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40 自分の考えを遠慮せずに言える

正しいと思うことなのにそれが堂々と言えない。いけないことだと思っても素直に「いけない」と言えない。世の中にはこのようなことがたくさんあります。みんなの周りにもありませんか? たとえば、言いたいことがあるのだけれどそれを言うと「いい子ぶってる」と思われそうで言えなかったり、「いじめ」を目にしても「いけない」と言えず目をつぶってしまったりすることが。何か変ではないですか? 

私はクラスが自由な話し合いのできるクラスになってほしいと思っています。うわべだけではなく本音で話し合えるクラスです。出された意見にはしっかりと耳を傾け、だれも恨んだり、根に持ったりしません。たとえ自分とは考えが違っても人の意見は聞き、その上で反論があれば遠慮せずに言う。これが民主主義のルールだと思うのです。自分に都合の悪いことを言われたり、自分とは異なる意見を言われたとき、それを力で封じ込めたり、屁理屈で応戦したりするのは民主主義のルールからも外れているだけでなく、人間としても恥ずかしいです。そんな集団が良くなるはずはありません。

学校では誰もが自分の考えを堂々と言うべきです。間違っていても遠慮なく言うべきです。他の人に気兼ねして(配慮とは違います)誰も何も言わないのでは向上はありません。誰も成長できなくなってしまいます。お互いに気兼ねして遠慮ばかりしているとクラスの雰囲気は悪くなります。まとまりもなくなります。この人の言うことがいつも正しいなんていうことはありません。先生の言うことが正しいとも限りません。賛成が多いからよいというわけでもないです。ある人にとって正しいことが、他の人にとっては正しくないことだってあります。正しいか否かを判断するのはみんな一人一人です。でも、それを判断するには意見を出し合わなければできないじゃないですか。

だから自分の意見は遠慮なく言ってください。間違っているかもしれないと思っても遠慮せずに言ってください。自分が正しいと思うことをみんなは間違っているというかもしれません。賛同して正しいと言うかもしれません。逆に自分は間違っていると思ってもみんなは正しいと言うかもしれませんし、やはり間違っているというかもしれません。何が正しくて何が正しくないかは時と場所によって変わることもあります。普遍的な正しさは存在しないのかもしれません。

大切なのは「自分はこう考えます」と誰もが言えることです。それがみんなを成長させる原動力になり、民主的な集団をつくる力になるのだと思います。40人の人がいれば40通りの考えがあっていいのです。みんなが同じ考えでなくてもいいのです。「〇〇君が言うから正しい」のではありません。多数の考えが正しいわけでもありません。たった一人の考えが正しいことだってあります。自分の考えが正しいか否かの判断はみんなで話し合いをする中で少しづつできていくと思います。「先生に聞けばいい」なんていうのも安易です。先生だって間違うことはありますよ。お互いに考えを出し合うことが大事です。話し合いが活発にでき、誰もが自分の考えを遠慮なく言えるクラスになるといいなと思います。



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