふらりと右へ左へと視線が揺れてしまいます。
それでもかまわずに歩き続ければ、指先が寒さに痺れ両手を磨り合わせてみたり、ふと視界にうつる月がいつもより大きく見えて空を見上げれば、雨上がりの空気が一番澄んでいるのは冬だと思わせてくれるようにオリオン座が綺麗に並んでおりました。
指先以外がほんのりと温かくなるまで歩き続けてから家に帰り、靴を脱ぐと潰されていたつま先が一気に開放されて気持ちがよくなるのです。
靴下を脱ぎ捨てると尚更、開放感に包まれます。ただ今日は右足の人差し指の爪の際に出来ていた新しいマメの皮が剥けていたせいで、これから入るお風呂をすこし憂鬱にさせたのですが。