見出し画像

―The Earth... Why I have composed Tanka on Nature―

<私が自然を詠う理由を詠いました>

1
:
時はもや灼熱にしてゆるされず森の木蔦にやすらふことも

:

Time
is already scorched
and unforgiving—
I cannot find rest
on the forest's ivy

2

噴き上げむ地中深くにとぐろ巻く灼熱の星 間に合ふか 人

:

A blazing planet
with troubles coiling deep
into the earth—
Will mankind be able to solve
before time runs out?

:

(C )2024Rika Inami 稲美里佳


最近、思い立つことがあって、なぜ私が自然を詠うのか詠っておきました。
私の作品には自然を詠っているものが多くあります。

嘗て、短歌を始めた頃、もっと身近なものを対象にした歌を詠ったらどうか、もっと小さいものを詠ったらどうかと勧められたことがありました。
小さいものとはどんなものでしょう?

― どうしてワイングラスを、ワインの色を詠わないのか ―

私はそう言われ、首を傾げました。
もっと小さいもの? ワイングラス? ワインの色?……
何となく感覚的に理解はしましたが、私にとって、そうした存在は殆ど詠う対象にはなりませんでした。

私にとって身近なものは、私が住んでいる所に外なりません。
自室の西側の窓を開ければ、秋田富士とも言われる鳥海山が小さいながらもお天気の良い日には仰ぐことができます。
ご近所、家族ともに、話の話題と言えば、まず毎日の気象です。
朝の散歩時に見る季節の花々も然りです。

心に秘めておかなければならないこともあります。
そうした事は、自分だけの歌にしておきます。
いや、詠うことさえ許されない、じっと沈黙の闇の中に漂わせている事もあります。

こうして、私は短歌を詠い始めてから20年を越してきました。

近年、私にとって身近である自然の危機が、これまで以上に大きく叫ばれています。
肌で感じられる気象変化、目に見える生態系の変化、田植えと稲刈り時期の早まり等々、私だけではなくとても多くの人にとって自然の変化は身近になってきたのではないでしょうか。

自然を詠うことは、短歌の初歩という声も聞きますが、公開出来得る歌として一貫して、花鳥風月、四季折々、自然を詠ってきた私は不思議な縁を感ぜざるを得ません。

今、私は貧しい生活ながらも、自分が置かれた環境、この縁に恵まれた幸を感じています。
直接的、抽象的の如何ではなく、人工的に作られた事物、そこから発せられた雑音で構成された世界の中からではなく、自然を身近に感じる中から短歌を発することができる幸です。







いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集