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あまり語られない、タルコフスキー映画に出演した俳優たち
2回続けて映画監督アンドレイ・タルコフスキーについて触れてきましたが、今回は他の方の文章ではあまり言及のなさそうな、タルコフスキー映画に登場した印象深い俳優たちに触れてみようと思います。
隠微で謎めいた表情の奥によぎる女の性(さが)
~ マルガリータ・テレホワ Margarita Terekhova
最初に取り上げるのは、「鏡」で母親を演じた女優マルガリータ・テレホワ。映画の中では、主人公の少年期の母親と現在の妻という一人二役なので、多少の混乱が生じてしまいます。この「鏡」という映画に謎めいた妖しさと美しさを演出できたのは、監督の映像魔術だけでなく、この女優の隠微で謎めいた表情としぐさのおかげでもあると思います。
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黒澤映画「七人の侍」出演女優と似た表情
戦時中のエピソードとして、母と息子で近くの裕福な家に物乞いに行くシーンがあります。身重の夫人(演じるはタルコフスキー二番目の妻ラリッサ)は、母親に鶏の首を切る処理を頼みます。その時の母親の微妙な表情の変化をややスローな映像で捉えています。
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この表情を見ていると、ふいに、黒澤明監督の名作「七人の侍」(1954年公開)の、あるシーンを思い起こしました。
盗賊たちの野営地に奇襲をかけるとそこに、かつて盗賊たちに強奪拉致されてしまっていた女房がおり、奇襲に参加していた百姓の夫と目が合ってしまいます。侍たちがそっと火をかけようとするのを見て、すっかり変わり果てた姿の女房(演じたのは島崎雪子)は実に微妙な表情をし、黙ったまま最後は、火の中に自ら身を投じてしまいます。その表情の変化を追った黒澤監督のカメラの動きや演出と、タルコフスキーの演出とには偶然にしてもかなりの類似性があると感じます。
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補足:黒澤監督と一緒に歌う
「惑星ソラリス」劇場公開パンフレットに、ソ連訪問していた黒澤監督がタルコフスキーと会って意気投合し、いっしょに「七人の侍」のテーマを大声で歌ったというエピソードが紹介されていますが、当時のタルコフスキーが尊敬する黒澤監督から何らかの影響を受けていたことは間違いないと思われます。
以下、映画の制作順に気になる俳優たちを紹介します。
実母似の女優で最初の妻
~ イルマ・ラウシュ Irma Raush
タルコフスキーの世界デビュー作「僕の村は戦場だった」( 原題は Ivan's Childhood:イワンの少年時代 1962年ベネチア国際映画祭金獅子賞 )の冒頭シーン、光あふれる平和そうな森の小道で母と息子が微笑んでいる姿、ふたりは井戸の中を覗き込み、少年は水面に手を伸ばそうとしたその瞬間、機関銃の連射音・・・・
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その母親を演じたのが、すでにタルコフスキーと結婚していた女性イルマ・ラウシュで、ふたりは映画大学監督科の同級生でした。映画でのイルマの風貌や雰囲気は典型的なロシアの農村女性のような印象を受けましたが、実際の彼女はドイツ移民の子孫であったとのことです。
その後イルマは、タルコフスキーの次の大作、中世のイコン画家の苦悩を描く「アンドレイ・ルブリョフ」という壮大な歴史絵巻で、タタール人に連れ去られていく白痴の少女役を異様で大胆な演技で熱演していましたが、1970年には離婚しており、アルセニイという名の息子がいるとのことです。
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補足:私が参考にしているタルコフスキー関連の本
西周成著「タルコフスキーとその時代 : 秘められた人生の真実」(星雲社 アルトアーツ)は、他の日本語文献では目にしたことのない資料と照合しながら、綿密で卓抜な分析がなされています。
もう一冊、馬場広信著「タルコフスキー映画 ~ 永遠への郷愁」(みすず書房)も長年のタルコフスキー研究に裏打ちされた独自の見解と示唆がなされています。なお、「アンドレイ・タルコフスキイ『鏡』の本」も馬場氏が翻訳編集されています。
女性軍医、危険な恋の予感
~ V・マリャービナ
「僕の村は・・」で、若い女性軍医マーシャが、白樺の林の中で、上司であるベテラン将校の強引な誘惑を受けるシーンがあります。ドラマの流れとしての必然性は無いシーンでしたが、まだ30歳のタルコフスキーの若い素直な感性が描いて見たかった「危険な恋の予感」ではなかったのでしょうか。
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氷りついたような冷気の漂う木立の中、二人の男女の熱い体温が伝わってくるような駆け引きが展開し、演じた女優の初々しさが印象的です。
こういうシーンにもすでにタルコフスキーの映像作家としての独自の感性と才能があふれています。
浮世離れした無垢なる聖少年
~ ニコライ・ブルリャーエフ Nikolai Burlyaev
イルマが母親役で出演の映画「僕の村は戦場だった」で、その息子である少年イワンを演じた俳優ニコライ。幸せだった頃のイワンの笑顔に、「天使のごとき無垢なる美しさ」を感じ取ったのは私だけでないでしょう。白黒の映像ゆえに、なおいっそうドラマの悲劇性に深みが増しただけでなく、少年イワンの聖なる光と不幸な影も鮮明に描き分けがなされていたと思います。
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その5年後に制作された「アンドレイ・ルブリョフ」( 1969年カンヌ国際映画批評家連盟賞 )で、ニコライは、長い内戦のあと復興の象徴として鐘を造ることになる鋳物師の息子というきわめて重要な役で出演しており、外見はすっかり少年から若者に成長していました。その容貌に、わずかな少年期だけに特有であるだろう「浮世離れした無垢なる聖性」はすっかり消えてしまっていましたが、世俗的な逞しさと弱さ、醜さを持った若者を力演していたと思います。
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亡き妻ハリーの化身、前代未聞の「痙攣演技」か?
~ ナターリヤ・ボンダルチューク Natalya Bondarchuk
「惑星ソラリス」は、賛否両論も含めた多くの問題を投げかけた映画でありますが、そもそも、名作という賞賛を与えられている映画には、監督の才能だけでなく、良い脚本、優れたスタッフの尽力もあり、さらには、適材適所の俳優の演技や魅力が大きく貢献していると思います。
とりわけ、亡き妻とそっくりの未知の生命体を演じた女優ナターリヤはまさに適役だったと思います。まるで舞台劇のように登場人物4人の論戦が延々と続く場面で、他の芸達者な男優たちに圧されることなく、的確な演技で存在感を示しています。
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その上、液体窒素を飲んで凍結自殺を図ろうとしても蘇生してしまうシーンにおいて、艶めかしくも前代未聞の「痙攣」演技を披露してくれます。
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生活破綻者で、伝道師でもある男
~ アレクサンドル・カイダノフスキー
Aleksandr Kaidanovskii
「鏡」のあとに作られた映画「ストーカー」では、やはり、案内人役の男優アレクサンドルが強烈な印象を残しています。きわめてあくの強い風貌で
ありながら、やや舌足らずな発声で、「無学で純朴な生活破綻者」と「意固地で哲学的な伝道師」の両面を見事に体現していたと思います。
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タルコフスキーの他の映画で重苦しく生真面目な役を演じた男優たちと比べると、このアレクサンドルはかなり異質のタイプだったと思います。
後半部、水路の盛り土部分に横たわる案内人。そこへ不意に黒い犬が近づいてくる。やがて仮眠か夢うつつの状態で意識下へと潜り込むかのように、水面を映しながらゆっくり移動してゆくカメラ。そのシーンに妻の朗読する詩が重なる・・・・この映画の中でも特に印象深いシーンです。
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ダメ夫を支え、床に伏してまで泣き悶える女
~ アリーサ・フレインドリフ Alisa Freindrikh
「ストーカー」で案内役の男の妻を演じたのはアリーサ。見た目を不幸そうにとか、声を弱々しくとか、そういうレベルでの演技からは全くかけ離れた、おそらく舞台などで鍛え抜かれたのであろう、見事なまでにプロ意識に徹底したような演技力を披露してくれます。
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生活力のないダメ夫を何とか支え、障害のある娘も育て、床に伏して身を捻じ曲げるくらい泣き悶えながらも愚痴と苦労話を聴かされた挙句、「でも、苦しみがなければ幸せもないでしょ・・」とカメラに向かって、まるでドキュメントのように、涙ながらに語るこの女優、いや、この女性の凄みには圧倒されて、世の男たちも反省を強いられるでしょう・・。
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慈愛と哀悼のまなざしの掃除婦
~ミレナ・ヴコティッチ Milena vukotic
国外での初作品「ノスタルジア」の最後、湯治場でのロウソク渡しのシーンで、主人公の男が絶命したとき駆け寄ってくる掃除婦の姿があり、その女性の何とも形容しがたい不思議な目の表情を映し出す短いカットがあります。
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映画の最も大事なクライマックスに映し出されたそのまなざしには、おそらく、タルコフスキー自身の強い思いも重ねられていたはずです。私には、人の世の生を慈愛で見守り、その死に哀悼を捧げる「天上のまなざし」のように受け取りました。
最後に、余談です
もう好きな監督や俳優とは会えなくなるのでしょうか?
寝耳に水の報道が流れたのは去年、あの Panasonic が市場縮小を理由にBD製造中止を発表しました。私は、ネット配信は利用しないので、映画はテレビ放映をBDレコーダーに録画しています。また、大都市圏以外の地方エリアで映画館と言えば、複合商業施設にあるシネコンを指しますが、私はここ8年近く観に行ったことはありません。
すでに若い世代中心に、映像や音楽はネット配信で視聴、cloud 経由でデータとして保存・再生の時代に急速に変わっていると感じます。すべてのコンテンツは管理する企業の巨大なサーバーにデータ保管されて、サブスクで視聴するシステムとなるので、パソコンが絶対の必需品、テレビやBDレコーダーは不必要になるのでしょう。
私の愛する監督や俳優たちも、そんな巨大なBOXの中にデータとして幽閉されて、会いたいなら、ネット接続したパソコンでサブスクしないと会えなくなると思うと、それは、とても「不都合なくらい寂しい」と感じてしまいます、・・。