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花火は観るもの?聞くもの?それとも…感じるもの?
「まーくんは花火のどのタイミングが好き?」
彼女に聞かれたのは2週間位前の話だったろうか。
″大空に花開いている時″?、″散り際″?
″ヒュ〜…の余韻″?
DAOKO×米津玄師の打上花火では、
″パッと光って咲いた″
Mr.ChildrenのHANABIでは、
″決して捕まえることの出来ない、花火のような光だとしたって″
Whiteberryの夏祭りでは、
″君がいた夏は遠い夢の中、空に消えてった打ち上げ花火″
それぞれ表現されているのは打ち上りか散り際の花火の様子である。
加えて、最近は映画館で新潟県長岡市の花火大会の模様が放映されていたり、TVでも隅田川の花火大会が放送されていたり、会場に行かないと見れなかった花火が身近に体験できる様になった。
ただ、本当に身近なのだろうか?
話はここからなんだが、7月27日に八王子の花火大会に行ってきた。
夜空に炎の花が開き、一瞬でそれが散っていくのも確かに感動した。
ただ…、私は花火の音が好きだ。
体の中を撃ち抜かれた後に、内臓に響き渡る重低音。
そう、これは好きなバンドのライブに行った時の感覚に似ている。
…ベース音とバスドラ?
ちなみにこの感覚は直接では無いと味わえない。
……という事は、会場に向かえない人は、この感覚が分からないのか…。
私がまだ僕ちゃんだった頃、祖母に脚が悪いからTVで見れれば良いのよ。
と聞いた事を思い出した。
バリアフリーにノーマライゼーション、ADLに QOL…。
リハビリの仕事をしている私の周りには、できない事に対するバリアを取っ払う目的と、今の状態でも出来る事を模索して心の健康や生きがいを提供しましょう的な言葉が溢れている。
その観点から考えると、花火大会は映画やTVで見れればバリアは取り除けたと思うべきなのだろうか?
前半で挙げた例では、視覚的・聴覚的に花火を感じる事はできる。
ただ、花火には鈍覚(体の中に響く重低音的な感覚の造語)もある。
映像的な認識が強くなると、私がいう鈍覚は伝わらない。
という事は、会場に参加できない人とも私はこの感覚を伝える事ができない。
これは果たして本当にバリアフリーなのだろうか?
最近では特別席と題して料金を払い、良い席を購入させる自治体も増えてきた。
では、車椅子を活用している人や、ベッドから起きられない方が間近で花火を見る席は十分に確保は出来ているのであろうか?
今一度考えてもらいたい。
金稼ぎよりも大切なものを。