【たっくん】雑記_044 今の日本の社会では、障害者であることをアイデンティティにして生きることは不可能です。
はっきり言ってしまうと人生に意味はないのかもしれません。
これが自分の人生なんだ、と、なんとなく意味を持たせようとして、考えてしまうのは危険だと僕は思う。
僕たちは両親の「たまたま」により「たまたま」生まれた存在に過ぎないのですから、その「たまたま」で人間として生きているだけの話なのです。
もしもの話ですけど、神様が存在するのだとしたら、今のあらゆる不況の問題だったり、コロナ禍の問題だったりが早く解決するのではないか、と思う。
神様が「これは試練だ」として意図的に今の状況を作っているのだとしたら、神様なんていなくなってしまえばいいのだ。
魂なんてものが存在するのだとしたら、過去に生まれて亡くなった人間の数と、現代に生まれている人間の数がイコールにならないので、生まれ変わりなんてものは存在しないのだと僕は思う。
人間は、人間の社会でしか生きていくことしかできないし、死ぬときは人間として死ぬ運命なのだから。
正直、僕は社会に対して、なにか貢献しようという意志(意思)は少ない。
自分の好きなように生きれる環境で、好きに生きていたい。
生きるために、生活を維持するために、お金を稼ぎたいだけなのだ。
もし障害者であることをアイデンティティにして生きていきたい、なんて考えるのは、とても危険な考えだと思う。
社会は即戦力が欲しいのであって、「障害者? だからどうした」という感じがする。
実際、僕の前職は障害者雇用として雇用しているのに一般雇用と障害者雇用にあまり差はなかったです。
あるとすれば、会社(上司)の合理的配慮をしていますよ、という一点張りの主張のみ。
会社(社会)は使える人材を採用したいし、使えない人材は採用したくないのです(※これは僕自身の考えなので、この考えを真に受けてもダメです)。
2022(令和4)年3月時点の障害者の総数は、964.7万人。
これは、人口の約7.6%に相当します。
<内訳>
・身体障害者 436.0万人
・知的障害者 109.4万人
・精神障害者 419.3万人
もし自分が障害者として苦しんだ経験を活かしたいから、障害者の方々を救いたい……だから、そのための活動をする、なんて、ときどき、なにかの信念を持った障害者の方々は、そういう考えを思ったりするパターンは多いのですが、まずは自分が助けが必要な存在で、人の支えがなければ生きていけない存在だということをある程度は自覚しなければならないと思うのです。
それに手帳を持った障害者って、意外と少なかったりします。
僕の場合は精神障害者手帳2級なので、「日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」という障害・病気の重さがあり、とてもじゃないが人助けはできないです。
自分ひとりだけを生かすことしかできません。
僕が昔、よく行っていた発達障害のコミュニティのことをちょっと話してみるけど、正直、一般人には理解できないんじゃないかな?
よく発達障害(ASD、ADHD、LD)に関して一般人に説明して、わかってもらおう、というコミュニティの活動に参加していたわけだけど、やっぱり障害を持つ当事者にしかわからないんだよね。
遊戯王のようなトレーディングカードゲームのカードの効果ぐらいのややこしさが、一般人にはあるのね……ちょっと、わかりづらい、たとえだけども。
だから自分ひとりだけ理解していれば、それでいいんじゃないかな。
もしパートナーや友達がいる方だったら、その方に話をして楽になればいいと思う。
もっと不真面目に生きている人だっているし、社会に、なにか貢献しようなんて思うのは、やめたほうがいいのかもしれない……自分のケアだけしていればいいのだと思ったり。
もっと気楽に生きてみようよ。
ただでさえ、病気なんだからさ。
今回は、僕自身に書いた記事なのかもしれません。
最近、ちょっと憂鬱で、周りとの差を感じて、考えてたりして、つらいです。
ネガティブだと、ネガティブなものを引き寄せてしまうので、できるだけネガティブなことを考えないようにしたいのですが、なかなか難しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。