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斜線堂有紀『星が人を愛することなかれ』アイドルが掲げる〈恋愛禁止〉という建前

 アイドル活動をするうえで「恋愛禁止」というのはあたりまえのルールである認識であるが、もしかしたら数ある職業の中でアイドルが一番恋愛と切っても切り離せないような職業ではないかと思ってしまったのが、本作『星が人を愛することなかれ』

 オムニバス形式となっており、全4章で描かれている共通のテーマは『アイドルの生き様と人間むき出しの恋愛感情』である。世界観は同一で東京グレーテルというアイドルグループのメンバー赤羽瑠璃がどの物語にも近かれ、遠かれ登場する。

 第一章では赤羽瑠璃のファンである男の彼女が主人公で、ひたむきに赤羽瑠璃を応援する彼ははたして彼女よりも自分を愛してくれているのだろうかと疑い続け、固執する物語。
 第二章では赤羽瑠璃が加入する前に東京グレーテルでアイドル活動をしていた経歴を持つVtuberの物語。
 第三章では赤羽瑠璃と共に東京グレーテルで活動する希美が地下男性アイドルグループのメンバーと付き合うが、その男が何股もかけていたことを知り、復讐をする物語。
 そして、第四章は赤羽瑠璃自身の物語。

 どれもアイドルの話を主軸に置きながらも、どろどろとした恋愛感情が絡みついてくる。
 僕はアイドルが好きだけど、推し活動でグッズを買いあさったり、曲を聞きまくったりライブに行ったりするということよりもアイドルとして輝く裏では仲間と練習して、時にはプライベートや合宿で同じ時間を過ごすことで絆を深め、目標であり憧れであるステージに立ち、皆に夢や希望を与える偶像・ヒーローのような存在であるという概念的なイメージが好きで、作品でいうとアイドルマスターシリーズが好きだ。

 しかし、最近の『推しの子』や『トラペジウム』『推し燃ゆ』などはどちらかというとリアリティな表現や感情を含んだアイドル作品が多くなってきて、流れ的にもそちらの作品の方がバズりやすい。
 そういった作品はアイドルが舞台でキラキラのパフォーマンスをして、その裏では努力や友情、根性でファンを喜ばせるために励んでいるという場面はありつつも、キャラクター自身の本性、プライベートでの姿や、芸能活動をする上での駆け引き、芸能界の裏事情となどを見せることでよりアイドルに人間味を感じてもらい、ギャップを楽しんでもらう作品が多くなっていて、本作も後者的な立ち位置だった。

 本作を手に取るときにアイドルと恋の物語と分かっていたし『トラペジウム』や『推し燃ゆ』も読んでいるので僕も段々とそういう作品が好きになっているのだろう。

 だからそんなどろどろとした話を期待していたわけで、自分は『星が人を愛することなかれ』を読んだのだが、この作品もそれだけではなかった。

 例えば第一章ではアイドル赤羽瑠璃という唯一無二の存在に恋をしている彼氏をなんとしてでも自分の元から離すまいと、彼氏が推し活することを嫉妬しながらも黙認して、人生のパートナーとしては自分を選んでくれる欲しいとあがく、彼女(冬美)なりの愛が綴られている。
 それは、ファンがアイドルを推すことは時には好きなアイドルにはスキャンダルがなく、自分が好きではない部分なんて絶対にないと妄信することがあるが、冬美も同じように彼氏は私の事が大切なのだと妄信し続ける。
 つまり、冬美にとって彼氏はアイドルを好きになる時のような妄信も含んだ愛と人生を勝ち取るためのターゲットなのだ。

 第二章はアイドル時代では日の目を浴びなかった雪里がVtuber〈羊星めいめい〉にチャレンジする。
 前半は元アイドル故の、トーク力や対応力が発揮されて人気を確立していく転生モノのような俺強えー系で、後半はめいめいを演じる時間がだんだんと長くなってしまったせいで、雪里とめいめいの境界線が分からなくなり、自身の生活や恋愛がままならなくなってしまうちょっと怖い話でもあるが、最後の彼女の選択は現在の恋愛離れを象徴するような共感性の高い言葉が数々出てくる。

 第三章は東京グレーテルの希美がこっそりメンズアイドルのルイと付き合っていたが、ルイが何股もかけていると発覚してSNSで炎上させることで復讐を果たす物語。
 最初はこの話、ルイと関係を持っていた、自称ルイの彼女達がくだらない痴話喧嘩をすることや希美はアイドルという立場を守るために自分自身でルイの悪行を暴露せず、誰かに炎上してもらうというずるい立場で、すごく嫌な気持ちになり軽く読んでいたが、彼女が復讐に燃えるほど希美はルイを愛していたと気が付いたころには夢中になってしまい、ルイを復讐するためにした行動が実は自分の首をしめていたという想定外のラストは絶妙だ。

 そして第四章である赤羽瑠璃の物語。
 この物語を象徴するキャラクター、赤羽瑠璃、通称〈ばねるり〉はファンを喜ばすためにひたすらに輝こうとしている。アイドルとして挑む姿勢はとにかくストイック、プライベートを明かさず、スキャンダルも当然ない、ステージやメディアに出る姿はまるで黒い天使と言われるようなファンタジックな少女でそこはアイドルアニメの王道キャラ的な立ち位置だった。
 だけど彼女も誰かに恋をしていて、その人に固執するあまり、常軌を逸した行動に出ていたことが判明する。
 赤羽瑠璃がアイドルとして輝き続ける人生を選ぶか、一度きりのチャンスに賭けて愛する人に愛と真実を明かすか、選択する場面は素晴らしかった。

 冒頭に申した通り「恋愛禁止」というのはあたりまえのルールのような認識が広まっているが、アイドルが一番恋愛とは切り離せない職業であると思った本作。
 「恋愛禁止」を謳いながら恋愛ソングを歌い、歌うからには共感性を求められる。
 また、アイドルはサービス業で、ファンなしでは生きていけない。ファンという需要を取り込み夢中になってもらうために、研究や勉強をしたり『ファンが想う理想のアイドル』を指針にすることで求められているアイドルのイメージに近づいていく。
 アイドルが人間であれば人気になっていくにつれて、ファンの中に自分の好みのタイプの人が現れる確率は高くなっていくし、人気者のアイドルとしての自分を創ってくれたファンに対して愛情以上の何かを感じてしまう時があるだろう。
 さらに、メディアに出るにつれて同じメディアに出る人と共演して距離が縮まり、恋に発展することもあるだろう。メディアに出られる人というのは見た目やカリスマ性など大勢の人にはない、特出した何かがあるからこそ出られるのだから、惹かれるのは当然だ。
 そして、メディアはアイドルとしての魅力を引き出すことより、叩けば何か出るだろうと期待してプライベートを追い回す。
 アイドルが「恋愛禁止」と掲げるのはファンや世間を裏切らないためではあるが、そんなの現実世界では無理すぎる構造なのである。

 だけど、そんな無理前提の世界になっても『恋愛禁止』のアイドルは必要だ。『恋愛禁止』という嘘の建前が周知の事実だとしても、ファンはこれからも「アイドルはスキャンダルは起こさない」と信じ続けるからこそ、学校や仕事などの生活で起きる辛い瞬間を乗り越えられるし、アイドルは目的や本位がどうであれ、活動をし続けるには自分をファンを信じて時には何かを選び取り、捨てながら突き進んでいる。
 『進撃の巨人』でケニー・アッカーマンが「みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな…」とは言っていたがまさにこれが現代社会なのだ。

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