【必死に頑張る事】でしか自分の存在証明ができなくて、「ありのままの私で大丈夫」なんて思えなかった
今日のタイトルは、書いていて胸がギュッとなりますね。
今では、「私はありのままの私で大丈夫」とだいぶ思えるようになった私ですが、過去を遡ると、全くそうは思えない時期がありました。
その時の私は、「仕事を必死で頑張る」ことで、なんとか「私はここに存在していい」と思おうとしていました。
人に頼ることができず、「できません」とも言うことができず、一人で抱え込み遅い時間まで残業を続ける日々。
仮に、当時の私に、
と言葉をかけてくれる人がいても、または、自分自身でそう言葉をかけたとしても、絶対に受け取れなかったと思います。
今日の記事は、そのような状況の時に、何があるとそこから脱出できるのかについて、私の経験を元に書いてみたいと思います。
会社員時代のどん底の時
新卒で入社したメーカーで海外営業職を数年経験したのち、異業種である広告代理店に営業職として20代後半で転職した私。
元々、大学でマスコミ関係の勉強をしていたこともあるのと、華やかな世界への憧れもあり、いつかは行きたいと夢見ていた世界。
ですが、入ってみたらまぁ、自分の力不足をとことん突き付けられる結果に。
業界知識も浅く、業界経験もなく、表向きには自信があるように見えても内側では全く自信のない私は、すぐに、「場違いなところに転職した」と思いました。
周囲は優秀な方ばかり。頭の回転も速く、コミュニケーション力にもたけていて、ものすごい仕事量をこなし、お客さんからも社内の他職種の人からも信頼を寄せられている人達。
当時の自分には、その人達と肩を並べて仕事をする自信など全くなく、途方にくれました。
ただでさえ、新しい仕事に慣れるまでには時間がかかる私。同時進行で色々な事が起こり対応が求められる仕事では混乱してしまい頭が真っ白になる私。ゆっくり丁寧に着実に積み上げていく仕事が得意な私。
そんな私が、
「お客さんの厳しい要望にもスピーディーに臨機応変に対応!」
「優先順位をつけて複数のタスクを同時に処理する!」
「忙しい社内のメンバーを取りまとめてしなやかに柔軟に進める!」
と求められて、本当に本当に毎日頭が真っ白でした。
日中は目の前の対応に必死すぎて記憶がなく、夕方からようやく腰を据えて資料作りやメール返信をするというような日々。
当時一人暮らしをしていたので、食事も不規則。
夜遅くに終電かタクシーで帰宅して、コンビニで買った夕食をコタツの中で食べて、コンタクトをつけっぱなし、電気をつけっぱなし、化粧も落とさず記憶を失う。
買い物にも行けず、食材が尽きた時に、家にあった食パンをほおばり、そのまま床で寝てしまい、早朝目が覚めた時に、食べかけのパンの切れ端が床に置かれているのを見て
「こんな20代後半のはずじゃなかった」
と思いました。
そんな生活をしているものだから、肌も荒れ、顔じゅうににきびができ(おそらく20-30個はあった)、それを厚い化粧で必死に隠すけれども、肌荒れは隠せず。
営業なので、お客さんとも顔を合わせるので、この悲壮感漂う見た目では印象も良くない。そして何より、肌が荒れている自分の姿を鏡で見る度にどんどん自分が嫌いになる。
皮膚科で抗生物質を処方してもらい、美顔器を買い、漢方を飲み、美容エステでレーザー治療もし、毎月のお給料はお肌の治療代に消える。
睡眠不足と不規則な食生活と肌荒れによる自己肯定感だだ下がりの状況で、私の思考力もどんどん低下し、やることなすこと裏目に出て、ミスも増え、やるべき事はどんどん積み上がり、自信がなくおどおどした対応にお客さんや社内の人からの信頼もなかなか得られず、負のループに入っていきました。
そんな私が、唯一、できること。それは
「必死に頑張る事」
でした。
スキルもない、経験もない、効率よく仕事もできない、社内外からの信頼もない。
そんな私には、「それでも腐らずに必死で頑張ってるよね」という姿を見せ続けることでしか、そこに存在できなかったのです。
そして、人にも頼れなかった私。
自分の能力に自信がないし、記憶力も落ちていたので、わからない事を人に聞く時も「そんな事もわからないのか」「前も教えたよね」と言われるような気がして、いつもびくびくしながら聞いていました。
そして、周りの人もめちゃくちゃ大変で忙しいのをわかっていたし、そんな中で「助けてください」と言おうものなら、相手に迷惑もかかるし、「こんな事も一人でできないのか」と思われるのがオチ。
そう思っていました(本当はそんなふうに言う人達じゃなかったのにね。優しい人達が多かったのに)。
一人で背負いこんで、必死で残業して仕事をして、残業が多すぎて目をつけられ毎日やる事を朝礼で報告させられ、それでも助けてほしいとも言えなくて。
でも投げ出さない。
笑顔で頑張る。
トイレで一人でこっそり泣く。
そんな日々でした。
自分自身が「私はここにいていい」と思えないと、人から何を言われても受け取れない
そんな私だったので、周囲の人達も、色々サポートをしてくれました。手を差し伸べてくれました(本当にありがとうございます、涙)。
「そこまで頑張らないでも大丈夫だよ」と言ってくれる人もいました。
「高橋ちゃん(私の旧姓)はもう十分頑張ってるよ」と言ってくれる人もいました。
実際に仕事を引き取って手伝ってくれる人もいました。
当時付き合っているパートナーは私の事をとても大切にしてくれていました。
友人もたくさんいました。
お給料もそれなりにもらえていました。
東京には私を心配して色々と気にかけてくれる両親がいました。
家がありました。
食べることもできました。
寝ることもできました。
息をしていました。
それでも、自分では、
「私はここにいていい」
と、どうしても、どうしても、思えませんでした。
仮に当時、カウンセリングやコーチングを受けていて、「そのままのあなたで十分ですよ」と言われたとしても(そのように関わってもらえたとしても)、その時はおそらく、その言葉を受け取ることはできなかったと思います。
だって、私の中では
「能力がない私」
「仕事が遅い私」
「残業ばかりして成果が出ない私」
「お客さんにも貢献できていない私」
という強烈なレッテルを自分にベターっと張り付けて毎日生きていましたから。
心優しい周囲の方々が、そのレッテルをはがそうとあの手この手で色々関わってもくれましたが、剥がれませんでした。
それくらい、強固に、自分が自分にレッテルを貼っていました。
糊やボンドのレベルではなく、アロンアルファ(瞬間接着剤)レベルの強烈な粘着力のやつで貼ってました。
という言葉は、当時の私にとって、
《右から左へ受け流す》
以外のなにものでもありませんでした。
そう、どんなに心優しいサポートも、どんなに心優しい言葉も、受け取る準備ができていないと受け取れないんです。
私にはその気持ちが本当によくわかります。
そして、この言葉を受け取れない理由は、「仕事を必死で頑張る」ということでしか自分の存在価値を証明できないと思っているので、仕事を頑張らなくなったら自分には存在価値がないと信じていたからです。
存在価値がないことは、言葉通り、「生きている意味がない」くらいの大きなインパクトです。
生存本能に直結しているくらい、すごくパワフルな思い込みだったんです。
生存本能は、つまり、生きるか死ぬか。生物にとって、死活問題です。
だからこそ、「絶対にそうなるまい」という防衛本能が働き、「仕事を必死で頑張る」ことをやめられなかったのです。
「ありのままの私で大丈夫」と思えるために大切なこと
という言葉を否定しているのではありません。
この言葉は本質的で、パワフルで、とても大切なものだと思います。
今の私の人間観のベースとなっている、大切な大切な信念でもあります。
ただ、これを受け取れるかどうかは、本人の環境や心の状態の影響が大きく、実は、誰もが簡単にできるわけではないのかもしれない、ということを自分の経験から実感しています。
荒れ狂う嵐の中でずぶぬれになりながら、「ありのままの私で大丈夫」とはなかなか思えないですよね。思えるとしたら、かなり精神的に成熟している人でしょう。
穏やかで平和で安心できる環境の中でなら、「あ、もしかしたら、私は大丈夫なのかもしれない」と、少し思えるようになるかもしれません。
この、【安心できる環境】の中に身を置くこと。それがものすごく大切なのではないかと思っています。
仕事における【安心できる環境】って?
仕事における【安心できる環境】。
それは、
・身体的
・物理的
・心理的
の3つに大きく分けられると思います。
きっとこれらの内容は、人それぞれでしょう。
この3つの分野でバランスよく【安心感】を感じられていることが、まず、ベースになると思います。
当時の私の場合、「身体的」と「心理的」な安心感が著しく低かったのです。
労働時間が長く、食事も不規則で、睡眠時間も短く、やりがいを感じるどころか義務感が強く、能力は発揮できていると感じられるどころか仕事をすればするほど「私は能力がない」という思いを積み重ねていく感覚になり、貢献実感を持てるどころか「迷惑をかけてしまっている」という実感が増していく感覚。
それでは、【安心感】など感じられるわけもなく、よって、「ありのままの私で大丈夫」と感じられるには程遠い状況でした。
(【安心感】があるからといって、それだけで「ありのままの私で大丈夫」と必ずしも感じられるとは限らないです。【安心感】があることは、入口であり必須条件、そんな感じです)
【置かれた場所で咲くの】ではなく、【咲ける場所と咲ける方法を考える】
【置かれた場所で咲く】っていうのは、とても大切な考え方だなと思います。
同時に、咲こう咲こうと自分なりに努力はしてきたけれども、どうしてもその仕事の環境や業務内容が、自分に合わず、やればやるほど、心身両面での【安心感】が減っていき、病んでいく、という場合は、無理にそこで咲こうとしないという決断も必要だと私は思います。
◆どういう場所(環境)であれば咲けるのか
◆どういう業務内容であれば咲けるのか
◆そもそも自分にとって、仕事を通じて<咲く>とはどういう事なのか
そのあたりを良く理解した上で、場所を変える(転職する)というのも一つの選択肢です。
高温多湿でしか咲かない花を、低温少湿の場所で咲かせようと思っても無理ですよね。
人も同じだと思うんです。
それぞれに得意不得意があり、生まれ持った気質や特性があり、努力や根性だけではどうにもならない部分はあります。
できない事をできるようになるために努力することも大事。
でも、もう、十分、努力をしてきてもそれでもできないのなら・・・?
もっとあなたの得意な能力を使って、重ねてきた経験を使って、授けられた才能を使って、咲ける場所を探してみたらいいと思うんです。
「あ、私はちゃんと花を咲かせられた!」
という成功体験を積み重ねていくことで
という感覚が、少しずつ、少しずつ育っていく。
そういうやり方もあると思うんです(そもそも、花を咲かせた経験がないのに、自分は花を咲かせられる!っていう自信は持てないですよね)。
私は、広告代理店の営業職の仕事は4年半続けました。当初はできなかったこともできるようになった部分もあります。素晴らしい経験ができたと今では胸を張って言えます。
それでも、やはり、私にとっては、なかなかハードモードな環境&業務内容ではありました。
広告代理店を退職し、7カ月間の無職期間に、自分を見つめ、内省し、本当にやりたい事が見えてくるまでは転職活動もしませんでした。本をたくさん読み、今まで出会えてこなかったような人達とたくさん出会い、新しい自分に出会いました。
その後、大学職員として転職し、学生さんのキャリア・就職支援を行う部署で仕事を再スタートした時は、とてもしっくりきました。もちろん、苦労もたくさんありましたが、しっくり感があったんです。自分を活かせているな、と感じられる環境・仕事内容でした。少しずつ、自分の花を咲かせている感覚が得られていきました。
そして、大学職員の仕事を経て、独立した今では、自分が【安心感】を持って働ける環境を自分で選び、これまでの全ての経験・自分の強み・才能を活かし、やりがいを感じながら働けています。
今でも、仕事をする中で、「苦手だな」「できないな」と思うところはあります。
それでも、そんな私でも大丈夫、自分の存在価値が揺らぐことはない、と思えている自分がいます。
頑張れない時は休みます。人に迷惑をかけてしまうこともあります。
それでも私の存在価値は変わらない。
何をしてもしていなくても、大丈夫、という感覚があります。
それは、【私は(咲ける環境に身を置かれたならば)ちゃんと咲ける人】だと知っているからです。
仕事でこの感覚を得るまでに、20年以上かかりましたが、そのプロセス全てが今では愛おしいです。
そして、それを今度は、私のサービスを受けてくださる方々に向けて、惜しみなく提供していきたいです。
自分を知る、自分がまだ知らない自分に出会う、自分の与えられた才能にきづく、それを発揮できる環境を知る。
そんな事を一緒にやってみたい、そう思う方は、ぜひHPのお問合せフォームよりご連絡くださいね。
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