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解説 神はいたくこの世を愛された(第一説教集3章3部) #16

原題:A Sermon of the Salvation of Mankind, by only Christ our Saviour, from Sin and Death everlasting.  (救い主キリストによる罪と永遠の死からの救いについて)

第3部の解説をします。テーマを聖句で言えばこうでしょう。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書 3章16節)

第3部のポイントは次の4点です。
①第2部の振り返り~キリストによる義
②キリスト教徒が為すべき神への務め
③神は人を造り御子を人として遣わされた
④まとめと結びの祈り

人間は信仰によって、キリストにおいてのみ救われる、しかしその信仰は人間の力によるものではなく、御恵みによって神から与えられたものであるという、第2部で述べられたことの振り返りがはじめにあります。

わたしたちはキリストに信仰を向けるべきであり、キリストによって救われます。神の価なしの御慈悲と救い主キリストの功績によって義とされます。けっしてわたしたちが持ちうる徳や善き行いによって義とされるのではありません。キリストこそが義をもたらすことのできる方なのです。

このことはしっかり確認されるべく、第3部の前半で繰り返し言及されています。

義認についてわかりやすく言いますと、わたしたちは自身の行いによっては義とされません。

神の御慈悲のみが、御子イエス・キリストの功績や功徳を通し、わたしたちを義とします。信仰によってわたしたちは罪の赦しを求めて直接的にキリストに向かうのですが、神が与えられた信仰によってわたしたちはそうすることができます。

一言ですべてを言い表しましょう。「行いなく、信仰によってのみ、わたしたちは義とされる」のです。

次に、人間は神に与えられた真にして生ける信仰によって価なく義とされるのですが、その前提に立った上でのキリスト教徒の務めが述べられます。そのなかで、「悪魔」が引き合いに出されます。これは当時の英国教会からみた反キリストとしてのローマカトリックを指しているものと思われます。

悪魔でさえも、キリストがおとめから生まれ、飲まず食わずで四十の日夜を過ごし、あらゆる奇跡を起こしてご自身が真の神であることを明らかにされたことを知っていて、なおかつこれを信じています。

つまり、聖書にあることを「信じる」だけであれば誰でもできるのであり、真のキリスト教徒に求められるのはこういうことであると述べられます。

真にして正しいキリスト教信仰とは、聖書にある事柄が真であることを信じるだけのものではありません。キリストによって永遠の劫罰から救われるという御恵み深い神の約束に確かな信頼と確信を持つことです。

これを持たず悪魔的な生活に堕してしまう者たちへの戒めも述べられ、そのあとでキリストを堅く信じ、神の御恵みに感謝することが説かれます。第3章全体のしめくくりとも言える言葉の強さがあります。

神はわたしたちを無から、つまりはただの土くれからわたしたちをお創りになりました。わたしたちの魂をご自身によく似せた身体のなかに据え置かれたほどに、無辺の愛をもってわたしたちを高いところに置かれました。それだけではなく、わたしたちが地獄と永遠の死に定められているというのに、永遠であり不死であって、力と栄えにおいてご自身と同じである愛する御子をわたしたちに遣わされました。御子は人間の身体を有して人性を持ち、わたしたちが持つのと同じ死すべき性質という弱さを持たれました。わたしたちの罪にかわって恥辱にまみれ苦痛に苛まれる死を受け入れられ、わたしたちを義とされようとし、わたしたちに永遠の命をもたらそうとなされました。そうしてわたしたちを神の愛する子に、つまり神のひとり子である救い主キリストとの同胞となされ、天なる神の永遠の国をご自身と共に受け継ぐようになされました。

このように力強く、神がキリストを世に遣わされたのは罪深い人間を憐れんで愛されたからであるということが述べられ、祈りを唱えて第3部は、つまりは第3章は終わります。

今回は第一説教集第3章「救い主キリストによる罪と永遠の死からの救いについて」の第3部の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。

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