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日常にある声と対話、ことばをBGMみたいにしておきたい。 静かな日に落ち着ける心地よいもの、back ground voiceにしておこう。 聴くことで効く、効いたことで日々が終わり、はじまる。 とある家族の日々のまとめ。
毎朝暑さに立ち向かう日々だったのに、一気に肌寒さを感じるだけで狼狽えるのが母という生き物です。 着るもの、こしらえるものをチューニングしたり先々の予定に違うアンテナを立てたり。 まったく気が休まらない。 丁寧な暮らしを体現している四角い世界の住民の方々は同じ世界線ではないということにしています。 地に足つけて生きていくぜよ。 いい大人という箱に入る歳になっても やれ外気だのやれ生産性だのと見えない圧にのたうち回るんだから子どものうちに得ているあらゆる特権をもっと振りかざして
おかえり。 この言葉とともにその日の気持ちが 滲み出るような表情の子どもたち。 今日はどんな日だった? なんだか楽しそうだね! 添える言葉も日によりけり。 何も言わない日のほうが多いかな? でも今日は、子どもたちがお留守番の日。 「なんじにかえってくるの?」 ふいに聴かれたその言葉に。 おかえりの前にいつも抱えていた気持ちが 顔を出したような。 帰りを待っているのは、共に暮らす者同士の 約束なんだな。
やりたいことがあるか、とか すきなことを仕事に、とか。 あまりに耳心地よい言葉で私たちの痛いとこついてくるんですね。 こういう言葉の波に乗って うまいこと向こう岸に着けた人いるのかな? 私はいつももっと違うものをずっと 凝視してきてしまって。 やりたいか、やりたくないか、で考えてなかったので、 「今はこれをやるもんだ」の数珠つなぎが今の自分だし、あまり不満もなかった。 ふと横にいる息子たちに目をやると 「これがやりたい!」の欠片を 日々集めて、磨いて、時にはそれに躓いて。
息を吸って吐くと同じに 母親業は迫り来る。 毎日が同じことの繰り返し。 子どもといると不思議に思う。 もしかして全部、知っているんじゃないか、と。 この世に生を受けてからの数年で、 何もかもお見通しのような、あの目はほんとに不思議。 いつもは子どもたちと話して 聴いたことや出た言葉を拾って 質問しながら話をするけれど 子どもが話したくなさそうな日や 会話が続かない時も よくある。 むしろ、そっちのほうが多いくらいかも。 その時に纏う空気、雰囲気みたいなものを 感じ取ると
子どもが産まれて、母になるまで気付いてなかったこと。 それが「自分が人の話をまるで聞いていなかったこと」だった。 それが今は聴けるようになった。 何があったの? 今日はそんなテーマでお話します。 長男が言葉が話せるようになった頃、 とにかく相手をするのが疲れる、特に仕事が終わって保育園からの帰り道なんかには 仕事モードから母モードへのチューニングも間に合ってなくて ひとりでテンパってばかりでした。 「ママ、○○ってなに?」 「このまえのあのはなしはどうなったかな、しらない
昨日は次男の送迎時間が雨の予報だったので いつもより早めにお迎えに行きました。 次男は学童が嫌いなわけではないけれど、 家に帰って自分の好きな遊び(というかゲームやyoutube)をやりたい気持ちがあるので、早いお迎えだととても喜びます。 ドアから覗いて次男と目が合うと、予想通り嬉しそうな表情。 普段は仕事でお迎えが最後になることもあるのでこんな場面を見ると 自分の普段の仕事のスタンスに罪悪感がチラリ。 ふたりで手を繋いで帰宅。 「まま、あそんでもいい?」と聞いてくる次男
もう、毎日が偉国日記だなぁ。 今日もまた、朝ちゃんを通して大人が取り繕った真実を。 ※朝が槇生のアドバイスと実母(もういない)とのやりとりで自分の決断に混乱する描写 大人は本当に取り繕いながら、 巧妙に「大人」をするから厄介なんだ。 自分で決めなさい、といいながら いってほしくないほうを選びそうな時には 引き留めてくる。言葉巧みに。 そのうち子どもながらに察するのだ。 「あぁ、私の選択では納得しないんだろうな」と。そうやっていつもいつも、大人ぶった人が先に見た景色が、他人
子どもと過ごす時間が長いと 否応なしに幼少期の自分と比べたりする。 いつもなら気にならないのに ワガママに見えたり、効率悪いことにイライラしたり。 というわけで、偉国日記。 ヤマシタトモコ先生を手中にしていれば無敵。 母になってからの私に、槙生と朝の存在が光になって現れる。 実の親子だって、いびつなんだよなぁ。
毎日なんとなく居るところが そのうち居場所になったりする でも ここがいい、のか ここじゃなくていい、のか 意識してると見えてくるから ここじゃなくていい、が気持ちにあるうちは そのフラグをもちながら過ごすといい。 今は私は家庭が「ここがいい」だから 子どもにとっても「ここがいい」に なってるといいし、そうなるように 日々の声掛けや場作り(気配)を纏っている。 はなさなくてもわかるから、気配で。 纏う空気で安心感とか、一緒にいて心地がいいよと伝わることでやがて記憶になる
他人の話が聴けるようになったら 深く聞かずにいられるように セルフコントロールできるようになった! こどものはなし。 かぞくのはなし。 しょくばでのはなし。 色々なシチュエーションで 聴く自分をうまく切り離すと 上手に聴き切ることができる。 そしてまた、次の場所へ 軽やかに移ろいでいける。
このnoteで 私がやっている活動 ピアリスナーのことをお話します。 ピア=peer 対等に聴くことで 互いの関係性を守り合い、 心地よくなる場を作ります まさにお互いが 聞き役になり、場が聴き薬になる。 そんな場がたくさん増えると やさしい世界になる。 今日も聴き(効き)ましたか?
普段はあくせく仕事しつつも、週末はほぼワンオペなので息子たちと公園をはしごしている至ってフツーの母です。 逆上がりの見本を見せようとして張り切って鉄棒を握りしめましたが、自分の身体がピクリともせず。そう、ピクリとも。 その場の空気をなんとも華麗に吹き消して、さらりとブランコに乗せてただひたすら子供たちの背中を押しました。嗚呼、早く大きくなっておくれ。 そんな日々の中、季節はすっかり春めいて、お店には春服がラインナップされていて気分も明るく華やぐ次期。 皆さんは春服をいつ買い