夏目漱石『坊っちゃん』の、「すべては坊っちゃんの思い込み説」を考察する
中田敦彦さんは夏目漱石『坊っちゃん』の解説動画で、「本当に明確な証拠はないから、坊っちゃんが正義なのかどうかはわからない」と発言していました。この見解はなかなか的を得ていて、確かに赤シャツがうらなりの婚約者であるマドンナを略奪したり、うらなりを左遷させたり、山嵐を免職に追いやったりした明確な証拠はなく、すべてはうわさ話を信じた坊っちゃんの「一方的な正義」であると解釈する声もあります。劇作家のマキノノゾミ氏もここから着想を得て『赤シャツ』という戯曲を作りました。
坊っちゃんは人から聞いたうわさ話を鵜呑みにして暴走してしまったのか。この記事ではそれに関する考察をしたいと思います。
1. 見落とされがちな5章のやり取り
『坊っちゃん』という物語の構成としては、1~4章で主人公や周辺人物、生活環境について紹介されていて、物語が本格的に動き出すのは5章からとなっています。坊っちゃんの思い込み問題を考えるにあたって、この5章が重要になってくるかと思います。
赤シャツに釣りへ行かないかと誘われた坊っちゃんは、断り切れずに渋々ついていきますが、そこで上司にあたる山嵐の悪い噂を吹き込まれてしまいます。生徒をけしかけて宿直している坊っちゃんの布団にバッタを入れさせたとか、坊っちゃんの前任者もつけこまれていなくなったといった内容です。
そして最後に赤シャツは、こんな言葉を投げかけてくるのでした。
その後の展開から考えて、この言葉は「あなたは私(赤シャツ)と堀田(山嵐)のどちらが悪人だと思いますか」という問いかけを、坊っちゃんと読者に投げかけていると受け取って差し支えないでしょう。
2. 山嵐と赤シャツの二人を疑い、喧嘩をする坊っちゃん
「下宿先を紹介するような奴には用心しろ」と言われたこともあって、坊っちゃんは山嵐に対して疑いを抱くようになります(この時点では、赤シャツのことは「声が気に食わない」としながらも、「親切を無にしちゃ筋が違う」とそれなりに信用しています)。
そして翌日の学校で、坊っちゃんは山嵐に奢ってもらった氷水の代金(一銭五厘)を返そうとして押し問答をした挙句、ついには山嵐から紹介した下宿先で乱暴行為を働いているらしいから出て行けと身に覚えのないことを切り出されて、大喧嘩をするのでした。
赤シャツの思惑通り、二人は仲違いしますが、物語が進むにつれて、今度は赤シャツの良からぬ噂が坊っちゃんの耳に入ります。
それはうらなりの婚約者であるマドンナを、赤シャツが略奪したというものでした。数日後には、実際に二人が夜の土手沿いを散歩しているのを目撃してしまいます。
さらには自身の増給の話が、うらなりが半ば無理やり九州へ転任することと関係しているという噂を聞いてしまい、ついに坊っちゃんは我慢しきれずに赤シャツの屋敷に乗り込んで、決別するのでした。
3. 山嵐と赤シャツの善悪を通じて、漱石が伝えたかったこと
こうして経緯をまとめてみると、確かに坊っちゃんは他人から聞いた噂話に振り回されているかのように見えます。実際のところ、最初は赤シャツの噂を信じて山嵐と仲違いをしていますし、その次は新しい下宿先である萩野の婆さんからの噂を信じて、赤シャツの屋敷に乗り込んでいます。
それでは坊っちゃんは、終始人から聞いた噂話を鵜吞みにしていたことになるのでしょうか?
答えはNOです。
坊っちゃんは噂話を信じたのではなく、善悪を相手の立ち振る舞いや人間性で見極めたのです。
夜の土手沿いを歩いているところを出くわした翌日、坊っちゃんはそのことを赤シャツに問いただします。それに対して赤シャツは、「いいえ僕はあっちへは行かない、湯にはいって、すぐ帰った」としらを切ります。
さらにはうらなりの九州転任の真相を問いただした際にも「下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支えないでしょうか」と言ってやり込めようとしてくるのでした。
赤シャツは話をはぐらかしたり論点をずらしたりして、決して自分の非を認めたり、頭を下げたりすることはありません。
そんな不誠実な態度や人間性に坊っちゃんは呆れ、見切りをつけたのです。
山嵐と赤シャツの対立を巡って、作者である漱石は善悪を判断するうえで確かな証拠が出揃うことなんてないのだから、その人の人間性で見極めるしかない、と伝えたかったのではないでしょうか。だからこそ、あえて赤シャツの悪行の現場を直接描こうとはしなかったのですし、例え描かれていないことで鬼の首を取ったように坊っちゃんの思い込みを主張したところで、漱石は苦笑いを浮かべるだけだと思うのです。
4. 漱石の考える「誠実さ」
今度は山嵐の方を見てみましょう。
坊っちゃんと大喧嘩をしたその日の午後の職員会議にて、山嵐は目をぐるぐる回して睨みつけてくるものの、坊っちゃんにいたずらをした生徒たちに対しては、厳正な処罰を与えて謝罪をさせるべきだと主張します。
公私混同することなく、一人の教育者として公平な立場で物事を考える山嵐の態度に、坊っちゃんは感激するのでした(もっともこのあと、宿直の際に学校から抜け出して温泉に行ったことを非難されますが)。
そしていよいよ赤シャツが悪人に違いないと見極めた頃になって、山嵐は突然坊っちゃんに謝罪をします。
自分は下宿先の主人の話を一方的に信じて、君のことを疑ってしまって悪かったというわけです。
例え相手が着任したばかりの新任教師で、なおかつ喧嘩している最中であろうと、山嵐は自分の非を素直に認めて、頭を下げられる人間なのです。
だからこそ坊っちゃんは、山嵐の方が善であると見極め、肩を持つことに決めたのです。
それを意味する漱石の描写がとても爽やかなので、その一文を引用してこの記事を終えたいと思います。
これは余談ですが、山嵐に疑惑の目を向けさせようと良からぬ噂を吹き込んでいる5章の時点で、実は赤シャツが単に八方美人な性格なだけで山嵐のことも好いていたし、陰謀家でもなかったと解釈するマキノノゾミ氏の戯曲『赤シャツ』は成り立たなくなるかと思います。