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一度は読んでおきたい名作揃い!シェイクスピア全作読破したうえで必読本をおすすめします!

シェイクスピアという名前を聞いたことがない人はいないでしょう。世界一有名な劇作家と言ってもいいかもしれません。でも、すべての作品を読んだことのある人は少ないのではないでしょうか?

2021年に25年かけた最新版の翻訳全集が出版されました。松岡和子さんという方が、たった一人で訳しきったのです。(すごい!)

全33巻、すべて読む価値がありますが、それは現実的ではないですよね。
なので、全作読んだ私がいくつかのタイプごとにおすすめセットをご紹介します。
おすすめ以外の作品もすべて紹介していますので、ぜひ最後まで読んでみてください。

シェイクスピアってどんなひと?

おすすめ作品の紹介の前に、シェイクスピア本人を少し説明しておきましょう。


ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616年)は、イギリス(イングランド)生まれの劇作家・詩人。
日本で言えば、戦国時代・江戸時代あたりの人物です。
1591年『ロミオとジュリエット』が発表された年に、日本では豊臣秀吉が太閤になり、1603年『オセロー』発表年には江戸幕府が開かれ、シェイクスピアが亡くなった1616年に徳川家康も死去しています。

ちなみにシェイクスピアは、プライベートなエピソードが少なかったり、一人の人間にしては名作が多すぎるという理由で、複数の作家が使っていた共有ペンネームだったのでは?という説もあるそうです。
それはそれで、ミステリアスで面白いですよね。

また、私が読破したシェイクスピア全集は、2020年に訳了したばかりの最新版です。なので、現代的な言葉遣いになっていて、他の訳よりは読みやすいと思います。
細かなことですが、同じページの下部に注が載っているので、いちいちページを行ったり来たりせず楽に読めます。

シェイクスピア全集の紹介

私が読んだシェイクスピア全集は、全33巻(34作品収録)です。ざっと一覧で見てみましょう。

シェイクスピア全集作品一覧(全集順)
★は四大悲劇/喜劇と呼ばれるもの

これは外せない! シェイクスピアの四大悲劇

シェイクスピアの数ある作品群の中で、やはり四大悲劇といわれる『ハムレット』、『マクベス』、『リア王』、『オセロー』は外せません。
読んだことはなくても、名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。他作品と比べて上演機会が圧倒的に多いですし、これらの作品にインスピレーションを受けた作品も多いです。
この四作を読めば、他の作品も楽しめるようになります。

では、それぞれの作品の魅力を見ていきましょう。

『ハムレット シェイクスピア全集1』

ゲーテもニーチェもフロイトも魅せられた シェイクスピア悲劇の最高傑作

デンマーク王子ハムレットの元に、夜な夜な亡霊が現れるという話が届く。それは先日亡くなった父王で、弟である叔父に殺されたと語る。叔父は父の代わりに王になり、さらにハムレットの母を娶った。ハムレットは復讐を誓い、狂った演技を始め…

シェイクスピア悲劇の最高傑作です。
読んだことはなくても、タイトルを聞いたことがある人は多いと思います。

さて、『ハムレット』ですが、魅力の一つは有名で頭に残るフレーズです。
例えば、
生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ。
To be, or not to be. That is the question.
尼寺へ行け!
Get thee to a nunnery!
あとは、沈黙。
The rest is silence.

小説ではなく戯曲なこともあり、魅力的な会話が盛りだくさんです。自分のコレ!というセリフも見つかるかもしれません。

また、ハムレットは欧米で特に皆が知っている物語で、他の作品へも影響も大きいので、それらの理解にも役立ちます。
例えば、ミレーの傑作『オフィーリア』。

オフィーリアは『ハムレット』の登場人物です。
読んでおくと、この絵画がどんなシーンを描いているのか、なぜ彼女がこのような表情なのか、など理解が深まります。
ちなみに、この絵を見た夏目漱石が「風流などざえもん」と評したのは有名です。

ぜひ私と一緒にシェイクスピアを追ってみませんか?

『マクベス シェイクスピア全集3』

身の丈に合わない野心の行く末は…

スコットランドのダンカン王に仕える将軍マクベスは、3人の魔女と妻に背中を押され、王を殺して自らが王になることに成功する。これですべて思い通りかと思いきや…

『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と比べても短いので、読みやすいです。個人的には、『マクベス』はよく舞台化されている印象があります。

訳者の松岡氏がとても興味深いことを書いています。

マクベスとマクベス夫人は、言ってみれば一卵性夫婦だ。目的も行動も密着している。少なくともある時点では。

『マクベス』訳者あとがき

日本語は主語がなくても話が通じますが、英語は必ず主語が必要です。主語が「I」ではなく「We」である箇所が多いことに気づき、マクベスだけの意見ではないことがわかるような訳にされているそうです。

ちょうど私が読んでいた時期に、天海祐希さん主演の『レイディマクベス』という舞台が行われていました。

これは、まさしくマクベス夫人が主役の舞台です。
マクベスと一卵性夫婦のマクベス夫人。名前すら与えられなかったのに、大きな影響を及ぼした彼女。

実は前からこの舞台を見たくて、早めにチケットを買おうと思ったのですが、即完売。しかもキャンセル待ちまでいっぱいでした…

『リア王 シェイクスピア全集5』

誰にとっての悲劇か…?

老王リアは三人の娘に領土を分配しようとする。リアは甘言で喜ばせた二人の姉(ゴネリルとリーガン)にすべての権力・財産を譲り、率直な言葉を放った末娘コーディリアを勘当してしまう。この決断が悲劇を生むとも知らずに…

四大悲劇の一つではありますが、『ハムレット』『マクベス』とは異なり、見ようによっては悲劇ではないかも、と現代を生きる私は思ってしまいました。

これは誰にとっての悲劇なのか?
確実に言えるのは、末娘のコーディリアにとっては悲劇です。
幸せになった人がいないという意味では、全体を見ても悲劇といえます。ただ、Amazonの紹介文にも書いてあった「老王の悲劇はここから始まった」という言葉には、少し違和感があるのです。
解説にもあるのですが、それはこの物語が古い世界と新しい世界がぶつかり合っているからです。

本作が書かれた当時は、甘い言葉に惑わせた老王の悲劇としてとらえられたでしょうし、正直者を見極められないととんでもないことになるという教訓も含まれていたのかもしれません。

でも、少子高齢化社会を生きる現代人が読むと、ゴネリルとリーガンの考えにまったく共感できなくもないのです。

『リア王』は古い世界と新しい世界がぶつかり合う作品である。一見したところではゴネリルやリーガンは単なる悪い奴らにしか思えないかもしれないが、彼女たちの立場に即して作品を読み返せば、 彼女たちにも彼女たちなりの理屈があることがわかる。すなわち、彼女達にとってリアは、父である以前に旧体制の象徴として新体制を妨げる迷惑な存在となり、やがてはフランスと通じて新ブリテン国を脅かす脅威となる。『リア王』には悪党の悪意によって善人が苦しむというお伽噺のような側面だけでなく、極めて政治的な側面もあるのだ。

『リア王 シェイクスピア全集5』解説 裸の王様ーー不必要な衣装を脱ぎ捨てて 河合祥一郎 より

ぜひいろんな方の感想を知りたい作品です。

『オセロー シェイクスピア全集13』

嫉妬という化け物は誰にでも取り憑く…

若く美しい妻デズデモーナを娶ったムーア人の将軍オセロー。仕事も私生活も順風満帆かと思いきや、部下のイアゴーがオセローにデズデモーナの浮気をほのめかし…

読んでいて、「そいつを信じたらダメだよ!」と教えたくなります。

本作のキーワードは「嫉妬」です。
デズデモーナは美人で清廉潔白。だからこそオセローは嫉妬に駆られたのかもしれません。
解説に言及があったのですが、当時の「嫉妬(jealousy)」は、私たちの感覚とは少し異なるそうです。

シェイクスピア時代の「嫉妬」は今日の「ジェラシー」や「やきもち」とはかなり意味が異なっていた。シェイクスピア劇に登場する"jealousy"とは、基本的に「不信、疑念」を意味し、とりわけ妻の貞節を確信できない既婚男性の恐怖や不安を表すものとして使われていた。極端に言うと、シェイクスピア劇の「嫉妬」は「妄想」と言い換えると分かりやすいし、事実、その症状はイアゴーの表現によると「(妄想の)苦しみで気が狂う」ことになる。

解説 「嫉妬」と呼ばれる「怪物」ーシェイクスピア時代の心の病い

ではなぜ、そこまでオセローは強い嫉妬に囚われてしまったのか。
色々理由は見いだせると思います。もちろんイアゴーの言葉が上手かったから、デズデモーナが美人で素晴らしいからこそとも言えます。
訳者の松岡氏は、壮年のオセローと10代で若いデズデモーナの年齢差の影響がありそうだと書いていますし、おそらく、ムーア人(やや蔑称的なアラブ人・北アフリカ人の呼び方)であることも原因と言えそうです。

オセロー自身は、自分の血筋やこれまでの功績を誇っています。

オセロー:実は、私の命もこの身も王族から受け継いでいるのだ、そのうえ私の上げた数々の功績はこうして手に入れた幸運に堂々と張り合えるほど輝かしいものだ。

『オセロー』第一幕第二場

しかし、周りの人間はムーア人であるオセローを批判します。

ブラバンショー(デズデモーナの父):(中略)あれほど優しく、美しく、しあわせな娘が、しかも結婚を嫌い、この国の裕福な貴公子さえ断っていた娘が、世間の物笑いになるのを承知で親の庇護を逃れ、貴様のような男の黒い胸に飛び込むものか?

イアゴー:デズデモーナがいつまでもムーアに惚れ続けるわけがない

『オセロー』第一幕第二場、第三場

しかもオセローがいないところでオセローの名前を出す時、オセローではなく、ムーアと呼んでいるんです。これはどう捉えればいいんですかね…?

デズデモーナの浮気を確信したオセローのセリフが、周囲の差別的な視線を内面化しているようでまた哀しいのですが、それはぜひ本作を読んでみて下さい。


これを知っておくと他の作品も面白くなる代表作

シェイクスピアの作品の中には、後世の他のアートに影響を与えたものも少なくありません。例えば、音楽や絵画、後世の小説や映画など。
それ自体も素晴らしい作品ですが、元ネタを知っているとより楽しめるものです。
今回は四大悲劇以外に、インスピレーションを与えた作品をピックアップしました。

『夏の夜の夢・間違いの喜劇 シェイクスピア全集4』

最後の最後はちょっとの驚きと大団円!

妖精王オーべロンとその妃ティターニアの夫婦喧嘩が、いつの間にか人間の四角関係をかき乱す『夏の夜の夢』と、2組の双子が居合わせたおかげで町中が大混乱になる『間違いの喜劇』2篇がまとまった1冊。

こちらは喜劇です。しかも2作品が1冊にまとまっているので、お得感があります。

まずは、『夏の夜の夢』から。
今回の舞台はアテネです。近くの森にはたくさんの妖精が暮らしています。その妖精を統べる妖精王がオーベロンです。彼にはティターニアという妃がいます。しかしある子どもをめぐって争いに。腹が立ったオーベロンは妖精パックに、目覚めて最初に見るものに恋に落ちるように惚れ薬をティターニアのまぶたに塗るように命じます。

ところかわって町では、アテネの公爵に仕えるエゲウスが自分の娘ハーミアをディミ―トリアスと結婚させるようにと命じます。しかし、ハーミアはその命令を拒絶し、自分の本当の恋人ライサンダーと森に逃げて来ました。さらにハーミアを追いかけて来たディミ―トリアス、そのディミ―トリアスに焦がれるヘレナまでやって来ます。そこに惚れ薬を持ったパックがやらかして…

私はマンガ『魔法使いの嫁』を読んでいるので、そこに登場するオーベロンとティターニアの見た目でどうしても再生されてしまい、それはそれで面白かったです。
(妖精や神話ものがお好きな方におすすめのマンガです)

この作品の凄い所は、英語の韻の踏み方を日本語訳でもうまく再現しているところです。

For by thy gracious, golden, glittering, gleams
I trust to take of truest Thisbe sight.
ラキラとらびやかにらめく金(ん)の光にて必ずや可愛いシスビーとの語らいが叶うだろう)
⇒"g"による頭韻を、"き"による頭韻で翻訳している

That lived, that loved, that liked, that looked with cheer.
(世の人からあまねく愛(い)され、崇(が)められ、仰(お)がれ、こがれられた)
⇒"L"による頭韻を、"あ"による頭韻で翻訳している

日本語でも違和感なく再現されているからこそ、シェイクスピアが作品に込めた遊び心を楽しむことができます。

次に『間違いの喜劇』について。
シラクサの商人イジーオンには、双子の息子(どちらもアンティフォラスという名前)と、これまた同日に生まれた双子の従者(どちらもドローミオという名前)がいた。彼らと妻エミリアと幸せに暮らしていたが、船旅での事故のせいで、一組のアンティフォラスとドローミオ、妻エミリオと生き別れになってしまいました。
シラクサに残った方のアンティフォラスは、自分と同じくシラクサに残ったドローミオとともに、生き別れた兄弟を探そうとエフェソスにやってくるが…

わかりやすくはちゃめちゃな物語で、何も考えずにクスクス笑えます。
見た目がそっくりな双子のせいで事件が起こる、双子であることを利用して誰かを騙そうとするという筋書きはよくありますが、ここでのポイントは、双子が2組(アンティフォラスとドローミオ)いるという点でしょう。

2組いるからこそ、混乱ぶりがさらに増していきます。
最後は、双子だということが判明するのですが、それだけではないのがシェイクスピアの凄いところです。

『ロミオとジュリエット シェイクスピア全集2』

世界一有名な恋愛悲劇を改めて

イタリア・ヴェローナでは、キャピュレット家とモンタギュー家という2つの名家が激しく対立していた。キャピュレット家の娘ジュリエットとモンタギュー家の息子ロミオは、対立関係でありながら恋に落ちるが…

今さら説明不要なほど誰もが知っている恋愛ストーリーです。
有名なセリフも盛りだくさん。

早く成るものは早く壊れる
(Many girls younger than her and mothers already.というセリフを受けて)
And their lives are ruined.

傷の痛みを知らないやつは、他人の傷をあざ笑う
He'd never felt the pain of love. It was easy for him to joke about it.

ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?
Wherefore art than Romeo? Oh Romeo, Romeo! Why are you Romeo?

名前に何があるの? バラと呼ばれる花を別の名で呼んでも、甘い香りに変わりはない。
What is a name, anyway? The flower that we call a rose would smell as sweet whatever we called it.

原文と読み比べると、日本語訳の凄さがわかります。

『ロミオとジュリエット』は、『ウェストサイドストーリー』の下敷きになっていたり、プロコフィエフのバレエになっていたり、様々なところで何度も生まれ変わっています。
ちなみに、プロコフィエフのバレエ組曲の1曲、『モンタギュー家とキャピュレット家』は、昔ソフトバンクのCMで使われていたので聞いたことのある人は多いでしょう。

「今さら説明不要なほど誰もが知っている恋愛ストーリー」と書きましたが、改めて読んでみると意外と知らなかったところに気づきます。

例えば、ロミオがジュリエットと出会う前、別の女性にご執心だったのはご存じですか?
これを機に読み返してみると、新たな発見があるかもしれません。

『テンペスト シェイクスピア全集8』

罪を赦すもの、赦されるもの

ある日、ミラノ大公アントーニオやナポリ王アロンゾ―などが乗った船が突然嵐に巻き込まれて難破した。孤島に辿り着くが、実はその嵐は12年前アントーニオにミラノ大公の座を簒奪された兄プロスペローが起こしたもので…

Tempestとは、嵐のことです。Stormより強く、書き言葉で使われることが多いようです。
私はテンペストというと、シェイクスピアより先にベートーヴェンのソナタを思い出します。
ベートーヴェンの弟子のアントン・シンドラーがこの楽曲の解釈について尋ねたとき、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め。」と言った逸話があり、無関係ではないようです。

とはいえ、小説の『テンペスト』の場合、主題は"嵐"ではなく、"魔法"さらにいえば"赦し"でしょうか。
ミラノから追放され、幼い娘と逃げた孤島で過ごした12年で、プロスペローは魔法を使えるようになります。
その魔法と妖精たちを使って、弟たちに復讐しようとするが…というお話です。

個人的には、「なんかおおらかな結末になったなー」と思ったのですが、それはこれがシェイクスピア単独としては最後の作品だからのようです。
ある程度年齢を重ねると、復讐心を持ち続けるより受け入れてしまうことの方が簡単で意味があると思えるのかもしれません。

歴史知識は必要ないので読みやすいです。

『ヴェニスの商人 シェイクスピア全集10』

お金と愛とセックスの喜劇

バサーニオは愛する女性に求婚するため、アントーニオにお金を借りる相談をした。商人であるアントーニオは、ユダヤ人の金貸しシャイロックからお金を借り、バサーニオに渡す。「もし借金が返せなければ、その体から1ポンドの肉を切りとらせろ」という証文に署名をして…

タイトルは『ヴェニスの商人』ですが、主人公はアントーニオではなくバサーニオと求婚者のポーシャな気がします。

恋愛メインのコメディということで下ネタ満載なのですが、よくもわるくも(?)英語圏のネタなので、解説を読まないとわかりません(笑)

それよりも気になったのは、作中のユダヤ人の扱いです。
ユダヤ人の金貸しシャイロックは、正直嫌なやつなのですが、一方で当時のユダヤ人がどのように見られ、扱われていたのかが透けて見えます。
なので、「シャイロックが恨んでも仕方ないのかな…」と思う場面も多々あります。

アントーニオは友達のために自らの命を担保にお金を借りたのだから、赦してやってほしいという気持ちもあるし、シャイロックの今までの苦渋を思えば「復讐の機会を逃してたまるか」という気持ちも理解できなくもない…
解説でも『ヴェニスの商人』は喜劇でありながら、議論を呼ぶ作品だと語られています。

『ヴェニスの商人』はシェイクスピア劇の中でも議論を呼ぶ作品の典型的な例である。例えばシャイロックを極悪非道の高利貸しと見なせば、この芝居は勧善懲悪的な喜劇となる。反対に人種偏見の被害者と見なせば、グロテスクな集団リンチにも似た迫害悲劇になりうる。同じ上演を見て観客でも、人によってまったく正反対の印象を持つことが十分ありうる作品なのである。

解説「アントーニオとポーシャのメランコリー」中野春夫 より

さて、ではどのような結末を迎えるのか…?
それは読んでからのお楽しみ。


中世イギリス史をたどる旅

シェイクスピアは、創作だけではなく史実に基づいた作品も多く残しています。その中でも、イギリス王を扱った作品が多いです。
シェイクスピアは16世紀半ばから17世紀前半(1564-1616年)を生きたので、それ以前の歴史を扱っています。
ちなみに、シェイクスピアが活躍していた時代はエリザベス一世→ジェームズ一世あたりで、彼が描いた最も歴史の近い人物は、エリザベス一世の父ヘンリー八世です。

一つ注意点は、史実に正確ではない、ということです。むしろ大胆に捏造している場合もあります。例えば、史実では子どものはずの人物を20代半ばにしたり、2人の人物を1人の人物として登場させたり。
イギリス中世史を学ぶというよりも、あくまで創作として楽しむのがおすすめです。

また、全集順に読んでも十分面白いのですが、個人的には史実順に読むのがおすすめです。(前作での結末が次の作品で触れられていたり、主人公がなぜこういう考え方をするのかなどわかるので)
ちなみに、それぞれの王の史実の在位順と在位年は以下の通りです。

ジョン王:1199‐1216年 プランタジネット朝
↓約150年

リチャード二世:1377‐1399年 プランタジネット朝(最後)
ヘンリー四世:1399‐1413年 ランカスター朝(最初)
ヘンリー五世:1413‐1422年 ランカスター朝
ヘンリー六世:1422‐1461年、1470‐1471年 ランカスター朝(最後)
リチャード三世:1483‐1485年 ヨーク朝(最後)
ヘンリー八世:1509‐1547年 テューダー朝

『ジョン王 シェイクスピア全集32』

弱さゆえにイギリス史の転換点になった王

兄リチャード1世の死により王位を継いだジョン。しかし、もう一人の兄の子であるアーサーの正当性を巡ってフランスと戦いとなり…

イングランド史上最悪と呼ばれる王の物語です。日本でも失地王・欠地王(Lackland)として知られていますね。フランスとの戦いで大陸にあった当時のイングランド領をほとんど失ったためそういうあだ名がついたのかと思っていたのですが、実はそうではなくて、生まれたときに父のヘンリー2世からジョンだけ領地を与えられなかったので、Lacklandとあだ名されていたのだそうです。(それはそれでかわいそう…)

ということは、歴史的に後からつけられたあだ名ではなく、生きていたころから陰でそう呼ばれていたのかもしれません。さらに、兄は歴史的にも人気のあるリチャード1世(獅子心王)です。

リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日[1])は、プランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド(在位:1189年 - 1199年)
生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた。

Wikipedaより

勇猛果敢な兄と領地すら与えられなかった自分。そのコンプレックスがジョン王の弱さや臆病さを助長したのかもしれません。

さて、『ジョン王』は中世(12世紀)のお話です。当時のプランタジネット朝は、アンジュー帝国と呼ばれ、現在のフランスにも領地がありました。それは、ヘンリー2世が結婚したアリエノール・ダキテーヌ(作中ではエリナー)がフランスのアキテーヌ女公だったからです。


この大半を失ったのだから、まあ最悪の王と呼ばれても仕方がないのかな…と。

ただ、この「失地」という出来事について、解説に興味深いことが書かれていました。

イングランド王国は1154年から1216年まで、ヘンリー(アンリ)二世、リチャード(リシャール)一世、ジョン(ジャン)と、三人のフランス貴族アンジュー侯爵の当時を受けていたのである。アンジュー家はヘンリー二世の時代にアリエノール・ダキテーヌとの婚姻を通じて英仏にまたがる広大な領土を獲得することになり、「アンジュー帝国」の片隅にあったのがイングランド王国だった。
この「帝国」が崩壊して、アンジュー家が本拠地のフランス領を失い異国の地でイングランド国王として生きていかなければならなくなったのがジョン王の時代である。
『ジョン王』まさしくイングランド王国がフランス人の支配から離れて自立化し、イングランド独自の特性を持つようになる最初期の経緯を演劇化したものである。

『ジョン王 』解説 ロンドンの出稼ぎ民衆と『ジョン王』の劇世界 中野春夫
(太字は本ページの筆者による)

私はイギリスは日本と同じ島国なので、大陸とはある程度距離を置いていたイメージだったのですが、イギリスは中世まで大陸の一部としてとらえられていたようです。
(大陸とイギリスの最狭部のドーヴァー海峡は34kmしかないですし、ローマ帝国の一部だったですし)

本作を読んでると「コイツほんとに大丈夫か?」と思うシーンが多々あるのですが、こういう愚鈍さがのちのちの”大陸の一部ではないイギリス”を形作るきっかけとなったかと思うと、皮肉なものだなと思います。

ジョン王の凡庸さもキャラクターとして魅力的ですが、彼の周囲のキャラクターたちの会話はさすがシェイクスピアと思わせるものばかりです。

『リチャード二世 シェイクスピア全集26』

権力を失う者と奪い取る者

幼少で王位についたリチャードには、力を持つ叔父や従兄弟たちが多くいた。王として専制を強めようとすると、従兄弟ボリングブルックが兵を上げ…
リチャード二世は、プランタジネット朝最後の王です。
シェイクスピア作品で言うと、『ヘンリー四世』の前日譚にあたり、ヘンリー四世(ボリングブルック)がどのようにして王位を得たのかを描く物語です。
『ヘンリー四世』のなかで、老いた王がやたらと巡礼したがるのですが、それはこういういきさつがあって、やはり罪深いことをした自覚があるのだなーと納得がいきました。
リチャード二世は、即位のいきさつからして不安定なものでした。祖父のエドワード三世が亡くなったとき、父である長男のエドワード黒太子はすでに亡くなっていたため、孫であるリチャード二世が幼いながら即位することになりました。その他、エドワード黒太子の弟たちを差し置いて。
このスキップが叔父やその子孫たちに不和を残し、ゆくゆくは血で血を洗う薔薇戦争に繋がっていきます
リチャードとボリングブルックという敵対関係が描かれますが、彼らは史実でも同い年だったというのが、なんだか運命を感じさせます。
また、本作の面白いところの一つとして、一人称の使い分けがあります。

同い年の従兄弟同士が王位を争う。王位という最高権力がその一人からもう一人へと移行する。文体のうえでその移行を如実に表す言葉がある。王のみが使う一人称代名詞、「君主の複数(royal plural またはroyal "we")」と呼ばれるwe(our us ours)である。(中略)だが『リチャード二世』ほど「君主の複数」が微妙で大きな働きをする戯曲はほかにないのでは? シェイクスピアがこれほどIとWeを繊細に使い分けた作品は他にはないのでは?
そこで、普通の一人称代名詞Iと君主のWeを訳し分けた。前者は基本的には「私」、後者は「余」「この身」。

『リチャード二世 シェイクスピア全集26』訳者あとがきより

この「私」「余」「この身」に注目して読んでいると、ボリングブルックがまだ王になってもいないのに先走って「余」と言っていたり、まだ負けていないのにリチャードが弱気になって「私」と言ったり、セリフの内容には表れない微妙な心境の変化が見え隠れします。
読む際は、ぜひ一人称の使い分けに注目してみてください。
また、『リチャード二世』の登場人物が『ヘンリー四世』にも登場していたり、『ヘンリー四世』の展開を予想させるような伏線もあるので、ぜひそのつながりも楽しんでください。

『ヘンリー四世 シェイクスピア全集24』

改心した高潔な王より、卑怯で臆病な庶民に共感してしまう

皇太子でありながらゴロツキのフォルスタッフと自堕落な生活を送るハル。ところが、叛乱が起こったため、父ヘンリー四世の命によりフォルスタッフとともに鎮圧に向かい…
イギリスで長く続いた薔薇戦争の前哨戦といいますか、その後の薔薇戦争に向かうきっかけを残してしまった時代の物語です。

本作の魅力は、なんといってもフォルスタッフです。
下品で臆病でどうしようもないやつなんですが、なぜか憎めないんですよね。
解説によると、本作はシェイクスピアの歴史作品には珍しく架空の人物が多くて、フォルスタッフもその一人だそう。
典型的な”庶民”キャラとしては、架空の方が作りやすかったのかもしれません。

若き日、共に過ごしたハルとフォルスタッフの関係がどうなっていくのか。その変化にシェイクスピアはどんなメッセージを託したのか、ぜひ読んでみてください。

『ヘンリー五世 シェイクスピア全集30』

ヘンリー五世は英雄か?冷酷な王か?

若いころの放蕩生活とはきっぱり縁を切り、父から王位を継いだヘンリー五世は、フランスへの戦を開始し…

『ヘンリー四世』では、ヘンリー五世は王の破天荒な息子ハルとして登場し、父の死を経て過去を捨てて君主になるまでが描かれています。そして、本作ではハル改めヘンリー五世としての歴史が始まります。
前作で登場したフォルスタッフは、話の中で登場するのみなのがさみしく、ハルは完全に過去を断ち切ってしまったのだなぁ…と感じます。

本作では、ヘンリー五世が血筋の関係からフランスの領有権を主張し、戦争に向かうストーリーが描かれます。イギリス人・フランス人の方からすれば、結末がどうなるかは分かり切った状態で読むのでしょうが(日本でいえば関ケ原で東軍が勝つと知っていて読むようなもの?)、私は知らなかったので「結局どうなるんだろう?」という新鮮な気持ちで読めました。

『ヘンリー六世 シェイクスピア全集19』

シェイクスピアのデビューを飾った壮大な歴史大河!

父ヘンリー五世の死により、幼くして王位についたヘンリー六世。敬虔で優しい王だが、フランスとの戦争、国内の反乱が巻き起こり…

全三部でヘンリー六世50年の生涯を扱った壮大な歴史絵巻です。そのまま劇にしたら、丸一日かかってしまいそう…

ヘンリー六世と言えば、私のなかでは「人はいいが、肝心なときに正気を失っていて役に立たないボンクラ」というイメージなのですが(失礼)、本作でも敬虔だが、争いには向かない王として描かれています。

ここで、少しヘンリー六世とその時代について解説しておきます。

ヘンリー六世(1421~1471)ランカスター朝最後の王です。
彼が即位したころは、フランスとの百年戦争真っ只中。そう、ジャンヌ・ダルクがオルレアンの乙女として活躍した戦争です。本作の第一部にも登場します。
その後、フランスとの和平を求めてマーガレット(シャルル7世の王妃マリー・ダンジューの姪)を王妃に迎え、1453年にイギリスはカスティヨンの戦いに負け、ボルドーが陥落して百年戦争は幕を閉じます。
百年戦争が終わる前から、貴族たちの勢力争いが起きていたのですが、大陸の領土を失ったことでさらに悪化。ヘンリーは王位を追い落とされてしまい、薔薇戦争へと突入していきます。

薔薇戦争という文字、観たことあるぞ?という方もいるかもしれません。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のもとになったイギリスの大きな戦いです。

シェイクスピア作品の中では、
薔薇戦争の前半:『ヘンリー六世』
薔薇戦争の後半:『リチャード三世』

という前提で読むと理解しやすいと思います。

本作はタイトルこそ『ヘンリー六世』ですが、彼が主人公という感じはしません。彼が生まれて死ぬまでの50年間に起きた出来事を描いている物語です。なにせ初期のタイトルは『ヨーク、ランカスター両名家の抗争』だったそうですから。

読んでいると、登場人物は全員生まれる時代と場所を間違えたのだろうな…という感想を持ってしまいます。
ヘンリー六世は平和な時代ならいい王だったでしょうし、マーガレットは自分が王女だったら辣腕をふるったでしょうし、貴族たちもここまでの殺し合いには発展しなかったでしょう…
誰にとっても悲劇となったこの戦争を、シェイクスピアはどういう気持ちで描いたのかなあ…なんて考えてしまいます。

『リチャード三世 シェイクスピア全集7』

悪の美学を体現するカッコよさ

時は薔薇戦争末期のイングランド。醜く生まれついたリチャードは兄たちを陥れ、自ら王位につく。兄の妻を無理やり娶り、幼い甥たちを殺し、清々しいまでの悪を体現していくが…

シェイクスピアの中でも有名な作品だと思います。
主人公が悪役で王位簒奪者という意味では、マクベスと同じです。でも異なるのはマクベスは、妖精や妻に背中を押されて行動を起こした凡庸な悪であるのに対し、リチャードは世界すべてを憎み、自らの意志で悪になることを宣言した純粋な悪です。

悪役としてのカッコよさは、リチャードの方が上だと私は思いますが、どうでしょうか?

この作品でも名セリフが盛りだくさんです。

口先で綺麗事を言う今の世の中、どうせ二枚目は無理だとなれば、思いきって悪党になりこの世のあだな楽しみの一切を憎んでやる。
And therefore, since I cannot prove a lover to entertain these fair well-spoken days, I am determined to prove a villan and hate the idle pleasures of these days.

馬だ! 馬をよこせ! 代わりに俺の王国をくれてやる、馬!
A horse! A horse! My kingdom for a horse!

物語はとても面白いんですが、正直時代背景を知らないと厳しいかもです…
なにせ、ヘンリーが2人、リチャードが2人、エドワードが3人、エリザベスが2人と同じ名前の別人が多く出てきます。
本作の後ろに家系図が載っているので、それを見ながら読むのがおすすめ。
(私は家系図に気づかず、読み終わった後に「家系図あったんかーい!」ってなりました)

また、リチャード三世の死をもって30年続いた薔薇戦争が終結するのですが、それについてはこちら↓の動画がおすすめです。

長い動画ですが、コメディチックに突っ込みながら進むので、すぐに観終えてしまうと思います。

ちなみに、実際のリチャード三世はここまでの悪人ではなかったようです。
シェイクスピアが活動したのは、エリザベス一世の時代。エリザベス一世のチューダー朝は、リチャード三世を倒して興った王朝ですから、もしかしたら悪役に書かざるを得なかったのかもしれません。
徳川幕府初期に豊臣秀吉三をいい風に書けないですよね…

リチャード三世の遺骨発見・復権運動については、こちらの記事に『ハンチバック』のパートに書いています。

しかも、上の記事で紹介したリチャード三世の遺骨発見・復権運動の中心人物となった方が、リチャード三世がロンドン塔で殺した言われる甥たちが実は生きていた!という研究結果を発表したそうです。
リチャード三世の不人気ぶり、悪役イメージは、このシェイクスピアの影響も大きいと言われており、甥を死に追いやるシーンも描かれているのですが、それが違ったとなると、実物のリチャード三世はいったいどんな人だったのだろう?と想像してしまいます。


『ヘンリー八世 シェイクスピア全集31』

他作品とは違う、人間らしさのない最強の王

16世紀、薔薇戦争の傷も癒えつつある時期に君臨したヘンリー八世。彼の周りでは、権謀術数、対立が巻き起こり…

ヘンリー八世といえば「6人の妻」と自然と思い浮かぶ人も多いと思います。そしてあまりいいイメージがないのではないでしょうか? なにせ王妃キャサリンと離婚するためにカトリックをやめて、アン・ブーリンと結婚して、そんな力業で結婚したのにその後処刑してしまうのですから…
ちなみに、6人の妻の行く末はそれぞれ以下の通りです。

キャサリン・オブ・アラゴン→病死
アン・ブーリン→処刑
ジェーン・シーモア→産褥熱で死去
アン・オブ・クレーヴズ→病死(ヘンリー八世死後)
キャサリン・ハワード→処刑
キャサリン・パー→ヘンリー八世の死後再婚し、産褥熱で死去

アン・オブ・クレーヴズは6人のなかで最も幸せだったといわれていますが、ほかの5人がかわいそうです…

さて、本作で描かれているのはアン・ブーリンの登場そして娘(エリザベス1世)の誕生までです。この作品が初めて上演されたのは1613年ごろと言われており、エリザベス1世の死去から10年しか経っていません。
時代が近すぎて、あまり先のことまで書けなかったのでしょう。

本作を読みながら、「他のイギリス王の話となんか違うなー」と思っていたら、さすが訳者あとがきにきちんと書かれていました。

…主人公ヘンリー八世は、ほかの英国史劇のタイトルロールとは違って、反目し対立する二つの勢力の一方に立ちはしない。そうではなく、一幕から五幕まで次々と生まれてくる対立の「上に立つ」のだ。そしてその対立のウィナーとルーザーを、勝ち得る者と失う者とを審判する。対立するどちらを勝ちとし、どちらを負けとするかを決する力を持つのが王である。

『ヘンリー八世 シェイクスピア全集31』訳者あとがき P238より

審判者なのだから、負けえない。命がけの勝つか負けるかの決断や行動なんて必要ない。だまって成り行きを見守り、適切なタイミングで判断すればよい。その距離感が、人間らしくないのです。

この解説を読んだとき、「徳川家光みたいだな」と思いました。戦国の世を知らず、生まれながらの将軍として国のトップに立った男。ヘンリー八世と似ていませんか?

とはいえ、ヘンリー八世を取り巻く権謀術数や浮き沈みは読みごたえがあります。


その他の作品たち

特におすすめの作品たちは、セットにしてご紹介しましたが、他にも魅力的な作品はたくさんあります。全作の紹介文を掲載していますので、ぜひお気に入りを探してみてください。

『十二夜 シェイクスピア全集6』

片想いはお祭り騒ぎ?!

難破船から生き残ったヴァイオラは身を守るため男装し、シザーリオとしてオーシーノ公爵に仕える。お使いで公爵の恋のお相手である伯爵令嬢を訪れれば、何と彼女は男装のヴァイオラに一目惚れ。しかしヴァイオラはひそかに公爵に想いを寄せていて…

『間違いの喜劇』と少し似た雰囲気の喜劇です。
片想いなんて本人は真剣でも、周りからすればコメディですからね。しかもヴァイオラが男装した女性だというから、またこじれにこじれて大騒ぎ!

ちなみに、『十二夜』というタイトルの説明を少し。
原題は、Twelfth Night, or What You Will です。
Twelve Nightsではなく、Twelfth Nightなんです。
12日間の夜ではなく、12番目の夜
これは12月25日から数えて12番目、1/6の夜のことです。
クリスマス休暇の最終日にあたります。日本でいうと三が日最終日といったところでしょうか。

この日は公現祭というキリスト教のお祭りの日です。
この片想いの大騒ぎも、お祭りの日だからと思っておけば納得かも?


『ウィンザーの陽気な女房たち シェイクスピア全集9』

陽気な女房たちは一筋縄ではいかない!

ウィンザーにやって来た悪党フォルスタッフが、金持ちの人妻に言い寄って金も恋も思いのままにという企みをしかける。ところが陽気な女房たちはそれを逆手にとって…

ウィンザーとは、ロンドン西部にある町で、ウィンザー城という古城が有名です。
今回の戯曲は、唯一、シェイクスピアと同時代のエリザベス朝のイングランドを扱った市民劇です

解説によると、今作はウェストミンスターでガーター勲章の授与式にともなう祝宴で初披露されたそう。
…ということは、エリザベス一世の前で初演されたということ、ですかね? それはそれですごい話です。

そんな宮廷人たちの前で演じられたのが、市民が主役の市民劇というのがまた考えさせられます。

私たちが、まったく想像のつかない芸能界やお金持ちの世界を覗いてみたくなるように、特権階級の人たちも自分の知らない庶民のドタバタコメディを楽しみたかったのでしょうか。

宮廷での権謀術数が日常なら、そんな題材の劇をわざわざ見たくないという気持ちもわかりますけどね。

今回のドタバタは、『十二夜』や『間違いの喜劇』とは違う種類のドタバタです。後者2作は、本人たちはいたってまじめで、偶然によって混乱していましたが、今回は女房達が作戦を立ててドタバタさせていて、それが痛快です。

それぞれにそれぞれの思惑があり、それを逆手にとる人がいて…

宮廷人の気分になって、読んでみるのもいいかもしれません。


『ペリクリーズ シェイクスピア全集11』

旅を余儀なくされたペリクリーズの一代記

タイアの領主・ペリクリーズは求婚しようとした王女とその父の近親相姦を見抜いてしまい、命を狙われる。生き延びるために旅を始めるが…

シェイクスピアには珍しく(?)、主人公がいろんなところを旅していきます。自分の治めるタイアから求婚のためアンタイオケへ、命からがらタイアに戻ったかと思いきや、ターサスヘ行き、そこからペンタポリスに向かう途中で難破して…
まさに波乱万丈の旅です。
いまどこにいて、どういう経路をたどるか分かりにくそう…と思っても大丈夫。巻頭にはきちんと地図がついています。しかも訪れた道と順番つきで。

この作品の他とは異なるところがもう一つ。
ガワーという詩人がちょくちょく登場し、劇の案内をしてくれます。日本でいう講談みたいなイメージでしょうか。

ペリクリーズだけではなく、彼の家族も波瀾万丈の旅に巻き込まれますが、最後はハッピーエンドなのでご心配なく。


『タイタス・アンドロニカス シェイクスピア全集12』

なぜシェイクスピアはこんなに残虐な物語を書いたのか…?

ローマ将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート人の女王タモーラという捕虜をつれて凱旋する。推挙された皇帝の座を辞退するが、それが悲劇の始まりとなり…

タイトルはタイタス・アンドロニカスですが、これはアンドロニカス家を中心とした悲劇と復讐の物語です。
途中女性への凌辱など、凄惨なシーンが多いので、苦手な方にはおすすめしません。

誰かへの復讐がまた別の誰かへの復讐を呼び、さらには…と凄惨な渦が留まるところを知らない物語です。
いま世界で起きている戦争も、そうなのかもしれないと思わされます。

文字なのでなんとか読み切りましたが、これが劇になった場合、あまりに凄惨さに目をそむけたくなる気がします。
シェイクスピア初期の作品だそうですが、なぜあえてこんなに残酷な作品を書いたのか、本人に尋ねてみたいものです。


『コリオレイナス シェイクスピア全集14』

頑固ゆえ上手く生きられない男の哀れな結末

ローマ将軍ケイアス・マーシアスは、陥落させた都の名前からコリオレイナスの名を与えられるが、市民の反感を買ってローマから追放される。
行方知れずになった誇り高き英雄は、宿敵オーフィディアスと手を結び、祖国ローマを攻め落とそうとするが…

シェイクスピア最後の悲劇作品です。
前半はコリオレイナスの不器用さ、かたくなさに、やきもきさせられます。将軍としての実績は抜群なのに、貴族である彼は市民に対して歩み寄ることができない。多少の嘘や愛想のよさを見せて、この場を乗り切るということができません。現代の政治家ならバカにするでしょうね(笑)

その頑固さのせいで、彼は執政官の席から追い出され、さらには祖国ローマをも追われます。そのローマのために今まで戦ってきたというのに…

読んでいてコリオレイナスを嫌いになれないのは、自分を曲げずに不器用でいつづけることがいかに難しいかを知っているからでしょう。その場を乗り切るために適当に都合のいいことを言っておけばいい、少しくらい相手を持ち上げてやればいい、その方が簡単です。折れずにいつづけることは愚かだとは思いつつ、難しすぎて私にはできません。

頑固でバカな男だけれど、そこには確かに高潔さもある。だからこそ、コリオレイナスがかつての宿敵と手を組んでローマに復讐しようとするシーンで、カタルシスを感じてしまうのです。

頑固で不器用でバカな男が最終的にどうなっていくのかは、読んでからのお楽しみ。

『お気に召すまま シェイクスピア全集15』

一目惚れ×一目惚れ 大団円の喜劇

舞台はアーデンの森。良家の末弟オーランドーは長兄から逃げて森に入る。オーランドーに一目ぼれした前公爵の娘ロザリンドも、現公爵に追い出されて、羊飼いのふりをして森に入り…

女性が男性のふりをする、というのはシェイクスピア戯曲の中ではよくある展開ですが、今回も羊飼いに男装したロザリンドが登場します。
オーランドーに一目ぼれしたのに、今は男性として暮らしているので、その立場をうまく利用します。一方で事情を知らない女性が男装したロザリンドを好きになってしまったり、てんやわんや。
でも、終始明るい雰囲気で、大団円!拍手!と言いたくなるような結末なので、ご安心を。

解説を読んで面白いなと思ったのは、当時、ロザリンド役は少年が演じることになっていたそうです。
少年がロザリンドという女性を演じながら、ロザリンドが男装した役も演じて…と一周回ってあれ?となってしまいそうですね。

現在ではそういう縛りはなく、女性にとって演じがいのある役のようです。


『恋の骨折り損 シェイクスピア全集16』

夫婦漫才のような軽快さがクセになる

ナヴァールの王は3人の青年貴族とともに女性との交際を絶って学問に励む誓約を立てる。しかしフランス王女が美しい侍女を連れてやって来て…

ナヴァール王率いる男性グループと、フランス王女率いる女性グループの駆け引きが魅力です。
ナヴァール王たちは、美しい女性たちに会いたくて仕方ありません。しかし誓約ががあります。しかも自分達で決めた誓約が。

誓約を守っていると言えなくもないようなヘリクツを重ねて、なんとか会いに行こうとします。
なんか言い訳が現代の政治家のような…?

夫婦漫才を見ているようで、クスリと笑えます。
また他の作品とは異なる結末にも注目です。


『から騒ぎ シェイクスピア全集17』

クスリと笑える言い間違いと男女の掛け合いが魅力

ドン・ペドロ軍の青年貴族クローディオは、知事レオナートの娘ヒアローに想いを寄せる。そこにドン・ペドロの弟ドン・ジョンがクローディオの足を引っ張ろうと作戦を立て…

舞台はシチリアのメッシーナ。
男性がある女性を見初めて求婚するが、トラブルに巻き込まれたり、誰かに邪魔されたりするのは、シェイクスピア劇の王道です。
本作が他と異なるところは、おかしな言い間違い(マラプロビズム)がふんだんに使われているところ。
たとえば、「媚びへつらう」を「へびこつらう」と言ったり、「住所不定」を「住所否定」と言ったり、「挙動不審な者を逮捕いたしまして」を「共同不審の者を介抱いたしまして」と言ったり。

シェイクスピアの英語原文から、この言い間違いのコミカルさを失わないように訳すのは大変だっただろうな…と想像します。
訳者の松岡氏は、このような言い間違いを上手く訳せるように、普段からメモを取っているとか。

原文にマラプロピズムが出てきたときに、それに対応する日本語がただちに思い浮かぶことは滅多にない。だが、「へびこつらう」以来、私は身の回りのおしゃべりに絶えず耳を澄ませ、日本語のマラプロビズムを収集するようになった。

『から騒ぎ シェイクスピア全集17』訳者あとがき より

もう一つ面白いのは、この時代には珍しく独身主義者の男(ベネディック)が登場すること。さらにベネディックに対して、レオナートの姪ビアトリスが、毒舌を放ちあうのですが、その掛け合いを舞台で見てみたいなと感じます。


『冬物語 シェイクスピア全集18』

あなたは奇跡を信じますか…?

シチリア王レオンティーズは、親友と妻の不倫を疑ってしまう。怒りに駆られた王は妻を幽閉し、臣下に親友を毒殺するように命じるが…

親子2代に渡るロマンス劇です。
『オセロー』では、嫉妬という化け物に取り憑かれた男の末路が描かれていました。

シェイクスピア時代の「嫉妬」は今日の「ジェラシー」や「やきもち」とはかなり意味が異なっていた。シェイクスピア劇に登場する"jealousy"とは、基本的に「不信、疑念」を意味し、とりわけ妻の貞節を確信できない既婚男性の恐怖や不安を表すものとして使われていた。極端に言うと、シェイクスピア劇の「嫉妬」は「妄想」と言い換えると分かりやすいし、事実、その症状はイアゴーの表現によると「(妄想の)苦しみで気が狂う」ことになる。

解説 「嫉妬」と呼ばれる「怪物」ーシェイクスピア時代の心の病い

本作のレオンティーズも、まさしく嫉妬と呼ばれる怪物によって気が狂ってしまいます。妻も親友も、申し分のない素晴らしい人だからこそ、化け物にとりつかれてしまうのかもしれません。

時が流れて子ども世代の話になり、結末を迎えますが、正直日本人は「え?」と思ってしまうかもしれません。

『冬物語』の舞台では、劇中人物たちも観客も、信じる力によってこの「物語」の最も奇跡的な出来事を目の当りにする。現実世界ではおよそあり得ないことを「あり得る」と信じさせてくれる劇、それが『冬物語』なのだ。

訳者あとがき

どれだけ観客や読者の「自発的な思考停止」を呼び起こせるか、『冬物語』はその可能性の限界を探る戯曲のように思える。人はどこまでありえない物語を受け入れられるのだろうか。作家はどれだけその虚構の力を引き出せるのだろうか──。

解説 ロマンスの復活 前沢浩子

ちょうど遠藤周作の『侍』を読んでいる時期と重なったので、日本人と西洋人の宗教観の違いも考えながら読みました。

『侍』に登場する宣教師は、「日本人には本質的に、人間を超えた絶対的なもの、超自然的なものに対する感覚がない。人間と神とを分ける明確な境界を嫌う」と語ります。
人知を超えた絶対的な存在による奇跡。その奇跡を信じられるかどうか。
そういう捉え方の違いを面白がりながら読むのがいいかもしれません。


『じゃじゃ馬馴らし シェイクスピア全集20』

久々に「何が面白いの?」と思ってしまった作品…

富豪の娘キャタリーナは、手の付けられないじゃじゃ馬娘。そんな彼女を一人の紳士が見初めて結婚する。彼の手腕によって彼女は貞淑な妻になり…

「何が面白いんだろ?」と思ってしまったのは、きっと私自身がじゃじゃ馬だからでしょう。
じゃじゃ馬娘であるキャタリーナを夫が貞淑な妻に"調教"するという話です。キャタリーナと紳士ペトル―チオの舌戦が面白いといいますが、正直霞んでしまいました。
また、彼らは反発し合っているように見えて、実は気が合っていると解説がありましたが、「ほんとか?」と声が出ました。
(やられていることがDVにしか見えず…)

ただ、この類の話は世界中にあるらしいので、シェイクスピアだけを責めるのはフェアではないかもしれません。

手に負えないじゃじゃ馬女を、力ずくで貞淑な妻に変貌させるーー。これと同じ物語は、世界各地で無数に伝えられている。ある学者が調べたところ、四百以上の類似の物語がアジア、ヨーロッパ、アメリカで収集できたそうだ。

解説 知恵くらべの恋愛と力くらべの恋愛 前沢浩子

この本を読んでいるあいだ、私の頭の中には2つの映画が浮かんでいました。それは、『時計仕掛けのオレンジ』と『ステップフォードの妻たち』
どちらも、他者を自分の思い通りに変貌させようという人間のグロテスクさが浮き彫りになっている作品です。

ペトル―チオがキャタリーナにしたことを、もし妻が夫にしたら、鬼嫁と呼んで軽蔑するでしょうに、夫側だと武勇伝になるのはなぜなのでしょうね?

最後にキャタリーナの長台詞があるのですが、そこは本心なのか(ほんとうに貞淑な妻に変貌させられたのか)、演技なのか解釈が分かれるそうです。
個人的には演技であってほしいと願いますが…

『アントニーとクレオパトラ シェイクスピア全集21』

過去の呪いにかかった男女の物語

ローマ将軍アントニーはエジプト女王クレオパトラとの恋に溺れ、ローマと敵対。過去の勇猛さを知るローマ側はなんとかアントニーを取り戻そうとするが…

シェイクスピア作品のなかには、実際の歴史から題材を得たものが多いですが、今作もその一つ。いくら歴史が苦手という人でも、クレオパトラの名前は聞いたことがあると思います。
(ちなみに、正式な名前はクレオパトラ七世です。)

『アントニーとクレオパトラ』というタイトルから、純粋なラブストーリーを想像するかもしれませんが、中身は少し違います。同じく有名な『ロミオとジュリエット』では、二人が初めて出会うところから始まりますが、『アントニーとクレオパトラ』ではすでにアントニーがクレオパトラに魅了されている状態です。

ちなみに、歴史上の時間の流れだと、この頃おそらくアントニーは39歳で、彼の名声は過去のものとなりつつある時期。つまり、終わりの始まりからスタートする物語なんです。

解説でも、<過去>と<現在>について、興味深いことが書かれています。

<現在の>アントニーは自ら行動を起こそうとしないが、その代わりに彼の<過去の>戦いの成功の再現については、ことあるごとに強調される

解説 虚像としての主人公たち 由井哲也 P285

さて、一方のクレオパトラは使者に対して自分の都合のいいように報告を歪曲させようとする。「いまのは嘘だと言えば、領地をあげる」。登場人物たちが過去の行為を話題にするとき、彼らは単に過去の事象を再現しているのではなく、むしろ過去を再解釈することで、現在の時間を有利に運ぼうとしているのである

解説 虚像としての主人公たち 由井哲也 P286

輝かしい<過去>と対比するからこそ<現在>のふがいなさが目立つ。さらに、その<現在>を捻じ曲げようとしている姿が、客観的な立場の読者からすれば、さらにみすぼらしさを増してしまいます。

でも、この<過去>に執着する心情は、私たち現代人にとっても無縁ではありませんよね。いつまでも<過去>の栄光にすがっている人、周囲に1人や2人はいるでしょう。

学生時代部活で頑張ったこと、仕事でいい成果を出せたこと、「アイツ、俺の後輩なんだ」という謎自慢、学歴への執着もありますね。

通説では、クレオパトラはアントニーの死後、オクタヴィアヌス(本作ではシーザーと呼ばれている)を今までと同様篭絡しようとしたが、年齢的にもできなくなっており、自分がローマへの凱旋で見せびらかされることを阻止するために自殺したと言われています。
それも、「もう過去のようにはいかなくなった」という残酷な現実なのかもしれません。

過去に執着しながら斜陽を迎え、落ちていくところを見届けていると、いつの時代も起こりえることなのかなーと2000年以上前の二人に想いを馳せてしまいます。

『シンベリン シェイクスピア全集22』

シェイクスピアのアイデアてんこ盛りの悲喜劇

イノジェンは、追放された夫を思い続けるブリテン王女。しかし、イタリア人ヤーキモーの罠にはまって、不貞を疑われてしまい…

タイトルのシンベリンは、この物語の中のブリテン王(イノジェンの父)で、実在のブリテンの支配者クノベリヌスを下敷きにしているようです。

クノベリヌス(CunobelinusまたはKynobellinus, ギリシャ語:Κυνοβελλίνος, Cunobelinと略されることもある, 紀元前1世紀後期 - 40年代)は、ローマ支配前のブリテンに実在した王。古代歴史家のスエトニウス、カッシウス・ディオの言及を通じて知られる。クノベリヌスを描いたコインも多数残っている。クノベリヌスはイングランド南東部の相当広い地域(Catuvellauniとして知られている)を統治していたようで、スエトニウスは「Britannorum rex(ブリトン人の王)」と呼んだ。

Wikipediaより

作品のタイトルになっていますが、正直シンベリンは何もしません。それどころか、王なのになんにも知らず、いつの間にか蚊帳の外に置かれている滑稽さがあります。

主要人物はブリテン王女イノジェンと夫ポステュマスですが、その周りでもローマと戦争が起きたり、王の義理の息子と王妃が何か企んだり、いろんなことが巻き起こります。

劇的な設定や展開がてんこ盛りなので、好き嫌いが分かれそうな作品です。詰め込みすぎ!と思う人もいるでしょう。逆に他のシェイクスピア作品を読んだ経験のある人は、「この設定、あの作品と同じだ!」などと面白がれる面もあります。

それにしても、ポステュマスが妻の貞淑さを試そうとするシーンを読んでいるときは、「なんでそんな余計なことを…?」とイラっとしましたし、SNSで話題になる「女を試すためにあえてリーズナブルなファミレスに連れていく男」を思い出しました。
昔から、男性は女性を試したくなる生きものなのでしょうか…?

『トロイアスとクレシダ シェイクスピア全集23』

今も昔も問題作?!

時は長く続くトロイ戦争のさなか。トロイ王子トロイアスは恋焦がれたクレシダとようやく結ばれる。しかしクレシダは人質交換でギリシャに連れていかれ…

有名なトロイ戦争(トロイア戦争)のなかで起こる恋愛模様です。
様々な作品の題材になっているので、トロイ戦争やトロイの木馬の話は聞いたことがあるかもしれませんが、少し復習しておきましょう。

トロイ戦争とは、ギリシャ神話や叙事詩に記載された、トロイ対ギリシャの戦争です。神ゼウスが増え過ぎた人間を減らすためにけしかけたもので、ギリシャ方のスパルタ王メテオラスの妻ヘレネを、トロイ王子パリスに惚れさせます。恋に落ちた二人は、トロイに逃避行。妻を奪われたメテオラスはギリシャ軍としてトロイに攻め込みます。
しかし、鉄壁の守りを誇るトロイはなかなか陥落せず9年が経ってしまいます。
10年目、トロイの木馬という作戦によって、トロイは壊滅してギリシャの勝利となります。が、ギリシャ方の英雄たちも次々に命を落としていたので、結局ゼウスの思い通りの結果となったのでした。

トロイ戦争で検索してあらすじを検索すると、どのページを見てもトロイアスとクレシダの話は出てきません。
端役2人の恋愛劇なのでしょう。もちろん、トロイ戦争の主役級の登場人物も出てきますが、あくまで2人の恋愛模様が描かれた物語なので、戦争の結末までは描かれませんし、「え? そこで終わる?」というところで終わります。

この作品が問題作と捉えられるのは、いわゆる純愛とは少し異なる様相だからです。例えば前作の『シンベリン』では、不貞を疑われても王女は貞淑を守り続け、彼女を試そうとした男たちも反省するのですが、そういうわかりやすい結末ではありません。

解説によると、シェイクスピア時代はヘンリー8世の結婚騒動によって、婚姻制度が大きく変わったようで、その婚姻観も影響しているようです。
(あまり書くとネタバレになってしまうので、ぼんやりした書き方で申し訳ないですが)

最後に、個人的に気に入ったセリフをいくつか抜粋します。

ヘクトル
いや、価値は個人の意志で決まるものではない。何かに優れた価値があるのは、人が高く評価するからだけではなく、それ本来の貴重さが備わっているからでもある。神を祭る儀式を神そのものより重んじるのは、狂った偶像崇拝にほかならない。対象の価値も見えないままに、熱に浮かされたように執着するなら、そんな意志は耄碌している。(P79)

ユリシーズ
「時」は繁盛している宿屋の亭主みたいなものだ、出て行く客にはいい加減な握手をするだけだが、新たな客が来れば腕を広げて飛んで行き、抱きかかえんばかりに迎え入れる。「ようこそ」はいつも笑顔を浮かべ、「さようなら」は溜め息まじりに消えて行く。ああ、過去の功績の報酬を求めてはならない。なぜなら、美貌も、叡智も、生まれの良さも、体力も、勲功も、恋愛、友情、慈悲も、すべてはあの非難がましく妬み深い「時」の家来なのだから。(P143-144)

『トロイアスとクレシダ シェイクスピア全集23』


『ジュリアス・シーザー シェイクスピア全集25』

原文が読めたらもっと楽しめそうな作品

ブルータスたちは自らの正義を胸に"英雄"シーザーを殺害する。ローマのための行動だったが…

シェイクスピアあるある。タイトルの人物と主人公が違う!(笑)
こちらもそうです。シーザーは途中で暗殺されて退場します。主人公はやはりブルータスでしょう。
世界史が得意ではない人でも、「ブルータス、お前もか!」というセリフは知っているでしょう。まさにそのブルータスが、なぜシーザー暗殺に至り、その後どうなっていくのかを描いた作品です。
そのブルータスのライバルとして登場するのが、アントニー(とオクテヴィアス)です。
以前紹介した『アントニーとクレオパトラ』では、斜陽期に入ったアントニーと周囲が、過去の栄光を忘れられない様子が描かれていましたが、まさにその栄光期を本作で読むことができ、「なるほど、こう活躍したならああなるな」と納得しながら読みました。

また、解説によるとブルータスとアントニーは性格だけではなく、それぞれの語り方も対照的なのだそう。

演壇に最初に登場するブルータスは周囲の人物が散文で話しているときでさえ韻文にこだわるほどの人物だが、その彼がこの演説の場面では、作品全体でたった5%しか使われていない散文をあえて使うのである。(中略)
一方アントニーは、論理ではなく民衆の情に訴えるわけだから、一見自由な散文体を使ってもよさそうなものだが、この演説の場面では整然とした韻文体を使っている。

『解説 焦点を結ばぬ鏡像』由井哲也より

もちろんこの違いがわかるように訳してくださっているのですが、原文がきちんと読めたらより楽しめるんだろうなーと思いました。
ちなみにクレオパトラは登場しないのでご注意を。


『ヴェローナの二紳士 シェイクスピア全集27』

紳士どころかサイテー野郎では?(笑)

ヴェローナで暮らすプロ-ティアスは、父に命じられ愛する恋人ジュリアと別れ、ミラノに向かう。しかしミラノで再会した親友ヴァレンタインの恋人シルヴィアに一目ぼれしてしまい…

一言で言えば、プロ-ティアスの横恋慕物語です。
紳士といってもgentlemanではなく、貴族の男性ということなのでしょうか。紳士というタイトルが、皮肉に見えます。
解説によると、現代の価値観と合わないだけではなく、当時から物議を醸していたようです。とはいえ、じゃあ読む価値がないかと言うと、そういうわけではありません。

考え方として納得できないところやご都合主義的な場面は見えるものの、シェイクスピアの真骨頂であるセリフの巧みさや美しさは十分に楽しめます。
例えば、プロ-ティアスがシルヴィアへの恋心を自覚した場面。

一つの熱がほかの熱を追い払うように、また、一本の釘が別の釘を力ずくで押し出すように、新たな恋が俺のかつての恋の記憶を忘却の彼方に追いやってしまった。こんな屁理屈を並べるほど、理屈に合わない気持ちにさせるのは、俺の目か、ヴァレンタインの褒め言葉か、あの人の完璧な美しさか、それとも俺の罪深い不実か?
あの人は美しい、俺の愛するジュリアもだーー
いや、俺の愛したジュリアだ。だって俺の恋は火にあぶられた蝋人形のように、もう跡形もなく熔けてしまったのだから。

『ヴェローナの二紳士 シェイクスピア全集27』 p69より

シェイクスピアに挑戦するならどれがいい?
と訊かれて最初におすすめする作品ではありませんが、言葉の美しさを味わえます。

『尺には尺を シェイクスピア全集28』

結婚は墓場だとは言うけれど…

ウィーン公爵は今まで無効化していた法律を蘇らせて圧政のそしりを受けるのを避けるため、部下アンジェロに託して街を出た。一方アンジェロは容赦なく法律を適用して、恋人を妊娠させたクローディオに死刑の判決を下し…

本作の登場人物たちは、はっきり善/悪、敵/味方と分けられない厄介な人たちばかりです。訳者あとがきにも、「そもそもこの劇では登場人物がみな<その立場にある資格のない人たち>である」と記されています。

公爵にアンジェロ、死刑判決をくだされたクローディオと兄の判決を撤回してもらおうと奔走する妹イザベラ。主要人物である4人は4人共、「ちょっとそれはどうなのよ?」と突っ込みたくなる難ありです。
でも、普段はいい顔をしておいて、いざとなったなら嫌なことを部下に押し付ける上司はどこにでもいますし、本作に描かれているような人たちがよりリアルなのかもしれません。

『アテネのタイモン シェイクスピア全集29』

善良さだけでは生き抜けない

貴族タイモンは、善良すぎるがゆえにいつも気前よく贈り物を渡し、負債を肩代わりしてしまう。その結果、いつの間にか破産寸前になってしまったが、友人たちはタイモンを助けてくれず…

伝説のアテネの人間不信家タイモンが、どうしてそんなに人間不信になってしまったのかを描いた作品。
他のシェイクスピア作品よりも、風刺的かつ寓話的だなと思っていたら、どうやらトマス・ミドルトンという作家との共作で、風刺パートはミドルトンの担当だったようです。

昔は善良だったのに、あるきっかけで人間不信になったり敵に寝返ったりするストーリー(闇落ち)は、現代のマンガや小説でもよくある展開なので、(例えば、『進撃の巨人』のエレン、『呪術廻戦』の夏油、『金色夜叉』の間貫一など)
難解と言われている割には読みやすく感じました。

また、本作が書かれた当時、エリザベス女王の時代は終わり、ジェームズ一世の治世になっていました。
エリザベス女王には子供がいなかったので、元々スコットランド王だったジェームズ六世が、イングランド王・アイルランド王ジェームズ一世として即位し、スチュアート朝が始まります。

この王は平和王と呼ばれている一方で、無駄遣いが多く財政を圧迫させたことでも知られています。本作は、この王の”気前のよさ”や治世下の"金権主義"を風刺していると知っていると、さらに面白く読めると思います。

さて、タイモンの真の友人とは、結局誰だったのでしょうか…?


『終わりよければすべてよし シェイクスピア全集33』

「めでたしめでたし」では終わらない物語

医者の娘のヘレンは、病身のフランス王に「病気を治せたら、ある人を夫にしてほしい」と頼む。回復した王はヘレンの願いを聞き、彼女の恋する伯爵・バートラムとの婚姻を決めるが…

これがおとぎ話なら、苦労の末ヘレンが王を治療し、身分の違いで結婚できない男と無事結ばれてめでたしめでたし…となるのでしょうが、そうはいきません。
好きでもない女を妻にされたバートラムは、逃亡の道を選びます。

じゃあ、バートラムはただのかわいそうな青年なのか?というと、そうではないのがシェイクスピアの登場人物なのです。

結末まで読んでも、すっきりしないといいますか、劇は終わったけどまだひと悶着ありそうだな、という残像がちらつきます。

だが劇作家バーナード・ショーが「苦いタイトルがつけられた苦い劇」と断じたように、「終わりよければすべてよし」には、おとぎ話の結末がもたらすシンプルな安堵感や達成感はおよそ感じられない。
「終わりよければすべてよし」というタイトルがむしろ皮肉に響くのは、この劇のおとぎ話的な要素が、ことごとく即物的な次元に引きずりおろされているからだ。喜劇の基本的なテーマは恋愛だが、この劇では恋愛とはセックスにほかならない。

解説 おとぎ話の敗北 前沢浩子より

解説にもある通り、この物語の恋愛は互いを思い合う愛情とはかけ離れていて、ヘレンもバートラムも(そのほかの登場人物も)、「ようはやっちまえばこっちのもん」という考え方で動いています。この下世話なロジックが問題劇と呼ばれる所以の一つな気がしますが、一方でここまで割り切られれると読んでいてむしろ清々しい気にもなります。


いかがでしたでしょうか?読んでみたい作品はありましたか?
また、いつかシェイクスピアに挑戦してみたいなと思ったときは、ぜひこの記事に戻ってきて参考にしてもらえると嬉しいです。

【ページ著者紹介】
このページの著者は、普段コンサルティング会社を経営しながら、小説家を目指して日々活動中です。
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