九月の終わりに
瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読んで。
あらすじ
主人公の宮路は、29歳無職、ミュージシャンになるという夢を捨てきれず、と言いつつ夢に対する情熱を持ち続けているわけではなく、親からの仕送りで怠惰な日々を送っていた。
ある日、ギターの弾き語りのために訪れた老人ホームそよかぜ荘で、サックスの天才に出会う。彼は五つ年下の介護士渡部君。その音色に惚れ込んだ宮路は、またその演奏が聴きたくてそよかぜ荘に通うようになる。
が、いつしか入居者たちと過ごす時間そのものが宮路の日常になっていく。そして、そよかぜ荘で過ごした時間は、七年間無職だった宮路に変化をもたらす。
音楽を通して描かれた、小さな世界の愛おしいひとときの日常の物語。
この本の魅力
宮路が渡部君のサックスの才能を見出し、ギター&ボーカルの宮路とサックスの渡部として2人でバンドを結成し成功、というシンデレラストーリーもあったかもしれない。でも、この本で描かれているのは、そよかぜ荘での出し物として二人で練習、演奏する世界線。こっちを見る(読む)ことができて幸せだ、と思う。
そう感じさせるのは、紛れもなく宮路と渡部君のキャラクター。
宮路は、大学卒業後七年間も無職で、それにしてはそこまでの焦りは感じられず、そよかぜ荘の入居者さんたちからもぼんくらと呼ばれてしまうどうしようもない人。現実社会の厳しさにも触れていなければ、人は老いいつか死ぬという避けられない現実も受け止めきれない。29歳にもなって、大人になりきれていない。でも、そんな宮路のことが、読み進めるうちにどんどん好きになってしまう。どうしてそんなに真っさらな目で物事を、人を見ることができるのか。宮路は、大人になれていないのではなくて、子ども心を忘れていない、どこまでも純真な人だった。
一方で渡部君は、現実を受け入れる能力がとても高い。自分を取り巻く状況、起こった出来事を受け入れ、目の前の人と向き合い、現実社会をしっかりと生きている、当たり前とされることを当たり前にこなすことができる強い人。目の前の人と向き合う彼の生き方は、演奏にも強く現れる。自分本位とは真逆の"目の前の人に向けられている音"に宮路も心を掴まれたのだった。
そんな二人が、徐々に打ち解け、友達としてもバンドとしても最高のコンビになっていく。その過程と二人のやり取りが、二人の(瀬尾さんの)ワードセンスが、たまらなく面白い。淡々とした渡部君と、ぼんくら感万歳の宮路。淡々としているようで、ぼんやりしているようで、実は優しくあたたかく時折ロックな二人。
--- 思わずクスッとしたセリフ3選 ---
①「恐ろしいですね」
とあるシーンでの渡部君から宮路への一言。
②「ばあさんの涙が止まらなくなったら大問題だ」
とあるシーンでの宮路の心の声。
③「大丈夫。みんなもう熟睡してるはずだから」
とあるシーンでの宮路から渡部君への一言。
(午後7時過ぎ)
私の感想
物語を通して宮路さんと渡部君のことが大好きになったし、二人のやり取りにもかなり楽しませてもらった。
最近25歳になって、さすがに大人と認めざるを得ない数字でありながらどこか大人になりきれていない自分に焦りのような不安のような感情を抱いていた私にとって、29歳の宮路さんの力の抜けた日々と、そんな中突如訪れた素敵な日常に、何というか心が救われた。
同い年の渡部君の、目の前の人に向けた演奏、目の前の人と向き合う生き方には、心の底から尊敬の気持ちが芽生えた。私は自分本位なものの見方をしてしまうことが多い。というかほとんどそうだと思う。
大人な渡部君のことも子どもな宮路さんのことも大好きになれたから、大人になりきれていない等身大の今の自分を受け入れて、前向きに生きていこう。そう思えた。
そして、物語の終盤、九月の終わり頃、とある人から宮路さんに宛てて贈られた手紙が、私の心を大きく震わせた。嘘のない本音が綴られたその手紙の最後の言葉に、涙が止まらなくなった。
忘れたくない。そう思える日々が送れてよかった。ありがとう。
この"とある人"と宮路さんとの関わりも本当に素敵な(素敵というよりもっといい言葉を当てはめたいけれど思い浮かばない)ものだけれど、ここについてはネタバレのような形ではなく、ぜひ直接物語を通して出会ってほしい。
最近、昔のことを思い出したとき、「懐かしい」という気持ちと同時に「切ない」みたいな感情も出てくるようになった。
あの頃にはもう戻れないもんなぁ。寂しいなぁ。切ないなぁ。と。
懐かしむことのできる思い出があるのは幸せなことだけれど、あまりに過去にしがみついていては、それって今を生きていない。今目の前のこと、人と向き合えていない。
でも、「忘れたくない。そう思える日々が送れてよかった」と思えたら。そんな過去に心から「ありがとう」と言えたら。
思い出は思い出として大切にしながら、前を向いて今を大切に生きられる。
今の、最近の私に一番必要な言葉をもらえた気がする。
さいごに
ぼんくらが天才に出会ったのだとしたら、私は大好きな、これからずっと大切にしていきたいと思える一冊の相棒に出会うことができた。
Green Dayの『Wake Me Up When September Ends』を添えて。
この本を知らない、まだ読んでいないという方に、気になる、面白そう、読んでみたい、と思っていただけたとしたら、それ以上に嬉しいことはありません。
この本を読んだことがある方に、共感してもらえたり、そんな感想を持つ人もいるのかと楽しく読んでいただけたら、とても嬉しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
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