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聖母被昇天と平和の鐘

使徒たちが福音をひろめるために世界の各地に散らばっていった頃、聖母マリアはシオンの丘のそばの家にひきこもっていた。ある日のこと、天使ガブリエルが大きな輝きにつつまれてあらわれ、主のおん母にうやうやしく挨拶をしてこう言った、「おめでとう、恵まれたひとマリアさま、あなたは3日ののち肉のからだからときはなたれ、大きな栄誉をもっておん子に迎えられるでしょう。」聖母はそれに答えて言われた、「わたくしのいとし子であり弟である使徒の人たちをわたくしのまわりに集めてくださいませ。この世を去る前にもう一度肉の眼であの人たちに会い、あの人たちの手で墓に送られたいとおもいます。わたくしがたましいを神さまにお返しするときにあの人たちにそばにいてもらいたいのです。」天使はこれに答えて言った、「使徒たちは、きょうのうちにあなたのところに集められるでしょう。そして、あなたのためにりっぱな墓を用意し、あなたが息を引きとられるときおそばにおってくれましょう。」
さて、ヨハネがエペソスで説教をしていると、ひとかたまりの白い雲が、雷鳴とともに空からおりてきて、ヨハネをのせるなり、聖母の家のまえにつれていった。ヨハネは戸口をノックして、なかに入り、マリアにうやうやしく挨拶した。聖母は、彼の姿を見てびっくりされ、喜びのあまり涙声で挨拶された。ヨハネは言った、「神の思し召しによりまして、わたしの兄弟である十二使徒たちがのこらずここに集まり、あなたを盛大にとむらうでしょう。」彼がそう言ったのと同時に、使徒たちがみな、それぞれ伝道していた土地から雲に運ばれて、聖母の家のまえに着いた。いぶかしむ一同にヨハネが出てきて、聖母が世を去られるときが近づいたことを告げた。
さて、聖母は、使徒たちがみな顔をそろえたのをごらんになると、神に感謝し、彼らのまんなかの、ろうそくと灯明にあかあかと照らされた場所におつきになった。午後9時、イエスは、天使たちや族長たちをはじめ殉教者たち、証聖者たち、乙女たちなどの天の軍勢をしたがえてご入来になった。これらの人たちは、聖母の臥床のまわりに立って、世にも美しい声でうたいはじめ、死者ミサが行われた。こうしてマリアのたましいは、うつせみの痛みも苦しみもなく肉体から離れた。主は十二使徒に、「母上の遺体をヨシャパテの谷の新しい墓に葬りなさい。三日後にふたたびあなたがたのところに来るまで、そこでわたしを待つのです」と仰せになった。
さて三日目に、キリストは大勢の天使たちをつれて姿をあらわされた。大天使ミカエルが、聖母のたましいを主のまえにもってきた。主は言われた、「よみがえりなさい、母上。」と、たちどころに、聖母のたましいは、肉体に入り、墓の中から起き上がるなり、大勢の天使たちにともなわれて天にのぼっていった。
以上の話はヤコブス・デ・ウォラギネの「黄金伝説」 という中世に広く読まれた聖人伝に書かれているマリア被昇天のてんまつである。
カトリック教会では8月15日が聖母マリア被昇天の祝日。ミサが行われ、カトリック墓地の墓参りもこの日にあわせて行われることが多い。日本ではお盆期間中。終戦記念日でもあり、平和についてあらためて考えさせられる時期。
市の平和都市推進委員会(委員長は市長で事務局は市役所)から、「戦災死没者の慰霊並びに平和祈念のための「平和の鐘」について」という文書が教会に届いている。8月6日午前8時15分(広島に原爆が投下された日時)、9日午前11時2分(長崎に原爆が投下された日時)、15日正午(戦没者を追悼し平和を祈念する日)のタイミングで、平和の鐘を合図に、多くの市民の皆様が1分間の黙祷をささげることとしており、平和の鐘を鳴らすよう特段の配慮を、との内容で、要は鐘を鳴らすことのできる教会などの団体施設に毎年来ている依頼。6日・9日・15日の依頼された時間に教会の鐘を鳴らす。
今日は15日。聖母被昇天ミサが終わってほとんどの信者が墓地の納骨堂に祈りに行く。私は祈りにはいかないので、正午の鐘を頼まれた。ミサが終わってから、30分ほど待機し、正午のタイミングで小聖堂入口にある鐘の「連打」ボタンを押す。外で鐘がなる音が響いた。
秋の気配もそろそろと言いたいところだが、最近では残暑が厳しい。

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