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#006 ダウナー系そぞろ歩き 栄光なきクリエイターたち

前回の記事

noteを見ていると不思議に思う。あるクリエイターには多くのフォロワーがついているのに、ほとんどフォローもされずに淡々と投稿を続けるクリエイターがいる。フォロワーが少ないクリエイターが書く記事はつまらないのか

断じて否

彼らにとっては、他人からどう思われるかなんてどうでもいいのだ。読み手を意識していないから、ややもすると素っ気なかったり、癖が強すぎたりもする。しかし、彼らが書く記事には、ブレない強さや真似ができない自由さがある。

そんな栄光なきクリエイターたちをそっと追ってみよう。わたくし御丹珍の独断によって選ぶ。原則として1記事につき1クリエイターのみを採り上げる。事前に記事で紹介する承諾を得るべきか迷ったが、そもそもフォロワーがいてもいなくても気にしない方々なので、私も思うままに紹介させてもらう。当該クリエイターの方には、この場にてお礼を申し上げます。(文中敬称略


#003において採り上げた右腕は、2024年12月10日に開催された「第8回中国地域女性ビジネスプランコンテストSOERU」において、以下の成績を収めた。

大賞】 中国経済産業局長賞
片桐萌絵 とらでぃっしゅ 代表 [広島県東広島市]
「民俗芸能の運営方法と参加システムのリ・デザイン ~サステナブルな民俗芸能を実現するために~」

お詫び

右腕氏が「栄光なきクリエイター」どころか、栄えある大賞を受賞していたことを知らずに記事を公開し、記事タイトルに偽りがある事態になったことをお詫びいたします。
そして、右腕氏の全国大会におけるご健闘をお祈り申し上げます。

受賞発表の時。

心臓が飛び出るくらい緊張した。

そして今も落ち着けない。

右腕 「ガラスの靴よりハイヒール」より引用

さて、今回は街を気ままにぶらついては、時に胸の内を明かす女性を見てみよう。


しゃーしゃnote

しゃーしゃには記事を紹介することを予め伝えてあるが、詳しい聴き取りまではしていない。クリエイター名には何かしら由来があるかもしれないと考え、Google検索すべく「しゃーしゃ」と文字を入力してみる。すると、検索候補には「シャーシャーの便」がトップに出てきた。
またしても初っ端から申し訳ない。きっと何かの病気なんだろうが、おたんちんは公開の場で書かなきゃいいことも、なぜかわざわざ書いてしまうのだ。食事中の方は失礼しました。しゃーしゃからはこれで絶交されるかもしれないな。きっとこの呼び名が気に入っているんだろうに、何てことを書いてしまったのか。こういう奴だから大目に見てくれい。
これからもよろしくね、しゃーしゃ!

蚤の市

プロフィール欄には食べ歩き日記とあるが、私が目を留めたのは「東京蒐集」だった。
画像投稿らしく、10数枚の各画像にはコメントが添えられている。

ワクワクするよね。所狭しと物が置かれた場所は、異空間に迷い込んだようで。奥に見えるELKの手帳ノートは持っていたな。ELKとは昔のサントリーウイスキーだよ。もう販売終了してから久しい。細密画の図鑑のようなラベルが懐かしいわ。他にもバブル期に流行ったグッズという名のガラクタを探すのも楽しそう。しゃーしゃは東京蚤の市にも興味津津のようだ。

古き良き昭和の純喫茶も好む

うんうん、私はこういうのも好きだ。一杯のコーヒーで時間を潰すために、店に置かれた新聞や雑誌を読み漁ったものだ。次は名古屋に行け。店のレベルは東京に及ばないが、名古屋は住民の喫茶店愛の熱さが違う。喫茶店には待ち合わせや時間調整よりも「たむろ」しに行くとでも言うべきか。オサレカヘもいいけど、なくしちゃいけない昭和遺産だよな。しゃーしゃの食べ歩きで取り上げる飲食店には、定食系が多いのもホッとする。

しゃーしゃが紹介するイベントや店の記事に漂う雰囲気には、「こんな所にいる私って素敵でしょ感」は絶無で、落ち着ける空間を探し求めてそぞろ歩く求道者の風情すら垣間見える。連れの影も感じさせないことから、そのお出かけの多くは、静かに一人の時間を楽しんでいるのだろうか。

ブツブツと本領発揮

新年が明けて半月が経とうとしているが、正月らしい晴れ晴れとした気持ちにならない。むしろ少しだけ鬱々としている。正月特番は一瞬目にしただけで虚しくなったので、テレビはほとんど観ていない。ニュースは不穏なトピックだらけでアナウンサーは不況だ寒波だと騒いでいる。唯一幸せになれるトピックは動物だけという現実もまた虚しさに拍車をかける。どこかの国から買い取った映像を各局で使い回しているのだから、感動もどこか薄っぺらい。街を歩けば外国人だらけで日本人が歩けるスペースはどんどん狭まっている。寒波だと言われていたが、この東京のあたたかさは人口密度の高さによるものなのか。街の混雑を伝えるためだけに上空にヘリが飛んでいる。周りは体調不良でダウンしている人が多い。正体不明のフラストレーションが夫婦の時間もピリつかせる。自分から出てくる言葉が嘘っぽい。時間はあるのに余裕がない。ざわざわする。日本全体、街や人が見えない閉塞感に包まれているように感じる。そんな雰囲気に流されているだけかもしれないけど。時間潰しみたいな毎日で、まるで充実感がない。捉え方を無理やり変えたら、健康で仕事もあってそこそこ不自由ない生活を送れてるのだから幸せの部類に入ると思う。これからこの靄が今より薄くなってくれればいいな。"未来が見えないと不安になるけど、くっきり見えると怖くなる"って大黒摩季の歌詞を思い出した。

(後略)

 しゃーしゃnote【つぶやき】新年の鬱々 より引用

とりあえずは適宜改行したまえ。息を吸ってー、吐いてー、ぱぁー。ずらーっと書き連ねたい気持ちはわかるが、余白が少ないのは読みづらいんだ。
あとな、厳密に言えばつぶやきじゃないぞ。旧Twitterのツイート(つぶやき)と同じ字数の140文字で「つぶやき」という投稿フォームがあるんだ。これは普通の「noteを書く」からの投稿だよ。そしてしゃーしゃが書いている内容は「ボヤき」だ。
しかし、私はしゃーしゃの真価はお出かけの記事よりも、このボヤきで発揮されると思った。しゃーしゃは世の中に覚える違和感や漠然とした不安を隠さない。

感じたままを語る者こそnoteに必要な人材である

noteを読んでいて嫌になるのは、「輝いているこの私を見て」と言わんばかりの承認欲求丸出しの記事を見かけた時だ。Instagramじゃあるまいに。また、なぜか編集部はキラキラ記事を好んで紹介する。「いかにも編集部が好きそうな記事を見つけた」などと書かれることもある。「○○に出会ってから、人生が一変しました」的な記事が多い。したがって、今日の注目記事とか、募集企画には「アッパー系」記事がずらりと並ぶ。読んで面白いなら、明るかろうが暗かろうがどちらでもいいのに、明るい記事ばかり好むのは不思議でたまらない。そこには薄っぺらい上昇志向が見てとれる。

人は強さを競うよりも、自分の弱さを曝し合うことで、共感し結束を強めるのである。おそらく、編集部員はこのことに気づいていないか、なるべく直視しないようにしている。
実を言うと、noteに登録する前の私は、自分を棚に上げて「noteなんて素人の雑文発表会で読む価値無し」と決めつけていた節がある。しかし、探せば自分なりの感性を綴る人も決して少なくないので、noteも捨てたもんじゃないと考えを改めた。しゃーしゃのような沈思黙考型のダウナー系クリエイターのほうが、ずっと深みがあるじゃないか。noteも成熟が進むにつれて、虚飾が減っていくことだろう。

気づいたことを書くよ。記事を書き溜めるのはいいが、一遍にドバッと公開するのではなく、何日かに分けて一本ずつ小出しに公開するほうが多く読んでもらえるよ。
最後に、いけしゃあしゃあと放言ばかりしてごめんね、しゃーしゃ。他意はない。これが書きたかっただけなんだ。頼むから呆れないで。


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