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判断理由は「好き嫌い」?

 勤務先のデイサービスにて。
 機能訓練で不正につながり兼ねない行為を見つけた。

 奥さんとの暮らしを笑いながら聞かせてくれる、懐の深い方……だったのだが。
 ここ一、二ヶ月、話題はこのデイサービスでの愚痴が中心となっていた。あの女性職員は送迎の到着が遅い、この女性は麻雀がなにもわかっていない、その女性は口の聞き方がなってない、などなど。
 デイに慣れてきて「楽しい」ばかりではいかなくなってきたのかもしれない。それと、もともとぶちぶち言うタイプなのかも。しかし相手が全部女性であるのが引っかかる。たまたまなのか、下に見ているのか。
 懐さんの新しい一面を知ってしまった中での、この件。一回やるごとにチェックシートに印をつけるルールだが、懐さんは何回かまとめてこなし、まとめてチェックをつけている。端から見たら「一回やっただけで何回分もチェックつけてる」状態だ。

 一回ごとにチェックをつけてくださいね。

 たったの一言。告げるだけができない。お互い和やかに会話をしたことがあるから。それが関係性のはじまりだったから。女性ばかりを悪く言う懐さんに、この頃は恐怖を感じていた。きっとわたしのことも、違う職員にはなにか話しているだろう。ただルールを再確認したらいいだけ。それでも。伝えたわたしに振り向く懐さんは、どんな目をするだろう。

 見ていることしかできなかった。

 おっとり系の上司に相談する。返事はもちろん、

「一回ごとにチェックつけてもらうよう、言いましょうか」

 と。
 ですよねぇ。

「最近、女性のことばっかりぶちぶち言うんですよ。前みたいに奥さんとのこととか趣味の話とかしなくなって、文句ばっかりで……」

 なかなか動こうとしないわたしを見かねて、同じく男性である上司が声をかけにいってくれた。すんなりわかってもらえた。結果、わたしがぶちぶち文句を言うだけの人となった。

 別日。

 洗面所でうがいをするとき、立ったまま身を屈めず、高い位置から水を吐き出す男性がいる。当然水しぶきが飛び散る。今や感染症対策時代だ、その光景をよく思わない利用者も多い。洗面所には椅子も添えてある。座ってうがいしていただくよう、職員が代わる代わる伝えている。
 その日もうがいさんは立って、ゴガァ~ッベェッ! とすごい音で飛沫を散らしていた。

「うがいさん、座ってどうぞ」

 反射的に椅子を促す。うがいさんはうがいをやめて、洗面所周りをペーパータオルで拭きはじめた。

 懐さんとうがいさん、どちらも男性。
 ちょっと気をつけてほしいことを伝えるだけ。

 それなのに懐さんには怖くて言えない。
 うがいさんには平気で言える。

 この違いはなんだろう。
 差があっていいものか?

楽しい思い出、困った思い出

 前述した通り、懐さんとはなんの先入観もなく、楽しく会話をした過去がある。

 うがいさんはどうか。
 うがいさんはこのデイを利用契約する前に、一日無料体験にきたことがある。事前情報から癖の強さがむんむん漂っていた。自分ルールのこだわりが強く、九十年近くこなしてきた「おれのルーティン」を自宅のごとくデイでも発揮する。
 対応に戸惑う職員とは裏腹に、うがいさんはこのデイを気に入ったらしい。それまで通っていた他のデイを辞めて、本利用となった。数ヶ月休みなく通い、慣れたところでさらなる「おれのルーティン」の加速、押しつけが目立つように。職員側としては、ちょっと困るよね、介護士は召使いじゃないのに、と休憩室がため息であふれる。
 しかしながらうがいさんの過去の経歴は聞いているとおもしろい。ただ、その「楽しい会話(思い出)」をとんでもなくかき消すほどに「困った思い出」が多すぎる。

 この仕事って、

 デイサービス→店
 利用者→客

 という立ち位置になると思っている。だから言葉は適切じゃないかもしれないが。
 指摘をできるできないの違いには、

 楽しい思い出→好きな記憶
 困った思い出→嫌な記憶

 が関係しているんじゃないか。
 好きな記憶を好きなまま大切にしたい。
 嫌な記憶が圧倒的に多いのだから、これからに期待を持たない。
 懐さんになにを思われるかわからないことが怖かった。懐さんの中のわたしとの笑った過去、楽しい思い出、好きな記憶をそのままにしておきたかった。嫌われたくないのだ。

 でもデイの利用者→客ならば、懐さんもうがいさんも同じ「客」だ。差をつけていいのか? 嫌な相手にはどんな態度をむき出しにしてもいいのか?

 客という点でも同じだけど、二人とも「困ったことをした人」と見ても同じだ。差はなく同じ。ならば同じく指摘ができなくてはならない。嫌われたくない? そもそも懐さんがわたしを好んでいたかわからないのに。
 好きと嫌いを織りまぜたなら、また新しい関係性ができあがるんじゃないか。わたしの心もまた強くなるだろう。そうか、わたしも一緒に強くなるための、心の機能訓練か。

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