見出し画像

学校5日制が今日の「教員不足」を「持続可能」にしたかも知れない、と妄想的に振り反っていると


戦後7度目の「学習指導要領」の改訂

平成10(1998)年12月告示~小中学校~

実のところこの告示の日付改めて確認したのは最近です

学習指導要領は告示されてから、だいたい3年後に実施されます。

このときは告示が12月でしたので、平成14(2002)年度から実施されています。しかも小学校も中学校も1年生から、だんだん実施する、というものでした。

ちなみに高等学校の指導要領は、1年遅れの平成11(1999)年に告示され、実施も平成15(2003)年度からになります。

改訂の通常の周期よりも1年半近くも遅い告示になり、実施も慎重になったのは、なぜでしょう。

告示も遅く実施も慎重だったのは、なんでか

それは、それまでの学校教育とは、とても大きな変更、改革があったからです。

なんと、学校が5日制、つまり土曜日が休みになる、のがこの学習指導要領からなのです。

土曜日に学校がないのは、それまで教員をやって来た者、私もそうですが、完全に、未知の世界です。

教員だけではありません。

児童生徒も、保護者家庭も、親戚地域の人も、日本中、誰にとっても毎週土曜日に小学校や中学校が休みになるのは、まったくの驚異的な未知との遭遇でした。

その当時、土日が休みになったら学習塾が繁盛する、とか、土日に子どもが家でごろごろされてたら困るので部活動をしっかりやってもらいたい、とか、そのような声があちこちで上がったものでした。

思い出されましたか。

さらにこの学習指導要領の改訂では、教科や領域などの大きな動きもありました。

「生きる力」の育成の具体化を目指した教科の創設

この小学校と中学校の「学習指導要領」「総合的な学習の時間」が出現しました。

小学校の1年生と2年生から社会と理科がなくなり、社会と理科を統合して生活科が生まれたことは前にも書きました。
生活科は、この前の第6回目の指導要領の改訂のときに、統合されたのでした。平成元(1989)年に告示され、平成4(1992)年度の1年生から実施されています。
ここからも、「生活科」と「総合的な学習の時間」は別のもの、ということがわかるはずなのです、が、それはまたの機会にします。

さて、5日制になった学習指導要領に話題をもどします
高等学校では、情報福祉が創設されました。

「生きる力」の育成は、この時点で想定されていた社会の変化に対応するものです。

児童生徒が、自分で課題を見つけ自分で学び自分で考え自分で判断し自分が行動し、社会の変化で起きる問題をより良く解決するための、資質能力が、「生きる力」とされています。

そして、この育成された資質能力によって、生涯学習社会への移行を促すというものです。


その影でこっそりと行われていたこと

ちなみに、これも今回確認したのですが、中学校で英語が必修教科になったのは、この学習指導要領からです。

それまでもほとんどの学校で英語は必修扱いでしたが、法律的大綱としての学習指導要領で英語が教科として必修の立場を得たのはこのときです。

ついでに、中学校高等学校の教科以外の活動として、それまでの指導要領では、クラブ活動(部活動)が明記されていましたが、この学習指導料でその規定が削除されました。

昨今話題の教員の「働き方改革」の目玉の一つである、部活動廃止の問題は、この学習指導要領の改訂のときに教員の業務から外されていて、その後今日まで教員の慣例的な役割となっているのですね。

だから「やらされているから残業だ」とか「もともと仕事でないから残業ではない」とか、話しがかみ合わなくなっているのです。

それよりも、もっと大変なことがあります。

しかも、この大変なことが、その後の学校の在り方を根本的に変えてしまい現在もそれによって、内実は大変ややこしいことになっているのです。


各教科の授業時間数が変わる

学校が週5日制になると

そして、もうここで気づかれた方もいらっしゃると思います。

そうです

土曜日の授業がなくなると、1週間の授業時間数はその分減ります。

小学校の場合で説明します。

1週間の授業時間数は、この指導要領の改訂で次のようになりました。
なお「1時間」は、小学校の場合は「45分」と指導要領に明記されています。

1年生は  850時間 が 782時間。
2年生は  910時間 が 840時間。
3年生は  980時間 が 910時間。
4年生は 1015時間 が 945時間。
5年生は 1015時間 が 945時間。
6年生は 1015時間 が 945時間。

小学校では、学習指導要領でも、1年間を35週としているので、2時間ずつ授業が減るということになります。

土曜日は4時間授業だったのに、減るのは、2時間しかないのはおかしい。

そうです。

それで、この学習指導要領の改訂のときから、それまでよりも平日の授業時間数が増えて児童の下校時間が遅くなる日が増えたのです。

たとえば、低学年の5限目の日や、中学年や高学年の6限目の日が増えました

土曜日が休みになった分、特に平日の子どもたちの在校時間が増えたのです。


さらに教科の創設があると

小学校の場合で説明します。

小学校では、4年生以上に「総合的な学習の時間」が創設され、週3時間を目安にしました。

当然ながら、「総合的な学習の時間」の3時間分何かの授業時数を減らさなければなりません

しかも、1週間の授業時数は、学校5日制のために、おおむね2時間ずつ減っているのです。

そうなると、他の教科や活動の時間をどうしても減らすことになります。

結局、「生活」と「道徳」と「特別活動」以外の全教科と活動の時間が、全学年で減らされました。


どのように教科の時間が減らされたか

小学校の例で説明します。

分かりやすくするために、1年を35週として、1週間に何時間の授業がこの指導要領の改訂で減らされたかを、いくつか示します。

国語で減らされた時間は、1年生と2年生は1時間、3年生と4年生は1.3時間、5年生は0.8時間、6年生は1時間、となります。

これでいったいどうなるの。

端数になっているのは、書写(書き方)で調性します。
国語
の場合、通常の国語の授業をするときと、書写をするときが、週ごとに変わります

そうですね。
今週は「書写」だった、とかの混乱はこのときから始まったのです。
また、運動会の練習や学校行事などの調性でも、この端数を活用しますが、これは、教員側の裁量なので、年度末に授業時数の計算をするときに、あれこれ「読み替えをして確保したことにする」という現実も始まりました。

もう一点、お気づきの方もいらっしゃると思います。

そうです。

1年生と2年生、そして6年生では、国語の授業時間数が、まるっと1時間減っているのです。

これでは勉強ができなくなるのではないか。
    
他にも同じようなことは、算数でもあります。
算数では全学年で、0.6から0.7時間の授業時間が減りました。

また、音楽図画工作は、3年生と4年生が0.3時間5年生と6年生が0.6時間減らされました。

家庭は、5年生で0.3時間6年生で0.6時間、の削減

体育は、1年生から6年生までの全学年で、0.7時間の授業がなくなりました

また、特別活動の時間が、4年生以上が1時間減りました


教科の学習内容の大幅に削減

覚えていらっしゃる方もいると思いますが、小学校の算数で、円周率を「3.14」ではなくて「3」で計算するように、というのが、このときです。

これは、この次の指導要領の改訂小学校では平成20(2008)年告示、平成23(2011)年度実施、まで指導要領では続いていました。

ただ、私のようなやんちゃな教員は、その間もちゃんと円周率を「3.14」で教えていて、これは「それでもよい」と指導要領に明記されていたことです。

この指導要領が実施されたときの教科書が、それまでの半分の厚さ、場合によっては3分の1の厚さになり、内容もスカスカになったのを、今でも覚えています。

あまりの内容の大幅な削減のために、かなり柔軟な内容の取り扱いが各教科で認められていました。

ちなみに、ここで一応お伝えしておくと、教科書はおよそ4年毎に出版社が改訂して、文部科学省の検定を合格したものを、地方自治体などが採択をします。
指導要領の実施と教科書の改訂が同時の場合はよいのですが、時期がずれることもあるために、進級している間に、教科書の連続性が途切れてしまうことがあります

それで、指導要領などにも、削減されたり学習する学年が変わったりした内容についての取り扱いが、詳しく書かれていました。

その内容をきちんと理解して、児童の進級に合わせながら、内容の脱落がないように担任や担当が配慮していれば、学習の遅れや不足は起こらなかった
はずです。

はずです。

けど、現実はその後の指導要領の改訂で再び学習内容が増えて進学するにつれて基礎学力の学習の不足が児童生徒自身の身にふりかかります


この学習指導要領の改訂が与えた影響

指導要領の激変のしわよせ

まず児童生徒に与えたしわよせです。

この平成10(1998)年の学習指導要領の改訂は、学習内容を極端に少なくしたものでした。

そしてその後、次の20(2008)年指導要領の改訂から、授業時間数を増やし学習内容をもとに戻し始めたのです。

これについて、平成10年まで平成10年から、そして平成20年の指導要領の改訂による、各教科と活動の年間の総時間の中で、目立つものを挙げてみましょう。

平成20年の指導要領の改訂では、平成10年の改訂と比べて、次のようになりました。

国語は、低学年がもとへ戻り中学年が少し増え、5年生は減り、6年生はそのままです。
算数は、全学年がもとへ戻りました
社会は少しだけもとへ戻り、理科は3年生が少し増え4年生からは元へ戻りました
総合的な学習の時間週1時間程度ずつ減りました
生活音楽図画工作家庭は、変化なしです。
体育が、1年生から4年生まではもとへ戻り高学年は変化なしです。
道徳特別活動の授業時数は、変化なしです。
そしてここに登場したのが外国語活動の授業で、高学年に週1時間設けられました。

当然ながら、この時間数の増加には、学習内容の増加が大きく反映しています

教科書で言えば、授業時数の増えた教科は、それまでの2倍ほどの厚さに戻ったのです。

これによって、学校教育の制度や現場の教員の不手際によっておこされた学習不足が、児童生徒にもたらされてしまいました。

そしてその学習不足は、その児童生徒本人の、自己責任になってしまったのです。

このように、指導要領の激変が、児童生徒を苦しめたのは、事実
です。

学校教育への不信が生まれた可能性

平成10年の学習指導要領が、平成14(2002)年度の小学校の1年生と中学校の1年生から実施されました。
平成20年の学習指導要領は、小学校では平成23(2011)年度中学校では翌平成24(2012)年度から完全実施されたのでした。

たとえば、平成10年の指導要領が平成14年度に実施されたときに小学1年生の児童は、中学校を卒業する平成23年度まで、平成10年度の指導要領による学習内容で9年間を過ごしてきたということになります

9年間を過ごしたのは、令和6(2024)年現在で言えば、凡そ28歳の方々でしょうか。

この年齢の前後の人たちを待っていたのは、高等学校の指導要領の改訂でした。

この高等学校の指導要領は、平成21(2009)年に告示され、平成25(2013)年度から完全実施一部は平成22(2010)年度から実施されました。

そのために、薄い教科書で9年間の義務教育を終えた子どもたちは学習内容が量も質も以前よりも一段と濃くなった高等学校での授業に取り組まなければならなかったのです

指導要領の先行実施や、途中から急に教科書の内容が変わったなどの経験のある可能性を考えると、現在20歳から40歳前後の方たちは、学校の授業や進学のための学習で、何らかの余計な苦労を強いられたのではないかと想像しています。

そこには、年代によっては、中学校の入試や進学高等学校の入試や進学に大変大きく影響を与え、とんでもない量の「受験勉強」をさせられた方々も出てしまっていたことでしょう。

この世代の方たちの中で、本人もその家庭も、学校や塾の「先生」に、あたかも「学習不足」が「自己責任」のように厳しく指導され、苦労しながら、あるいは学校や「先生」不信に陥ったとしても、私には、その教育に加担していた教員の一員として、「申し訳ありませんでした」と言うことだけしかできません

大学教員になって、その年代と思われる学生たちには、実際に頭を下げたこともあります。

ちなみに教員採用試験の倍率の推移を文部科学省の資料で見ると、小学校は平成14(2002)年から下がりはじめ、令和元(2019)年には一段と倍率が下がり、そのまま下がり続けています。
中学校は、平成19(2007)年に一度大幅に下がり、いったんは上がりますが、平成30(2018)年から令和3(2021)年にかけての下がり方が激しくなっています。

指導要領の改訂と教員採用試験の倍率の因果関係を、考察し分析するにはもっといろんな要因も含めて考えなければならないのは当然です。

ただ、令和元(2019)年に採用試験を受験したのは令和6(2024)年現在で、凡そ27歳ぐらいから上の方々になるのでしょうか

このことから、私には、平成10年からの指導要領の激変のしわよせを受けた中で、学校教育に不信を持ち、教員になるのを避けるようになった方も少なくないのではないか、と思われてしまうのです。

指導要領の激変のしわよせは教員にも

また、令和6(2024)年現在で凡そ44歳から若い方々は平成10年に改訂された指導要領が平成14(2002)年完全実施のあとに、学校で教員になっています。
したがって、その前のことは知りません。

しかも、ひょっとすると現在35歳から40歳前後の教員の方々は、平成20年の指導要領の改訂による学校現場で、大変な混乱と苦労を強いられた可能性があります。

私には、現在の学校で「中堅」と呼ばれ、いろんな役割を担わされている教員の中に児童生徒のときにふりまわされた指導要領の改訂を中心とした教育行政に対する不信感を持ってしまっている方々がいても不思議はない、と思われます。

年齢的に言えば、校長や教頭など、管理職になる世代は、平成10年の指導要領の改訂の前を経験しています

中には、初任の頃に経験したその時代の学校が、今でも基準になっている管理職もまだいるかも知れません。

その管理職の学校の原風景は、土曜日も学校があり生活総合的な学習の時間なく学校行事などができる特別活動の授業時数も確保されています。

それでも、特別に積極的で能動的に、今の学校の状況に向き合おうとする管理職は、まだいいです。

困るのは、ICT関係は自分の仕事か視聴覚教材の印象英語に関する教科や活動は自分は授業しないから直接には関係ない特別支援教育はもともと「特殊学級」、などを潜在的に基本姿勢としている管理職

そして、これら潜在的な姿勢をもとに、指導要領の改訂で新しく示されたことの具体化は、担当者や教員全体に、丸投げする管理職

特殊学級」とは「障がいを持つ児童生徒を対象とした少人数の学級」で、平成18(2006)年の教育基本法の改正で「特別支援」名称も考え方も大幅に変わりました。

ということは、今回話題にしている指導要領改訂による激変の最中に、「特別支援学級」や「特別支援学校」が現れたので、実際のところは、児童生徒も保護者も地域も、そして教員も、はっきり言って自分のことで精いっぱいであったと思われます。

このあとも指導要領の改訂と実施は今日まで続き、時代の変化に合わせてどんどんと期待される内容が上積みされています。

さらにこの次は平成9(2027)年頃に告示で、平成12(2030)年度から実施と予想されています。

このような、教員としての仕事に関しての度重なる変化と新しい内容の導入が教育現場で働く者を疲弊させます

そのことから、教員たちから図らずも「負」の状況や印象が「教師のバトン」などとして「発信」されることにもつながっていると考えられます。


今日の学校につながる諸問題

学校現場での時間割や担当者の煩雑さ

まずはどうしても、学校の授業時間数が1週間で何時間というようにきちんと数えられなくなった問題から取り上げなければなりません。

今では当たり前のようになった、あの、斜めの斜線で教科や活動が2つ書かれている時間割表です。

それが中学校などで以前からあるような、「A日課」「B日課」のような単純なものならまだマシです。

ここに、入学式や卒業式、運動会、文化的行事などといった特別活動的な行事が入るとそれをその授業時間数としてカウントしなければいけません。

私は音楽の専科も何年も経験してきましたので、最初に音楽を例にして、状況の説明をします

1年生と2年生は週に2時間ずつ音楽の授業があります。
ただ、低学年の場合は、音楽を担任が担当する学校も多いので、時間割表には音楽となっていても、担任の裁量で別の教科や活動に変えることも可能です。
学期末や年度末に、授業時間数の報告のときに、実際とは違っても週に2回やったことにしておけばいいだけのことです。

ただし、音楽鑑賞会や集会的な行事での音楽活動などがあると、それがたとえば2時間続きで行われたときは、反対に、その活動のために置き換えられた他の授業をして、通常の授業から2時間減らさなければなりません
これをやらないと、学年や教務が点検して集計するときに、時間数の過不足を指摘されることになってしまいます。

はっきり言って、こういう事務的な作業が、労働時間を超過させるのです。

3年生と4年生は年間で60時間です。年間で10週間は、音楽は週1回にすればいい、ということになるのですが、低学年と同じように、何かの音楽に関係した行事があれば、場合によってはそちらを授業時間として数えなければなりません。

5年生と6年生は年間で50時間ですので、低学年や中学年と同じようなことを考えた上で、ほとんど週1時間の音楽になりますので、授業そのものの工夫も相当に必要になります。

学校によって異なりますが、高学年の場合は、卒業式や入学式で国歌、校歌、卒業する曲、送り出す曲などの演奏をすることがほとんどです。
卒業式の練習で、1時間まるごと歌の練習などということは現実的にはありません。何回かの卒業式の練習や準備のときに10分とか20分とか時間を設定します。
それをあとからまとめて、2時間分、とか授業時数に入れるのです。

簡単に説明したつもりですが、それでも、くどいと思われた方。

これは音楽のおおまかなことを説明しただけです。


学校の授業を成立させるための雑務

そうです。

同じように、図画工作家庭書写体育も、年間の授業時数を合わせなければなりません。指導要領によっては、国語社会算数理科も、年間の授業時数を合わせなければなりません。

そして実際問題は、授業時数の数合わせだけには留まらないのです

私の経験では、書写の毛筆の場合は、外部から専門の先生に非常勤講師として来て頂くことが多くありました。

仕事ですから、時給が発生します。専門の先生は、お弟子さんを教えていたり、学校の掛け持ちをしていたりするので、予定をすり合わせなければいけません

年度初めに時間割を組むときの作業は、これまた、外部の方との契約のことも加わりますので、大変なことになります。ここに突発的なことが起これば、補修や変更も必要になります。

常勤の場合は、授業のない時間は他の教科のTT(複数指導)をしたり、出張や病kで欠席した教員の学級に入ったりします。

昨今話題の教科担任制については、私は、非常に連携のとれた学年担任の先生たちが、自主的自発的に国語理科算数などを学級相互に入って効果的で機能的で、さらには、学年の児童を学年の担任団で指導する、という事例を、その発端から年度末までその学年の副担任的な立場で見た経験があります。

ただ、ここでの問題も、授業時間数で、その実際の数を合わせるための調性は念入りにしていました。

ここで一つだけ付け加えることがあります。

それは、6時間の授業をずっと教員が受け持つのは実際には不可能ということです。
若い頃に私は調子に乗って、それをやったことがありますが、何カ月も続けると身体を壊します。絶対に、1時間は「空きコマ」が必要です。

「空きコマ」は休憩ではありません。

当然ながら、「空きコマ」は心身の休養にもなりますが、次の授業の準備や提出物のチェックや、授業をするためには必ず必要なものです。

これは現場で教員を経験した者でなければ、わからないことだと思います。


教育は生もの

たった1時間の「空きコマ」では足りないから、児童が下校したあとにも、授業に関連した業務をしなければなりません。

低学年では、給食時間も目が離せませんし、業間も児童の安全管理などが必要です。
そんなときに、授業の準備や提出物の点検などはおろか、自分の給食を食べる時間もトイレに行く機会もない、というのが常です。

もう一度言います。

これは現場で教員を経験した者でなければ、わからないことです。

教育について何かを語るなら、政治家でも大学教授でも、教育研究者でも、
学習塾や放課後デイサービスではなく、学校そのものの教員の経験を、最低3年はやる必要があると、私は強く思います。

点と点ではなく、その結びつきを考える。大事なことです。

しかし、かつての恩師をなつかしむ政治家の方は、その恩師が見えないところでどれだけ仕事をしていたか、知っていますか。

教育学者の方は、教育や児童生徒が、授業にかかわったときの「よそ行きの姿」から、文献や資料の中にある、あたかも昆虫採集の標本のように、観察しやすいようにじっとしてくれていると、勘違いしていませんか。

学習塾や放課後デイサービスの講師や担当者の方は、最初から保護者が我が子が外に出されないように、とてつもなく遠慮をしているのを、わかっていますか。

今の学校の教員は、自分たちが児童生徒のときに経験した学校教育に不信感を持ちながらも教員になりました。

そして、次々に課せられる新しい事態に懸命に対応しながら、予定していた授業の準備や事後処理の時間を、急務とは思えない研修会や突発的な保護者からの連絡などの対応に奪われてしまいます。

勤務時間前から学校に行き、勤務時間後も学校に残り、土日も出勤し、心身ともにへとへとになりながら、かろうじて教員として立つ日々を送っている人も少なくないのです。

政治家や教育学者や学習塾の優秀な講師の方、3年、学校の教員をやってみてから、ご自身のお仕事に戻られたら、どうでしょう。

きっときっと、日本の未来はずっとずっと明るくなると思いますが、いかがでしょう。


教員不足の「持続可能」に対して

ブラックから抜け出せない学校

この文章を書き始めてから、実はかなり日数が過ぎています。

最近は、オリンピックに参加するようなアスリートを、体育専科の教員にするということが話題になっています。

以前には、教員の「残業手当」に当たる、教職調性額を4%から13%に引き上げる案も示されています。

この2つの間には、かなり前から奨励されながらなかなか実現しない、小学校の教科担任制の導入も、改めて言われています。

ほかに、教員採用試験の日程の全国的な前倒しや、年度内の2回目の募集をする地方自治体が現れるなどもありました。

文部科学省を中心とした教育行政側は、どうしても、教員不足を解消したい、のです。

しかしながら、どれについても学校現場の教員からの反発や批判の声がたくさん上がっています。

その要点は、どれも、基本的に教員の仕事量を減らすことに具体的に実現するものではないと考えられるからです。

そこには行政側の案とは相反する学校や教員に対しての保護者や地域や世間からの要望や厳しい声も、大きく聞こえることが関係しています。

夏休みを減らせ部活をなくすな不登校の対応をせよいじめの加害者をかばうな学校関係の活動で起こった事故は教員が責任を取れ家庭内での子どもの躾けも教員がせよ・・・。

教員の中には、このような要望や声に耐え切れずに、休職する者、退職する者、学校内外での事故犯罪を起こしてしまう者、などが相当数に増えています。

このような学校の様子や教員の姿を目の前で見ていて、他の就職ではなく教員になろう、と考える人たちがどれほどいるでしょうか。


持続可能性と教員不足の因果関係

「SDGs」は「Susutainable Development Goals」を略したものです。
2016年から2030年の15年間で達成すべき「世界共通の目標」として、国連加盟の全193カ国で採択されたものです。

2016年と言えば、平成21(2009)年に告示された高等学校の指導要領が完全実施された2013年度に高校生になった者が、大学へ進学した頃です。
前にも言いましたように、薄い教科書で9年間の義務教育を終えた子どもたちが
学習内容が量も質も以前よりも一段と濃くなった高等学校の学習に悪戦苦闘して、ようやく大学へ進学し始めた頃です。

この世代の人たちにとっての学校教育は、のびのびと過ごした義務教育の期間から、いきなり「学力不足」に直面させられ、それを補いながら、さらに高度な学習を積み重ねることになる、という、翻弄の持続でしかない、と言うと言い過ぎでしょうか。

平成18(2006)年4月の閣議決定された環境基本計画では、持続可能な社会を次のように定義しています。

「健全で恵み豊かな環境が地球規模から身近な社会までにわたって保全されるとともに、それらを通じて国民一人一人が幸せを実感できる生活を享受でき、将来世代にも継承することができる社会」

先に、教員採用試験の倍率の推移を文部科学省の資料でおおまかに説明しました。
小学校も中学校も、その倍率が下がり始めるのが、持続可能な社会の定義が閣議決定された平成18年頃です。

これは、不思議な偶然、と言ってすませられることでしょうか。

「国民一人一人が幸せを実感できる生活を享受」しているはずの頃から「教員不足」の兆候が始まっているのです
そして「将来にも継承」されていることが予想されるのが、この「教員不足」なのです。

指導要領の激変に、本当に翻弄された世代の人たちです。

その人たちは、学校で「幸せを実感できる生活を享受でき」ていたのでしょうか。

また、その人たちが、激変によって振り回された経験のある学校を「将来世代にも」率先して「継承する」とは、考えにくいことではないでしょうか。


妄想的な、あまりにも妄想的な

「教員不足」は日本の将来を担う子どもたちの資質や能力を養い伸ばすための大変重要な問題です。

それを憂いながら、最初はたわいもない妄想を書き始めたはずでした。

気が付くと、あれこれと年表や資料などを確認しながら、たわいもない妄想が、たわいもなく膨れ上がって、正直に、収拾がつかなくなっています。

文化。

妄想的な文章を書き続けているうちに、思い浮かんでいたのが文化、です。

文化、がない。

文化的な要素が、ない。

いきなりですが、私は、行事のための音楽は、好きではありません。
もちろん、音楽の行事は、好きです。

また、その国や地域が、精神的や経済的に追いつめられると真っ先に見捨てられるのが文化や文化的なものである、ということも頭の中で渦巻いています。

授業時間数でも、音楽図画工作、さらに、書写といったものは、今後、さらに減らされることはあっても、再び小学校や中学校で各学年週2回に戻る可能性は、限りなく無いに等しいと思われます。
むしろ、音楽など、単独では教科ではなくなるか、芸術文化的なものは、特別活動や、総合的な学習の時間や英語関連の学習の一部になることも、現実に耳にするようになってきています。

情報福祉家庭技術、といったものは、社会の変化への対応のために教科として持続する可能性があると思います。
小学校や中学校では、総合的な学習の時間のようなものが、今後は、情報や福祉を中心としたものとなっても不思議のない時代です。

今も、文部科学省の「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」が、中秋の名月の日に第15回会合を開き、学習指導要領の改訂にあたって大筋で合意した、という記事を読みました。

学校教育に関する、この文章作成時点では、最新のニュースの一つでしょう。

そこには、総授業時数については現在以上に増やすことがないよう検討すべきだということを明記した、とあります。

その上で、各教育委員会の判断や学校のカリキュラム・マネジメントによる、各教科等の標準授業時数に柔軟性を持たせるといった裁量の拡大、年間の最低授業週数や単位授業時間の取り扱い、の検討がなされたとのことです。

まさに、学校から音楽教科が消えてゆくのを宣言されたように、私には感じられてなりません。


つけたし

次の指導要領の改訂の大筋を検討した方々

今年の中秋の名月の日にあった、次の指導要領の改訂の大筋を合意した、という「有識者会議」は第15回目のものでした。
この会議に参加してきた「有識者」の方々を、文部科学省のホームページで見ることができます。

「有識者」として「協力」した方々は10名で、それぞれのお名前と肩書が記されています。
肩書は、大学の名誉教授が2名大学の教授・准教授が6名、文部科学省の管轄内の独立行政法人教職員支援機構の理事長1名、そして地方自治体の教育長1名、となっています。

中には、教員や教員になろうとする人が、その考え方に共感し、講演や著作で、その方の「教育学」を懸命に学んだ、という方のお名前もあります。

この10名の方々は、第1回目の令和4(2022)年12月から今回の第15回目(令和6年9月)まで一人も変わっていません

また、この10名の「有識者」のほかの人に、必要に応じて「協力」を求めたり、関係者の「意見」を聴くことができることにもなっています。

今回の参考資料にある「検討経緯」を見ると、実際に、第8回(令和5年10月)から第 11 回(令和6年4月)まで、と、第 13 回(令和6年7月)は、10名の「有識者」以外の参加者もいます。

それは、他大学教授国立教育政策研究所教育課程研究センターなど機関、からの発表や意見交換、研究開発校からのヒアリングとして、地方の教育委員委員会や国立大学附属高等学校、からのヒアリングと意見交換などです。

さて、このような「有識者」と協力者によって、3年にわたって「検討」され大筋がまとめられた次の学習指導要領は、必ずや「持続可能」に陥っている「教員不足」を、払拭するものであって欲しいと願わずにはいられません。


合意された「大筋」で気になること

次の文章から何が読み取れるでしょう。

学習指導要領の分量や教職員定数といった教育環境のいずれか一方で全てを解決するといった短絡的な議論に陥ることなく、負担が生じる原因に丁寧にアプローチし、教育課程と教育環境整備が全体として機能するようにすべき

今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第15回)配付資料より

教育内容や授業時数の「全体」を減らすことはしない。
社会の変化に応じて「必要とされる要素」を積極的に取り入れなければならない。
教員の人数を無暗に増やすことを解決策とはしない。
負担の増加に対しては、全体が機能するように、うまく調性して、なんとか不満や批判をかわすようにするのが、教育委員会や管理職の「手腕」である。
云々。

うーん。

今回の「大筋」には、「教員不足」を解消するような視点は、あまり、意識されていない、ように私には読めます。

文部科学省が、手を変え品を変え、躍起になって「教員不足」を解消しようとしているのに、次の学習指導要領も、それはほとんど反映されているようには見えません。


長くなった文面の最後に

本人らの意志とは関係なく、国の教育政策によって「ゆとり世代」と称されることになった人たちのことを、これからも「持続」の可能性がある「教員不足」と関連付けて、書いてみました。

以前にも私は、「ゆとり教育」を高く評価し、「ゆとり世代」がこれからの日本を豊かにすると期待できる、という文章を書いて出版社に売り込んだことがあります。

「内容は、大変面白く、読んでいて参考になることが多い」といくつかの大手出版社からお返事をいただきました。が、最後に、「伊東さんがもっと有名人なら、きっと売れるでしょう」とのことで、「自費出版なら」というところもありましたが、断念しました。

その文章のなかで、私は、「たとえば、ゆとりを活用して、スポーツや芸術で国際的に活躍する人が必ず育っている」と言いました。

これは、どうでしょう。
この世代には、現在までに、野球や体操やスケートで、国際的な活躍をしている人たちがいますね。

芸術文化の面では、少し遅れて現れ始めています。

もっとも、「ゆとり世代」で活躍している人は、その後の、学校教育の激変から脱出して個人で道を究める環境に恵まれた、という幸運もあるようです。

「ゆとり教育」が、「不登校」や「中途退学」、場合によっては「国外留学」などに「進化」して、個人で道を究めることを、より若い世代に道をつけた、とも言えるかも知れません。

さらには、あえて激変を乗り越えることで、一人で多方面の才能を開花させる力を鍛えられた人もいるようです。

しかし、公教育には公教育として、個々の置かれた環境に、全ての児童生徒の可能性を委ねることはできません。

それにしても、今、あらためて、私が素朴に思うことがあります。

「ゆとり世代」が「ゆとり」を求めて、何が悪い。

いいなと思ったら応援しよう!