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支援メモ📝 【 不器用は才能なのだ 】

 創作支援員は まず支援につく利用者の描いた絵の模写からはじめるべきだと思う。いかに彼らがわれわれの常識を越えた世界で生きているかよくわかるからだ。

 彼らのように絵を描きたくても どうしても線が整ってしまう。義務教育で遠近技法パースを知っているだけに どうしても絵が常識寄りになってしまう。そもそも うまく描くことだけが才能と思い込んでいること そのものが 先人の生み出した常識なのである。

 しかし彼らは悠々とその壁を乗り越えられる。そう考えると「不器用は才能」と捉えることができるだろう。

 彼らにしてみれば わからないのだからそうなってしまうだけなのかもしれないが、それができること自体才能なのだ。わからないことそのものが才能なのだともいえる。

 諸君は天才バカという言葉をご存知だろうか。

 これはおそらく赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」から作られた造語で、ある種 想像を超えたバカな連中を冷笑するような用いられ方をするシニカルな言葉なのだが、むしろわたしは敬意を表しこれを好意的な意味で使用する。

 学生時代にこんなことがあった。一人の友人が悪友のノリで「馬」の絵を描かされたとき。どうしても足を5本描いてしまう。いや1本は首なのだろうか。ただ1本の足から顔が生えているように見える。馬というよりは「怪物」であった。それをみて悪友はケタケタ笑っていたが、わたしにとっては衝撃的な絵だった。まずこんな絵は思いつかないし描けない。ホラーとしては出来すぎた絵だと感動までした。

 そういう未知の可能性が不器用さにはあるのだ。

 最近では「塔本シスコ」「アンリ・ルソー」ほか ヘタウマ系、アール・ブリュットなどと評し才能として認められつつある。技量に頼らず、熱量と想像力だけで創り上げた世界だ。そういうものにわたしは憧れるし、もっとそういう世界に近づきたいと願う。まさに障害者アートは、そういう人たちの楽園にちがいない。

 視点を諸君の職場に合わせてみよう。あなたの働く職場の利用者の絵は、あの悪友のように外に出せば笑われる絵なのだろうか。あるいは内心自分でもそう思ってはいないだろうか。

 だったらそれは創作支援員として見直すべきである。なぜなら あなたのやってる支援は「やっつけ」であり 自分がわからないことをわかっていないのに 単にわかったふりをつづけているだけの中身のない創作支援なのだから。

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