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コンプレックス・シリーズ

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コンプレックスのシリーズをまとめています! ノンフィクションの筆者の若い頃のハナシです!
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2024年1月の記事一覧

コンプレックス15

コンプレックス15

「親知らず」を抜いたのもこの頃だ。
これを抜いた経験のある方だけが知っているあの恐怖!
ボクの場合は、更にいくつもの不運が重なった。
エドモントのあった飯田橋は東京の「ど真ん中」というと聞こえはいいが、実際は何も無い、全然オモロクない所なのだ。
唯一あるのが小さな出版社や、小さな印刷屋、あとは病院がやたらと多かった。
警察病院やら日本医科大学付属病院やら、
あっちも病院、こっちも病院という感じであ

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コンプレックス 14

コンプレックス 14

■コンプレックス14

そんなことがあってからムッシュは、ボクに対してどういうわけか優しい対応をしてくれるようになった。

真剣に喰らいついてきたボクのことを「面白い奴だ!」って思ったのかもしれない・・・

人との出会い、そして人とのつながりというのは
こちらの出方次第でいかようにでも変化することを知った。

その後ボクは、レストランから宴会サービスに異動になった。

宴会に異動になった当初、ボク

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コンプレックス 13

コンプレックス 13

■コンプレックス13

飯田橋は病院や出版社が多い土地柄だったが、中小企業も多くあった。
そのような企業が、会社の集まりでちょっとした宴会でコンパートメント利用することもあったのだ。

一人5,000円込々で15人くらいの着席スタイルなんていうカジュアルなリクエストだってあるのだ。

ゲストは、料理が卓上にプラッター盛りで並んでいて、それを適当につまみにしながら飲みたい。
そんなリクエストである。

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コンプレックス 12

コンプレックス 12

■第二章 ホテル・エドモント

昭和60年4月、ホテル・エドモントに入社した。

イタリア軒でスタートしたボクもそれなりに成長していた。

フェヤーモントには3年強お世話になったが、新潟に東急がオープンすることを知り、応募したところ東京で面接をしてくれた。給与も待遇も良さそうだった。

里心が出たのか、、、、
不摂生な一人暮らしにも少々飽き飽きしていたのも事実、

そんなことよりもよりも、恋愛がう

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コンプレックス 11

コンプレックス 11

フェヤーモントは日本のホテルの歴史を紐解くと、必ず登場するホテルである。

昭和39年の東京オリンピックで、海外からのお客さんが泊る施設が絶対的に不足することから、
第一次ホテルブームとなり、ホテルオークラ、ホテルニューオータニ、ホテルニュージャパン、
などの大型ホテルが、間に合わせるかのように続々とオープンした。

しかし、フェヤーモントの歴史は更に古いのである。
日活ホテルや、三番町ホテル、な

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