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【カッコつけるというのはなんてカッコわるいことなんだ】
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という捩れた美意識が自分にあって(あるのにカッコつけてしまう自分もあって懊悩する)それというのは、おそらく松尾スズキだかクドカンだかが、演劇ぶっく内で似たようなタイトルのコラムを連載していたのに端を発している気がする。つまりはパクリです。
まったくおなじことを考えてたんだからして 自分がオリジナルだと言い切ってしまいたいところなのだが、現実そう甘くはない。うろ覚えだから合ってるかどうか知れんが、たしか松尾スズキだかクドカンだかもパクリだとか言ってた気がする。なので自信をもっていい(何が?)
こうした スゴいこと思いついたけど じつはもう先にやられちまってる 流れは、じつは他の誰にでもあってごく一般的な〝天才錯覚現象〟である。
コレを恥じる大人になりきれない大人をたくさんみるけど、わたしから言わせると べつにいいんじゃね? だ。
どっかの なにか下心があるんじゃないかと疑り深くなってしまうほど矢鱈親切すぎるおばさんから、「それ、もうみんな知ってますよ〜」とピシャリ釘を刺されたら刺されたで、そのときは潔く「あ、そうでしたか。コレはどうもご親切に」と顔ひきつらせて謝っとけば何も問題はない。
わたしはそこにいたるまでの ユリイカ 〜!と裸のままフルチンで風呂場から飛び出したくなる自己の高揚感をこよなく愛す。
が、近年なかなかそれができなくなりつつあるゆえ淋しい。巷には【情弱】なる無情冷酷な言葉も横行し「なにアンタ んなことも知らんの〜」
と、知ってるだけでマウント取ってくるヤカラが跋扈しておる。
それはちがうだろう?と。喉元まで出かかってはいるんだけど、相手のイカついドヤ顔みてると惨敗するは目にみえており、グッと拳を握りしめ、ア!エ!イ!ウ!エ!オ!ア!オ!と唐突に発声練習はじめてアンガーマネジメントするのでした。
社会にネットが蔓延る以前、こうまでして情報に価値を見出さなかった頃は、たしかになにかと不便で、洗脳されやすかったが、それは各々人間が頼りなかったからで、成熟していればもっと自己防衛できたにちがいない。
今さらネットをなくすことは不可能だし、情報網は相変わらず複雑入り組んでゆくのだろうけど、でもだからこそ、切る勇気も必要と思う。
あの頃とちがうのは、知っていながら敢えて断ち切るという自己決定の姿勢。情弱で結構。でもそのかわり 知らないことで 知ってる人以上に ほかの多くを知ることができる。
ほら、子どもを見てごらんなさい。知らないことで こんなにも多くの発見をし こんなにも豊かに知るを楽しんでる。
芸術の域でいうところの、ピカソ、岡本太郎あたりか。後半 彼らは知ってしまったからこそ 敢えて知らなかった初心に戻ろうと尽力した。
これこそまさに 「天才バカ」ではないか。
あ、いきなり耳慣れない言葉で失敬した。わたしは この「天才バカ」とされる彼岸の頂点にあこがれが 昔からありまして。掻い摘んでご解説すると
上記のように「知っていながら 知らんフリをする」行為を呼びます。哲学用語での「無知の知」と言ってしまってもいいかもしれない。でも、それは知らないことを知ることに限定した言葉なので厳密には違う。「天才バカ」というのは 知らないことを知るその先の行為までを指す言葉なのです。
できればほんとうに知らないまま 純真無垢に美しくありたい と願うのですが、ネット網がここまで侵攻しているとあっては それはほんとうの意味での「バ、 否、いまの社会ではこの言葉は完全に蔑称ととられてしまうので
いい改めまして「知恵、 あ、これもダメか。「脳たり、 あ、あ、ダメだダメだ、どうしても蔑称にとられてしまう!まあわたしの言わんとする対象はわかるでしょう。(誓ってわたしは彼らを敬愛しておりますから こういうシーンでの物言いは非常に難儀するのです)
彼らは彼らなりになりたくてなったわけじゃないし、社会でたくさん問題抱えて生きてますから、どうしても話題にしにくいのですが、問題提起のため敢えてタブーを犯すと ぶっちゃけ「奇人」「トンデモ」と呼ばれる類の人たちですね。最近では当たり障りなく「アウトサイダーアート」なんて呼び方もします。(調べてみればいろいろ出でくると思いますが、ヘンリー・ダーガーとかカール・ユンカーとか彼らはほんとうにスゴイ)
脱線積み重なっておりますが、よくもわるくも我々はもう、そうはなれない(この先なってしまう可能性もありますが)。だからこその「天才バカ」なのです。この「天才バカ」的行為が芸術ではピカソ、岡本太郎のような偉業を生みますし、ひいては(やっと本題タイトルに戻ります)「カッコつけるというのはなんてカッコわるいことなんだ」との気づきに着岸するわけです。
これが「無知の知」ですね。その先の「天才バカ」レベルまで進めると、
「ダサいとわかっていながらダサいことをやってみる」になります。有言実行で、わたしは実践もするんですが、まあそれは後々。
以上が、今回わたしがのべつ幕なしに述べたかった毒文となります。だいたい こんなんです、わたし。
最後まで お付き合いいただき ありがとうございました!
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