宿題が少ない、ということの意味
最近、気づいたことがあります。
うちの息子には、家で復習や予習をする習慣がありません。
先日、子供の英語の教科書を見ていて、
「どうしてこんなに綺麗なんだろう」と疑問に思いました。
私が公立中学に通っていた時は、予習として英語の単語を調べたり、復習として英語文を日本語にしたものをノートや教科書に書いたりしていました。
どうして、このような勉強スタイルになったのか?と言えば、宿題として課されていたからだと思うのです。
一方、息子はそのようは勉強の仕方はしていません。その理由として、宿題が少ないからだとふと気づいたのです。
次の授業までやらなくてはいけないこと、それが宿題であり家庭学習なのですが、学校から宿題を出されないことを理由に、我が家ではテスト前以外はほとんど勉強をしません。
これで本当に大丈夫?と、親は心配になります。
でも、ふと思ったのです。
復習ありきの勉強ではなく
授業時間内で完結する勉強の仕方があっても、いいのではないかと。
記憶を定着させるために、復習や宿題は必要かもしれません。しかし、週に何回も同じ科目の授業があるのだから、それ自体が復習であり記憶の定着になるのであれは、宿題は少なくてもいいのではないか。
学生時代の同級生で、学年トップの人が
「授業で一回聞いたら忘れない」
と言っていたのを思い出しました。その時は、そんな凄い人がいるのかと、すごく感心したのを覚えています。
勉強ができる人とは「集中力」「記憶力」がある人なのだと思います。
ダラダラと勉強するのではなく、スポンジに吸収するかのように短時間で知識を身につけていく。
宿題が少ないことの理由として、「授業をちゃんと聞いていたら大丈夫」という学校側の意図があるように思えるのです。
「宿題さえしていたら大丈夫」というのは、案外親がただ安心したいだけなのかもしれません。
要は、どのようなスタイルであっても、知識が身について活用できることが大事、ということだと気づいた、中1男子の母の心境でした。
宿題が少ない学校生活は、中学生男子にとってはパラダイスであり、親から見たらとても羨ましくもあります。