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光あるうちに光の中を歩め(2)(第二説教集21章6部試訳2) #203

原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)

※第6部の試訳は2回に分けてお届けしています。その2回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です):
(22分02秒付近から)




教皇に欺かれるキリスト教国の王

 これよりも嘆かわしいことがあります。市井の人々にとどまらず、若くて経験があまりない君主のなかには、教皇など高位の聖職者たちに利用されてその忠実な臣下であるキリスト教徒を迫害する者もいます。ひとつの国の内にあるキリスト教徒の力を外に向け、他国にいる真のキリスト教徒を迫害して、ムーア人などの異教徒をキリスト教国の領域に入らせてしまう者もいます。また他方では、キリスト教国の君主が教皇の唆しによって起こる内戦や反乱にあまりに腐心したり悩んだりもしています。キリスト教界に共通する敵である異教徒や不信仰な者による侵攻から、自国の兵に他国のキリスト教徒を守りに行かせる余裕も能力もないということも見られています。願わくは臣下の反乱もキリスト教徒の流血も、キリスト教徒の殺戮もキリスト教界の崩壊もまた異教の隆盛も、わたしたちが過去の歴史において目にして耳にするだけでなく、キリスト教徒へのこの現代の圧政として感じることができますように。極めて嘆かわしく目にするに堪えないことに、過去においてのみならず、いまだにキリスト教国の君主や民の中には、神のみ言葉について無知であるままにされていて、教皇とその取り巻きたちによって欺かれている人々もいます。無知という酸味と苦味の強い果実を打ち捨て、すべての人が神のみ言葉に信頼をもって耳を傾けるようになる必要があります。そうして無知がどれほど大きな過ちであり、み言葉を通して神を知るという賜物がどれほど大きくて善なるものであるのか極めて真に極めて明らかにわかります。

無知な者は神の訪れに気付かない

 教皇について言えば、ユダヤ人の祭司がときにそうしていたように、いまでも大言を述べています(エレ18・18)。神は聖なる預言者たちによって人々の無知を指摘なされ、人々を脅えさせられました(詩2・5)。ユダヤ人の祭司は神のみ言葉と律法についての知識を自身からも人々からも遠ざけていたので、神は彼らを遠ざけられて祭司でなくなされました(エゼ7・26、ホセ4・6)。神はまた聖職者のみならず君主にもみ言葉への理解と知識を持つようにお求めになり、それを破った場合には重い罰と破滅を下されます。かの賢者は君主や聖職者を含めすべての人に対して、「知識のない魂は困ったもの(箴19・2)、」「神を知るに至らなかった人々は皆、生来空しい者である(知13・1)。」「愚かな者は目を地の果てに向ける(箴17・24)」と言い、学ばない者は神のみ言葉を知らないために虜囚とされたイスラエルの民がそうであったように(イザ5・13)、大いなる過ちに落ちるとしています。彼らは無知のゆえに「神の訪れの時を知らなかった(ルカ19・44)」のです。救い主キリストを十字架につけ、その聖なる使徒たちを迫害し、無知で盲目であったので、自分が極めて邪で残酷に振る舞っても、多くの者が今日でも無知のゆえにそうしているように(ヨハ12・35)、自分は善にして容認される行いを為していると考えていました(ルカ23・34、ヨハ16・2)。ついには自らの無知と盲目によって故郷も町も、エルサレムそれ自体もそこの聖なる神の教会堂も、すべて極めて恐ろしく破壊され、ほとんどの民が殺害され、残った人々は悲惨にも捕らえられました。彼らにそのようなことをなされたお方は、彼らに対して一片の憐れみも持たれず、同情されることもありませんでした(イザ27・11)。すべては彼らの無知によることだったのです(エフェ4・18、バル3・28)。

み言葉への無知は滅びをもたらす

 自身の目で見ず自身の耳で聞かず自身の心で学びも理解もしない者は悔い改めることも救われることもないと聖書は教えています(イザ6・9、マタ13・14~15、ヨハ12・40)。邪な者は地獄に定められており、自分をそこに向かわせることになった原因である神のみ言葉についての無知をこのように告白することになります。「わたしたちは真の道を誤っていました。義の光がわたしたちを照らさなかったのです。知識の太陽がわたしたちのところには昇らず、わたしたちは邪悪と劫罰の道で耐え、重苦しい曲がりくねった道を歩まされていたのです。わたしたちは主の道を知らなかったのです(マタ13・19)。」

梁に気付かず暗闇にある者は滅びる

 救い主ご自身に加えて使徒である聖パウロもまた、神のみ言葉の無知は悪魔に由来するものであり、自身の目の中にある大きな梁を差し置いて、君主や重臣の目の中におが屑を見いだす無知な臣下とともに陥るというような(マタ7・3)、あらゆる過ちや誤解の原因となるとしています(二コリ4・2~4)。多くの場合、これがあらゆる悪と、究極的には永遠の破滅の起こりです。神の裁きはキリストの福音の光が世に来たときに神のみ言葉を知るという光の中にある人々にではなく、なおも無知という暗闇の中にある人々に対して厳しく下されます(ヨハ3・19)。すべての人は聖書を読んで聞いて(マタ11・15、同13・9、同13・43、ルカ8・8)、求めて学ぶことが求められており(ヨハ5・39)、そのとおりにすれば(詩1・2)、神からそれを理解する力が与えられることが約束されます(マタ7・7、ルカ11・9)。天使が天から諭さなくても(ガラ1・8)、まして教皇がローマから神のみ言葉に反して語っても、すべての人は右にも左にそれずに(申5・32)、死する人間を信じないように求められています(ルカ16・30~31)。

まとめと結びの祈り~光の中を歩め

 神のみ言葉において、君主はどのようにして神に従い民を治めるべきかを学ばなければなりません。神のみ言葉において、臣民は神と君主の両方への服従を学ばねばなりません(申17・14~15、一ペト2・13)。老いも若きも富める者も貧しき者も、男も女もどの位階や性や年齢であっても、神のみ言葉において、いくつかの義務が説かれています(詩118・8~9)。神のみ言葉は眩いものであり、すべての人の目に光をもたらし、すべての人の道と足元を直に照らす明るいランプとなります。わたしたちは無知という暗闇での眠りから目を覚まし、目を開いて、その光を見なければなりません(エフェ5・14)。暗闇での行いから起き上がり、そこにある永遠の暗闇から遠ざからねばなりません(ロマ13・2)。光のある中で光の中を歩み(ヨハ12・35)、光の子とならなければなりません(一テサ5・4~5)。永遠の命に通じるわたしたちの命の階段を昇り、ついにはそれを享受しましょう。光である神なる父は光の中でわたしたちの知恵が及ばない手の届かないところに住まわれていますが(一テモ6・15~16)、わたしたちに世の光である救い主イエス・キリストを遣わされました(ヤコ1・17)。聖霊とともに、一にして栄えある神に、すべての誉れと賞讃と感謝がとこしえにありますように。アーメン。

さきの反乱が鎮められたことへの感謝

 ああ、天におられる慈悲深い父よ、あなたを信じる者の守護者よ、信じる者が扶助を求めて集う確固たる砦よ。あなたのみ言葉への不服従と反乱に対して、また罪深い邪な者に対して、あなたの極めて正しい裁きのほかには何物もわたしたちの聖なる信仰告白に応えるものはありません。わたしたちはあなたの聖なるみ名が無知な者に冒瀆され、反乱という恐怖をもって、イングランドの王国と民すべてがいたく悲しませられるのを目にしました。しかしそれによってわたしたちは安寧への無意識という死せる眠りから目覚めさせられました。この反乱に続く悲惨な出来事のなかで、同胞であるキリスト教徒のきょうだいが厳しく責められました。しかし一方で、一部の扇動的な者はあなたとあなたの臣下である王への極めて恐ろしくい不服従のため激しく鞭打たれました。わたしたちが知るべきこととして、あなたは善性をもって、あなたの臣下を導いて正すにおいて、常に悪意をもった人間の邪悪さを、あなたを畏れる者の益に変えられました。あなたの裁きにおいてあなたの慈悲を覚える者は、あなたの助力によって、あなたの臣下であるわたしたちの女王とその忠実な臣民に勝利がもたらされたことを見ております。父のようなあなたの憐れみと慈悲深い善性によって、わたしたちの行いによってではなくあなたのみ名によって、キリスト教徒の血をまったく流さなかったか、ごく少しを流しただけで、悲しみに満ちたあらゆるキリスト教徒に至上の安寧を与えられました。あなたの大いなる慈悲がわたしたちにもたらしたものについて、わたしたちはあなたに心からの慎ましい感謝を示します。そもそもは厳しい罰を受けるべきだったわたしたちですが、心を慎ましくしてあなたの聖なるみ名を告白し、あなたの聖なる福音の真にして全き教えについて公言することを許してくださるようにお願いをします。わたしたちは真にあなたの祝福されたみ言葉においてあなたを知り、あなたの聖なる教えを守って従順に歩みます。わたしたちはあなたが父として導き正してくださったことを覚え、わたしたちに対してあなたがこれ以上の怒りを持たれないようにします。わたしたちに対するあなたの大いなる慈悲があり続けることを願います。あなたの正しいみ手がこのたびのことにあったように、他のあらゆる侵攻や反乱や危険のなかにもありますように。末永くわたしたちの教会と国土と女王とイングランドの民を守り、わたしたちの後世の者も引き続き、あなたの聖なるみ名を告白し、聖なる福音を公言して、聖なる生涯を送ってとこしえにあなたを讃え続けることができますように。あなたのたった独りのみ子である救い主イエス・キリストと聖霊のみ名によって、あなたにすべての賞讃と讃美と栄えとみ国とがとこしえにありますように。アーメン。



今回は第二説教集第21章第6部「光りあるうちに光の中を歩め」の試訳2でした。最後までお読みいただきありがとうございました。

これで16世紀英国教会説教集の解説と試訳をひととおり終えました。いったんの全訳を終え、日本語を見直してここにお届けしてきました。そうは言ってももちろんまだまだ日本語を磨く必要がありますが、すべての章の解説と試訳をお届けすることができたことをとても嬉しく思っています。

次回ですが、ここまでの解説と試訳を一覧にしてまとめたものをお届けします。また、今後の投稿につきましては、近いうちにお伝えします。まずは一区切り。ここまで本当にありがとうございました。

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