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朝の散歩にて


昨日にひきつづき、娘たちを送り出してから、散歩にでかける。
今日は、ひとり、身軽できままに。
山の麓にある公園に行こうと決めていた。いつもの散歩は、川を見に行くことが多い。
今日の川もいつもと変わらず朝日を浴びてキラキラときらめきながら、流れていく。(橋の上から眺めた)


川面に近づくと、堤防沿いを走る車の走行音も聞こえなくなる。川の流れていく音しかしない。そういえばマインドフルネスだけれど、次から次へと雑念が沸き上がってくる時には川の流れを思い出して、そこへ雑念をひとつひとつ流していくといい。わたしが思い浮かべる川はいつもこの川の流れだ。


今日は川ではなくて、公園へ。
誰もいない。
これは、公園の貸し切りのよう。
(貸し切り、って大好き。人のいない公園、他に誰もいない温泉、自分しか利用者がいないトイレとか、ラッキーと思う。落ち着く。)
運がいいと、木々を駆け回るリスを目にすることもできるけれど、今日はリスもいなかった。
コンビニで買ったカフェラテを呑んで、一息ついて昆虫博物館の猫二匹を撫でさせてもらって、帰る。


帰り道、小学校の横を通る。
昨日は偶然四女が体育の時間だった。
寒いからか、クラス全員でおにごっごを。
今日はどこかの教室から歌声がきこえたり、ざわめきが風に乗って聞こえてくる。
にぎやか。


先日読んだ、「忘れないでおくこと」の今日マチ子さんのエッセイを思い出す。

もうひとつ、いいことがあった。部屋が通学路に面しているのだ。並びに、小学校、幼稚園、保育園、児童館、図書館がある。住民にとっては、メインストリートだ。朝の慌ただしい時間を過ぎると、お散歩に出かける保育園児たちの声が聞こえてくる。それが10時。11時、彼らが帰ってくる声が聞こえる。14時を過ぎると幼児園児たちが通って行く。同伴の親たちのおしゃべり。それから小学生が大声をあげながら走っていく。ー中略ー
一日中、部屋で一人きりで仕事をしていると誰とも話すことがない。集中できるけど、ときに孤独な気持ちになることがある。そんなとき、窓の外から子どもたちの声が聞こえてくると、心の中がぱあっと明るくなるのだ。

「聞こえる、のさきに」今日マチ子


もちろん子どもはかわいいだけじゃないことにも触れてるのだけど、(そしてそれは嫌というほど経験しているわたしだけれど、そんなわたしでさえも)同感だ。
年をとっておばあちゃんになったら学校の近くに住むのもいいなぁ、と頬が緩んだ。



朝の旗当番も、行くまでは億劫なのに、(この前はとても寒い朝に当たって、厳重装備で臨んだ。)とても楽しい。朝から気持ちが明るくなる。
おばあちゃんになったら、ボランティアで旗当番に立つのもいいな。


うちの旗当番の旗はなんとキティちゃんがついているのだ。(学校から配布された旗を折ってしまったから、夫がわざわざ鶴舞にある問屋さんまで買いに行ったから。夫も旗当番は嫌いじゃない。)
自慢の旗。もうあと少ししか出番がないけれど。

子どもたちは、ちゃんと指摘してくれる。キティちゃんに気づいてくれる(笑)


途中で、霜がおりた雑草や霜柱も見つける。


そういえば、四女は霜柱を知らなかった。
今度学校が休みの日の朝早く、散歩に連れて行って、霜柱を見せてあげたい。
霜柱を踏んで歩くのが、冬の通学路の楽しみだった。
あと山茶花の花びらを一枚ずつはぎながら、(たぶん、花占いをしていた)歩くのが。


今日マチ子さんは、元気な子たちばかりじゃなくて、そのかげに隠れているであろう、声をあげない子たちにも思いをよせている。

声が聞こえる、ということは、声をあげないものもいるということだ。そんなところに想いを寄せるのが私の仕事だ。窓の外の声に耳を傾けつつ、心はその先に。原稿に向かいながら、そんなことをいつも考えている。

「聞こえる、のさきに」今日マチ子


図書館もそんな子たちの居場所だ。学校図書室も。
時々学校に行きたくない時に図書館に来てるけれど、サボっていると思われてないか、心配になる子たちもいるようだけれど、図書館の人たちは、むしろそんな時にはここに来ていいんだよ、と思っています。




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