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娘とうつ病ママnoteの生活はじまり

保育園児だった娘も今では専門学生
主人の帰らない日々が続く中、忘れもしない娘の小学校入学式 
娘「パパは来ないの?」
私「仕事だもんね」
小さい体から溢れる寂しい気持ちが握っている手からもしっかり伝わった今では懐かしいデジカメで、オートタイマー機能で娘と2人並んだ写真本当ならパパもいるはず…と思うと涙が止まらなかった
小学校生活では、義実家が近くにあったため、おじいちゃんおばあちゃんと私の帰りを待つ生活
私は何とか仕事ができるまで回復し穏やかな日々を過ごせていた
私が義実家にいくとパパは自分の部屋に行き顔も合わさない
このままの生活ではダメだと思い調停を申し込む調停時には、私はまだ主人が帰ってきてくれると信じていたが主人は離婚しようの一点張り 
調停員さんも呆れておられた
親権は私が持つこととなり、婚姻費用として養育費は毎月いくらか振り込まれることとなる。
平日は私と暮らし、土日はパパのいる義実家へ行くその生活は中学生くらいまで続いた
娘2人の生活にも慣れていき 小学生のある日娘が陸上をやりたいと言い出した。
陸上をしているパパの影響だった
陸上のクラブチームコーチは旦那のお兄さん夫婦がやっていて、最初は遊び半分だろうと毎週夜間に通わせた。小学校のマラソン大会で1.2年生の時には最後から数える方が早い何番目だった娘。練習や継続することで、5.6年生同じ距離なので合同で走ることとなり、流石に5.6年生に敵わないと思いきや女子で3位でゴールに帰ってきた クラブチームでの大会でも名前を残すほどまでに記録はぐんぐん伸びていく 6年生最後のマラソン大会では1位でゴール これには涙が止まらなかった
陸上とは別に、小学生の間だけだったが、バレーボールもクラブチームに入り強豪チームであったため、中々レギュラー入りは難しくやっと5年生で準レギュラー入りし最終はレギュラーでキャプテン背番号 1 を受け継いだ。
今になって娘にバレーボールは何故そんなに頑張ってこれたかと聞くと
「ママが絶対試合を観にきてくれてたから」
中学 高校でも陸上を続け、私と娘の生活は陸上 バレーボール漬け
女の子は、ホルモンバランスの影響もあったり、体調管理はとても大変で中長距離だったため、毎月、血液検査通い。体作りのメンテナンスのため整骨院通い。食事管理も行い貧血に気を付けながらレースに出場するにも、体調を合わせることの難しさ。私にすれば走るってしんどいやんって事くらいにしか思わない。
娘からすると陸上をやっていると、パパと色んな事が出来て、陸上以外の事も相談や話ができるから。父母それぞれに気を遣わせてしまったんだなと、本当に申し訳ないことをしてしまった。

そんな我が娘は、これまでのスポーツ経験と食事の大切さを学びたいと栄養士になるため勉強中 次は国家資格である管理栄養士を目指している。私の人生を巻き添えにしてしまった形に多いに反省である。


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