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他人をエンパワーメントすること①
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水曜日が終わると、本当に心が徐々に解放されていくのを感じてすごいなって思う。なんというか、それでええんか?って思う部分もないわけではないんだけど、まぁええんよそれでって感じで、とりあえずまた一歩また一歩と、ゆっくり積み上げていくんだなぁみたいなそんな気持ち。一体何を積み上げているのか?シーシュポスじゃないんか?って言われると、それを言ったらなんも出来んでしょって話になるので、そういうお気持ちはいったん無視して、まぁとりあえずやっていく感じですよねぇ。
私は教育が嫌いである。という言うよりも、純粋に教育者という存在がとても苦手である。まぁ、このnote読んでりゃわかるとは思うけど、純粋に私は誰か特定の人に、何かを教えてもらったみたいな感覚はあんまりなくて、使えそうなところを継ぎ接ぎして出来上がった人間であって。そういう人間だからこそ、教育や教育システムは大事だと思う反面、そこに従事する人間に対して、なんというか受け入れがたい感情を持っている。
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一般的には蔑みに近いような感覚なんだろうと思う。これは、おそらく、私の学校時代の記憶が良くないってのがあって、それは本当に人の縁で出来上がっている記憶であるのだから、そんなことはない世界線もあったと思うのだけど。やっぱり、あんまり教師という職業自体に対して、少し小ばかにした態度をとってしまう傾向がある。良くないなと思いつつ、私も含めてほとんどの人間が、ちっぽけな存在であるにもかかわらず、どうして教育という形で、他人を子どもを教えるという職業に就こうと思ったのかと訝しげに眺めてしまう。私なんか、40年生きてきて、他人に教えられることなんて特にないよなぁみたいなそんな気持ちでいっぱいだというのに。
私は自分が正しいと思っていることは有るし、私の経験上、まぁこういうもんかみたいなそういう感じで人生を俯瞰している部分は確かにある。でもそれは、私だからそう思ったりそういう結論になったのであって、他人である誰かも同じような結論になるなんてことはないと思っている。同じ入力情報でも、出力される結果は違う。それが個性・個人・自由意思を持った人間という存在であり、だからこそ世界は多種多様であり豊かであり、そして何よりもそれこそが人生であると思っている。だから、教えるという行為自体すらも、時々鳥肌と共に左手で軽く掴んで放り投げるようなことをしてしまう。
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とはいえ、私たちは、ある程度の経験と地位を社会的に得ると、必然他人に何かを教える或いは他人を導く存在としての役割を求められることがある。正直、本当にそういうことを求められると逃げたくなるのだが、しかし考えてみると、今までの私の人生の中で、意外と私と出会ったことで好影響を与えることが出来た人たちが、数えてみると両手では数えきれないぐらい思い出すことが出来る。年上年下、或いは地位や状況を超えて、まぁ基本的にインターネットで出会ったような人たちが多いので、偶々私よりも状況がひどかったりしていることが多いのだろうというのはわかる。しかし、自分でも本当に意外なのだが、私はどうやら他人をエンパワーメントする能力に長けているらしい。特に成人済みの人間たちの。
これはもうちゃんと言うが、私はあんまり子どもと触れ合うことを好んでいない。いや嫌いに限りなく近い。苦手という認識ではあるけども。これは子どもが苦手であるのも事実なのだが、それ以上にどうやら私の存在や私の発言、動作などが多くの人にとって情報量が多いものらしく、なので不可逆な影響を与えそうで純粋に怖いというものがある。どれだけ自意識過剰なの?と思われるかもしれないが、実際そういうことに出くわしたことがあるので、正直本当に子どもとコミュニケーションを取りたくない。
一方で成人済みの他人のエンパワーメントは、なんとなく感覚で分かっている。単純に、情報量とそのベクトル、そして意思確認という相互コミュニケーションが重要だ。教える・導くという一方的なコミュニケーションでは、歪な関係となることがわかっている。
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多くの場合、人生が停滞している・困っている・うまく行かないといった環境でもがいている人間たちは、まず自分が置かれている状況をうまく整理できていない。意外とこれは、成人済みでかつある程度の学歴のある人たちでもうまく行かないことがある。心理学的にはイラショナルビリーフが無駄に張り巡らされているため、行動パターンが画一化してしまっているというのが問題なのだが、いまいちピンとこないことが多いのだろう。まずここをとりあえず解しにかかる。ただ、多くの人は、自分がイラショナルビリーフを持っているということを受け入れられない。イラショナルビリーフは多くの場合、その人の人生においては成功体験や生存戦略に組み込まれている。だから、それを否定することは、容易にその人の人生そのものや、その人が生きている環境そのものを否定することになりかねない。多くの場合、この否定やイラショナルビリーフの特定に失敗して、エンパワーメントがうまく行かないのだ。
なので、私は基本的に、人生相談に対しては、その人が持っている情報以上の情報を、少し角度を変えて提供することにしている。例えば、恋愛がうまく行かないのであれば、まずは何で恋愛が人生に必要なのかという話をしたり、恋愛をする前に異性と仲良くなる武器があるのかないのか、それはどういう性質の武器なのかみたいな話をする。いろんなところから話を持ってくる。ハムレットやオセローの話をしたこともあるし、アニメや漫画の話をしたこともある。宗教の話・神の話をしたこともあったし、妖怪や皿屋敷の話をしたこともある。恋愛という考え方を時空を超えて解釈しなおしてみると、時々その人は今まで恋愛の話をしてきたのに、ちょっと角度が変わって別の話になってきたりする。これがポイントになる。人間は多くの場合、問題を事象としてとらえるが、本当の問題は解釈にある。解釈にアプローチするためには新しい情報を頭に叩き込んで、頭のクリエイティビティなスイッチを動かしてあげる必要がある。解釈はクリエイティビティそのものであるのだから。こうして、その人に別の解釈の可能性に気付かせることが出来ると、エンパワーメントの第一歩を踏み出し始めることになる。
とりあえず、成人済みのエンパワーメントに必要な3つの要素、①情報量②情報のベクトル③相互意思確認のうち、①の情報量だけで、紙面が尽きた。②・③については明日まとめようと思う。
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