思い違いをするべからず(3)(第二説教集10章1部試訳3) #135
原題:An Information for them which take offence at certain places of the holy Scripture. (聖書の一部に疑いを持つ者たちにかかわる説教)
※第1部の試訳は3回に分けてお届けします。その3回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です)
(14分23秒付近から17秒24分付近まで):
聖とされる人々にも邪な生がある
さて、聖書において神が授けられている言葉を聞いて読むことによって、聖とされている人々が肉的で邪な生を持っていたことの例をみていきましょう。聖ペトロが義のある人として説いていた八人のうちの一人であるノアは(二ペト2・5)、「ぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になった(創9・21)」ことがありました。正しい人であるロトも同じように酔って、その酔った中で、自然の法に反して自分の娘たちと寝ました(同19・32)。アブラハムは、その信仰がまことに立派で、神ご自身の口から「多くの国民の父(同17・5、ロマ4・17)」とされるほどであったのですが、妻であるサライに加えて、その召し使いであるハガルとも肉体の関係を持ちました(創16・4)。族長ヤコブは一度に姉妹二人を妻にしました(同29・30)。預言者ダビデも、その息子であるソロモン王も、たくさんの妻や妾を持ちました(サム下5・13、王上11・2~3)。挙げればきりがありません。わたしたちはこのようなことが神の律法によって禁じられていると知っていますし、これらは現在ではあらゆる公的な正しさに照らして嫌悪すべきものであります。
彼らでも罪を遠ざけられなかった
善良なる者たちよ、聖書にこのような事柄があるのは、それに倣ってわたしたちも同じようなことをしてよいであるとか、このような人々にのみ神はそのようなことをしてよいとされたとかということではありません。むしろ泥酔したノアは神に大きく反しているのだと考えるべきです。二人の娘と寝たロトはおぞましい近親相姦を犯したのです。わたしたちは彼らからこういった貴重な教訓を得るべきです。彼らのように信仰に篤い人物であっても、またその内面では神の霊によって心が神への畏れと愛で燃えていても、自らの力だけでは自身を恐ろしい罪から遠ざけておくことができないということです。あまりにひどく堕ちて、神の大いなる御慈悲なしには永遠に滅びてしまいかねないほどであるのです。
絶え間なく祈り神を求めるべし
悲惨な存在であるわたしたちは、自分自身の中に全く神を感じることがなければ、彼らと同じように堕ちてしまうかもしれません。彼らはそこまでにならなかったとはいえ、自分たちは罪に打ち負かされ呑み込まれてしまうかもしれないことを、わたしたちはどれほど大きく恐れるべきであるのでしょう。彼らでさえ堕ちてしまったのです。わたしたちは自らの欠けているところや弱いところを知る機会を得て、絶え間ない心からの祈りをもって、全能の神が御恵みをもってわたしたちを強くし、あらゆる悪から守ってくださるように、もっと真剣に神を呼び求めなければなりません。弱さゆえに、わたしたちはいつ堕ちても不思議ではないのですが、心からの悔い改めと真の信仰によって立ち直れば、邪な者たちがそうしているように罪の中にまどろむことはなくなります。
まとめと結びの短い祈り
善良なる者たちよ、聖書に書かれている事柄をよく理解し、神の御言葉によるこの聖なる書にあることをわたしたちが誤って理解し乱用することのないようにしなければなりません。またこれを、わたしたちを陥れる網や罠や躓きの石としないようにしなければなりません。聖書を敬虔な慎ましさをもって読み、心の糧を得て、自分自身を強めて満たして導こうではありませんか。あらゆる大切な御業のなかで、神がご自身の大いなる御慈悲で定められたように、わたしたちは神の御前で、すべてにおいて十全であるものになることができます。それをわたしたちに授けてくださる方に、わたしたちを贖ってくださる方に、わたしたちの救い主イエス・キリストに、父と聖霊とに、すべての誉れと栄えがとこしえにありますように。アーメン。
今回は第二説教集第10章第1部「思い違いをするべからず」の試訳3でした。これで第1部を終わります。次回は第2部の解説をします。最後までお読みいただきありがとうございました。
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