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ラグジュアリーと魂
こんにちは、国武凜です。
今回は「ラグジュアリーと魂」というテーマでお話ししていきます、よろしくお願いしまーす!
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では本題です。
ラグジュアリーとは何でしょうか。
それを考える上でヒントをくれるのは、19世紀フランスの劇作家・詩人・作家のアルフォンス・ド・ラマルティーヌさんの言葉です。
「あぁ、おまえは動かぬ物体だというのに何かしらの魂が宿っているのか?我々の魂はおまえに惹き付けられ、愛さずにはいられなくなってしまう」
質問を変えましょう。
ラグジュアリーじゃないものとはどういうものでしょうか。
一つの答えとしてあるのは「そこに魂が宿っていないもの」ではないでしょうか。
みなさんの中にも必ずラグジュアリーが存在します。
僕だったら登坂広臣さんの初ソロライブ「FULL MOON」やスターリンクシルバーのピアス、他の人だったらフィギュア、また他の人は本…
人それぞれ、自分のなかに確固たるラグジュアリーを持っていて、そして全ての企業やサービス提供者は「私たちが提供しているものはラグジュアリーです」と主張します。
ただ、こう考えると、受け手にとってのラグジュアリーと送り手にとってのラグジュアリーは必ずしも合致しないことがあるということです。むしろ合致するのは稀で、なぜなら全ての商品・サービスを僕ら受け手はラグジュアリーと捉えていないから。
なので、ラグジュアリーかどうかはあくまで受け手目線の話であって、「これはラグジュアリーです」と提供者が主張してもラグジュアリーにはなりません。
数多くある似たような商品・サービスの中でも、一際目立つものが必ずあるでしょう。
数多くあるアニメの中で「鬼滅の刃」にとても魅了されるとか、機能的には素晴らしくかつ価格も安いバックなんかいくらでも売っているのに、なぜか機能的にはそこまでな高価格のブランドバックに惹かれるとか。
僕らはそれになぜか魅了されていて、それは自律しておらずいっさいのコミュニケーションを人類とは交わしてくれないのに、なぜか愛せずにはいられない。まさに'魂'が宿っているかのように思えてしまう。
ラグジュアリーであるためのマストコンディション(最低条件)の一つには、そこに魂が宿っているかどうかがあると思っていて、これはスピリッツ的で抽象的でよくわかりませんが、でもかなり重要だと思っています。
作者が異様な執念と努力で、膨大な時間を割いたであろう作品は、何か異様なオーラが感じるという経験はないでしょうか。
僕は伏見稲荷大社にそれを感じました。
ラグジュアリーとはまさに僕でいう「伏見稲荷大社」になることが最低条件であり、そこから戦略的にどうするかが求められる、経営的にもエコシステム的にもサステナブルなものであることがわかります。
ということで今回は「ラグジュアリーと魂」というテーマでお話しさせていただきました、ラグジュアリーにまつわる記事は他にもございますのでぜひおすすめ記事から飛んで読んでやってください!↓
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