沖縄に見る夢ー「自分が嫌なものを他人に押し付け続けている一人」として日本に生きる全てのわたしたちはー『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』を観る。
トップの画像は、リンクした映画のHPから拝借しました。
ちむぐりさーとは「肝ぐりさ」ーあなたが悲しいと私も悲しいーという意味の沖縄言葉(ウチナーグチ)だそうだ。
映画の冒頭から「悲しくてやりきれない」(歌詞サトウハチロー)のウチナーグチバージョンが流れる。
悲しくて 悲しくて とてもやりきれないーこの胸に秘められた悲しさを誰にもわかってもらえない。救いはどこにあるのか。ハチローの歌詞は、孤独な人の感情を伝えるー
ちむぐりさーは、あなたが悲しいとわたしも悲しいと人と人との心の共感を意味するというのに、なぜ映画を通底させるテーマ曲は、誰にもわかってもらえない悲しみと孤独ーを歌うのだろうか。しかも昭和の日本を代表する詩人ーサトウハチローの言葉をもって。
わたしは、この歌が大好きで、このnoteでも以前に紹介したことがあるー野球でファイターズが負け過ぎて、どうにもこうにも辛かったときですがー一見素朴な言葉の羅列の上に、切ない感情と情景が浮かび上がり、聞く者一人一人の記憶と結びついて共感を呼ぶ普遍の歌ー。
しかし、ウチナーグチで歌われてる『悲しくてやりきれない』は、沖縄言葉を知らないわたしには意味を理解できない。日本語(ヤマトグチ)の歌詞を知ってるからわかったような気がするだけだ。
そして、そのわずかな違和感に、北海道で育ったわたしと沖縄との距離が、くっきりと現れている。北海道でも本州のことを「内地」と呼ぶんだけど。「北海道は日本の外国」とか、名実ともに「日本の植民地」とか、道民はいささか自虐的に語ることもある。いささかなのは、どこかに(だけど陰気な慣習に縛られた本州とは違うんだもんね)という自賛の気持ちもあるからだ。内地に比べて伝統を持たない北海道は自由だーという感覚が、北海道人ー少なくともわたしには、ある。
沖縄の歴史と北海道の歴史にも共通項はある。そもそも琉球国であった地は、江戸時代には薩摩藩に侵略され支配を受けー悪名高き人頭税を課されるなど過酷な搾取の地にされてしまう。明治になると政府による廃藩置県の強制的な「琉球処分」によって琉球国は「沖縄県」とされ消滅し、首里城も明け渡される。日本人ー大和が琉球国の人たちーウチナーチュから奪って得たのが沖縄なのだ。
北海道は、内地から見て「蝦夷地」と名付けられた地に、先住民のアイヌが住んでいた。江戸幕府によって徐々に侵略されていく。参入当初はアイヌの知恵と助力を散々に賜ったのに、和人はその恩を仇で返す裏切りの果て、アイヌの戦闘蜂起を制圧し支配。土地を掠奪する。内地からの開拓民の投入ー明治政府は、沖縄と同じく「北海道」という名をつけた。アイヌの言葉は、遠くへ葬り去られる。
他者から奪った土地に住むわたしは、奪った側の歴史に与する日本人になるが、沖縄に住む沖縄の人は、違う。そもそも奪われたままー日米戦争、唯一の地上戦の場とされ夥しい人が殺された。推定18~20万人余。そのうち沖縄県民は15万人近く犠牲になったとされる(犠牲者数については諸説ある)
その後、沖縄は1975年に返還されるまで、アメリカの支配占領地だった。幼い頃母に手を引かれ、メーデーか沖縄返還要求デモか何かわからないけど一緒に歩き歌を歌った記憶がある。
〜沖縄を返せ 返せ! 沖縄〜を返せ〜♪
■「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄)
かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ
たった今検索して知る。こういう歌詞だったのですね…。
返還の夢が叶ってもなお。沖縄は、支配され続けるー米軍基地とそれを許す日本政府ーわたしたち、日本の人々に。
リンクは3年前に見た沖縄の政治家、瀬長カメジロー ドキュメンタリ映画についての感想文。
返還後、カメジローが闘い続けたのは、日本政府に対してだった。居残りどころか増殖し続ける米軍基地ーそこに「思いやり予算」と呼ばれる国税を支払い続ける日本政府。戦争が終わってもなお奪われ続ける沖縄の土地ー米軍機や在留兵による事件の多発ー沖縄は、二重三重に蹂躙され続けている。
文脈的にはおかしな「続ける」の連発は、「続き続けている」そのものが、沖縄の日常であり現実だから。
米軍の核の傘に守られている日本なのだから、多少の犠牲は仕方がないとする日本人の意識は一定数に共有されている。その是非はさておき、米軍基地と沖縄、日本との関係について知識と関心があるという意味では、まだましだ。
わたしたちの多くは、何も知らない。沖縄に米軍基地があることすら知らない人だっていくらでもいる。知ってたとしても(そうなのか)と思うだけで。つまり無関心ー無関心のままーいやその無関心によってこそーわたしたちは、沖縄を蹂躙し続けているんだ。
ようやっと映画『ちむぐりさ』の話に戻る。映画の主人公、坂本菜の花さん(本名)は、石川県で生まれ育つ。中学時代に過酷ないじめを体験し、15歳にして一人沖縄に飛びたつ。珊瑚舎スコーレというフリースクールに入学する。
その3年間の学生生活、友人や夜間中学へ通うおじいやおばあとの交流。菜の花さん自身による米軍基地や戦争への関心と直接的な行動、地元ニュースを基盤にした米軍基地を巡る現実と個々に被った問題解決を求める市民の運動等等を追った複合的な構成のドキュメンタリー。
菜の花さんは、気が付く。沖縄の置かれた現実と自らを含む無知について。わたしも気づかされる。例えいくばくかの知識や情報があったとしても、決してわかるはずもない沖縄の痛みと、自らの加害性への無知について。
パンフレットに書かれた菜の花さんの一文。タイトルは「自分は誰なのか?」沖縄に暮らし始めた頃の思いから体験と対話を重ね、たどり着く自分とは。
ー私は誰なのか、ようやくわかった。自分が嫌なものを他人に押し付け続けている一人だったー
つい先だって秋田と山口県に置かれる予定だった地上イージスアショア配置は、いきなり停止された。住民の反発によってである。映画の中にも戦後多くの日本の地ー内地にあった米軍基地や予定地が住民運動によって奪還されていく様子が映されている。この事実もまたわたしは全く無知だったが。
それにしたって。内地での住民反対運動は、結果をもたらし、沖縄ではいかなる市民運動も選挙結果も住民投票も、どれだけの人数が「基地反対」の答えを出そうとも。何も変わらない。70年間以上も。
「沖縄は差別されている」
菜の花さんは、映画の中ではっきりと言葉にしている。その通り、沖縄は差別の元に晒され続けている。では、それは何に?誰によって?
菜の花さんが、出した答えは「自分もその一人」ということ。
彼女は、学校を卒業すると沖縄に残らずに、自分の生まれ育った地面へと戻っていく道を選ぶ。差別を糾弾するのではなく、差別をする側の問題として捉えること。変化するべきなのは、沖縄ではない。沖縄の現実を促している側ーわたしたち自身なのだと。
そのようにして映画を見たわたしも、意図せず導かれることになった。北海道について考えを巡らす方へ。(何を書こうかは、書き始めは考えていないのです)
この小さな、でもゆえにすべての世界に通ずる道を持つ映画をー多くの人たち、それぞれの自分たちに、観てもらいたい。きっとどこかで心が動かされる、そのとき。
ーちぐむりさーあなたが悲しいとわたしも悲しいー
悲しくてやりきれないーあなたの孤独を つまりはわたしの孤独を繋ぐー言葉の道は、開かれていく そのための鍵になるかもしれないから。
沖縄は、他者の国ではない。わたしたち日本の国にある。
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