【ドアノブ】新年挨拶₋039₋明けましておめでとうございます。
みなさま明けまして養ってくぅ・・・おめでとうございます!
年末に「【ドアノブ】年末挨拶₋38₋良いお年を!本年の振り返り。」にて実行プランの部分を端折りましたので、きっとみなさん新年の目標など決めるたりする時期だと思いますので、それに合わせて実行するための現実的な方法の一つを伝えてみたいと思います。
何か障害がある方も、やる気がない方も、引きこもりの方も、健常者の方も、少なくとも体は動かせて、日常生活が過剰に負担になっていない方に何か切っ掛けになればと私は思って書かせて頂きます。
それでは結論から述べたいと思います。
学習性無力感を認識し、意志力、やる気だけに頼らず、スモールステップと作業興奮を利用し、習慣化する。
以下は上記の説明なので、これが分かる方は以下は読まなくて結構です。
駄文で長い説明文ですので、自分の時間を大切にされてください。
それでは、一応念を押したので、ゆっくりと書き始めたいと思います。
新年が始まりましたね。皆様の初夢はいかがだったでしょう?私は薬のせいで悪夢でした(笑)
悪夢の人には朗報を、心理学の統計では悪夢を見る人は悪夢を見ない人に比べてストレスの耐性が強いそうです。私はこれをレベルアップしてると解釈してます。
いい夢を見たら気分はハッピー!悪夢を見たら耐性のレベルアップでラッキー!
新年が明けると何か思うことはありますでしょうか?昨年も一昨年も何か新年に思うことはあったでしょうか?
出来たことはありましたか?出来なかったでしょうか?
過ぎたことは過ぎたこと。もう戻っては来ません。それなら次に行っちゃいましょう!
悔やんだって悲しんだって楽しんだって嬉しかったって、もう過ぎたことです。
これまではこれまで。今年はすでに始まっています。さて何から始めましょうか。どう動いていきましょうか。
新年から重いのいっちょ語ってみたいと思います。
私は「もう過ぎたこと」と言いましたが、出来なかった理由はちゃんと振り返りましたか?
あえて、うまくいかなかった事を前提に話をしてみます。
これまでの新年に思いや願いや目標はあったと思います。一つか二つ、多くても両手には収まるでしょう。
それを私も含めてあなたは365日もあったのにも関わらず、それを成し遂げられなかった。
あなたはそれを80回繰り返す人生を送りますか?
平均余命をおよそ80歳とカウントするとして、残りのあなたの回数券は何回ほど残っていますか?ちゃんと回数券を使えていますか?
毎年出来ていないのは学習性無力感であると考えられます。
学習性無力感とは何か刺激に対して何度やっても回避が出来ないとそれを「学習」してしまって回避行動しなくなってしまうこと。
新年の目標に落として考えてみると、毎年新年に目標や希望掲げても、それを毎年出来ていない事をストレスとすると。目標や希望が「刺激」で、毎年出来ていない事を「学習」している事になります。そうすると、どうせ思っても実現できない。という標準化されてしまいます。
今年も雪が積もり、氷が解けて緑が芽吹き、桜が咲いて、長い雨が降って、蝉がないて、紅葉が広がり、初雪を観るのも、あなたの残りの人生の回数しか観れません。
一年としてみると数十回しかないです。
日々としてみると一年はたくさんのように思います。
それではその日々の中で身近な人に大切な思いや、感謝の気持ち、自分の正直な気持ち、優しくしてみたり、時に感情的になったり、謝ってみたり、意見を交換したり、普通に対話してみたり、雑談してみたり、愚痴を聞いたり、話したりを話出来ていますか?
恥ずかしいとか、時間が無いとか、忙しいとか言っていても、ほんの数秒やせいぜい数時間です。
伝える時間は日々刻々と減っていきます。
そして、何かのその時は突然にやってきます。
私は母を亡くしたときは素直になれなかったと後悔しています。
母を大事に思っている事、
愛情をもって育ててくれたこと、
構ってくれたこと、
そばにいてくれたこと、
おんぶしてくれたこと、
母と喧嘩した朝に忘れた弁当箱を母が笑顔で追いかけて届けてくれたこと、気持ちの整理がつかず私はその弁当を地面に投げつけたこと、それを悲しそうに拾って家路に帰る母の背中、そして、どうしてそう行動したのか分からず泣きながら校門に入っていった私。
いろんな事の感謝や謝罪は結局言えずじまい。
相手がいなくなってからではお墓や仏壇に独り言いうだけです。それも自己満足的なものでしかありません。
今、あなたには大事な人がそばにいるはずです。物理的な距離の問題ではありません。心の問題です。親族、親友、友人、ネットの友達、職場の人、スポーツや趣味などのいろいろな集まりに誰かいませんか?
ただ、伝えるだけです。お話をするだけです。お話を聞くだけです。今年は本日入れて残り364日しかありません。
身近な人に挨拶や感謝、気持ちなどお話してみませんか?
ならば、それを行動するにはどうしたらいいのだろうか。
切っ掛けはスモールステップがよいと思います。スモールステップはやりたいと思ったことのレベルを下げること。
そして作業興奮を利用したらいいのです。
作業興奮とは本当はやる気はないし、興味はないけれども、早くやろうとか、効率的にとか合理的にとかやってみると自然といつの間にか集中してしまう現象です。
例えば、風呂に入るのは面倒だけれど、一度、服を脱いで風呂場に入ると自然と身体が動いて洗ってくれていると思います。それが作業興奮です。
だから、まず一歩が大事なのです。
その第一歩が難しいんだ!出来ないんだ!という声が聞こえてきそうです。
私もその一人、私が目標としたこと、課題としたこと、すべて行動できたわけではありません。
ですが、本を読むように出来るようになりました。
読書週間を付けようとある日思い立ちました。
でも、本が読めるかわかりません。そもそも本がありません。買いに行かないと。何を読もうかも決まってません。そもそも本屋に行くのが面倒くさい。
まずはスモールステップ。私の場合はまず本を買うだけ買おうと決めました。そこまでで一週間以上掛かりました。
とりあえず、本屋さんへ行く、買わなくていい。本も選ばなくていい。本屋へ顔を出す。
次に本屋へ行くのに慣れてきたら、いろいろな本が目に入ってきます。それで帰ります。
それに慣れてきたら、気になった本を手に取ってみる。読めそうかな?難しそうかな?と曖昧して、帰りました。
繰り返し見ていると自分でも読めそうな簡単な本、なんとなく気が向いた本を選び買いました。
次に本を買ったけれども、開けません。とりあえず、触るところから始めました。とにかく本に毎日触れてみる。見えるところにおいて置くことにしました。
触ることになれてきたら、本を開いてみました。目次をなんとなく眺めて、「よし、読むぞ」と思った時に、やる気がなくなりました。
結局、読書一日目に読めたのは、たった2行でした。
次の日、昨日2行読めたから次はもう少し読んでみようと半ページまで読めました。
その日は何度かトライして、数行ずつ読んでは休んでを繰り返しました。実質一分や二分ですぐに休憩です。
それは非常にゆっくりではありましたが、着実に進んではいました。何度かトライを繰り返す度に、少しずつ、時には短くを繰り返しながら、数十分は読めるようになりました。
そして、読み終える事ができました。達成感がありました。次の本に進むのはそう難しくはありませんでした。同じ行動をするだけだからです。
人によっては外に出る事がスモールステップかもしれません。
靴を履くことからかもしれません。
外に出るための準備のステップがあるかもしれません。
人によって必要な段階は違います。あなたはどこからならトライできますか?
自分の成し遂げたいことの難易度を下げる練習をしてみてください。
では、それを続けるためにはどうしたらいいのか。
それはみんな毎日やっていることを思い返してみれば、簡単なことです。
習慣です。
習慣化するために私は本やyoutubeの本の要約などのチャンネルなどを読んだり観たり聴いたりするトライ回数を増やしました。どうしてもやる気がないときは違うことで気晴らしします。
気晴らししたら、一行だけ、一分だけ、と決めてやってみます。続かなければ再び休みます。
それくらいなら時間は作れるでしょう。なんとか耐えられるでしょう。
それを繰り返すだけ。
三日坊主も一年で何度も繰り返せば、毎日ではなくとも、長期的には継続出来ているといえます。
歯磨きするとき、トイレの後に手を洗ったり、ご飯を食べるときに何か疑問を持っていますか?きっと、自然の流れでしているでしょう。はじめはあなたも面倒だった時があったはずです。私の一歳の姪っ子なんて泣いて口を閉じて歯磨きに対抗してきます。
でも、みなさんは自然と今は出来ている、面倒と思っても行動しはじめたら動けるそれが作業興奮と習慣です。
実はみんな出来る事なんです。
それを他の自分の成し遂げたいもの、やりたいこと、身に付けたいもの、学びたいものにスモールステップ、作業興奮と習慣をくっつけて運用していければ、出来るようになって、それが自然となっていくのです。
私は読書の他に、昨年は父に挨拶と「ありがとう」を伝えるようにしました。ほんの数秒の話です。特に仲が悪いわけではありませんが、私には父は近寄りがたい存在でありました。
そんな自分が嫌でした。父を嫌になるのも嫌でした。
いつか父がいなくなった時に、母を失った時のような後悔はしたくなかったからです。
それを実行し伝えるまでに数か月も実行に移せませんでしたので、心のスモールステップが私には必要でした。
心の中のスモールステップを繰り返し、ある時、奮い立たせて実行する段階まで来て伝えてみました。
今では習慣になっています。
挨拶と感謝、それだけを伝えるだけしかしていませんが、一年続けた結果、以前は家庭内別居に近い状態でしたが、(今も近い生活感ではあるけれども)会話をする機会は着実に増えました。
ただ、繰り返しただけ。
行動に移せないなら移せる程度の簡単な行動に一度移してみるだけ、少しだけ行動出来たら少しだけ繰り返ししてみるだけ。
千里の道も一歩から。
ここ幾年かの目標を達成できなかった人にはこの一年という365回の回数券も一年という一回の回数券としてカウントしてしまうのか、じっくり考えてみてください。
それとも12ヶ月としての回数券、48週間としての回数券、8,760時間としての回数券、又は525,600分としての回数券、31,536,6000秒としての回数券として利用してみますか。
思い立つのは一瞬です。
あとは行動するだけ。
これだけのトライする回数を今年一年生きているとしたら与えられています。
もちろん、寝てる時間や生きるために必要な経費の時間もあるでしょう。
それを抜くとその寝てる三分の一も経費、働いている人ならば更に三分の一も更に経費、すでに、自由に使えるトライ回数は上記の三分の一になってしまいます。
よって、一年でも4ヶ月の回数券、16週間の回数券、2,910時間の回数券、175,200分の回数券、105,122,000秒の回数券しかありません。
少なくとも昨年、目標を実現できなかった人はそれだけの回数を今年も今、日々、刻々と減っています。
回数券のカウントを何回と決めるのはあなた次第です。
それでもあなたは今年も実現しない夢にしますか?それとも実現できる目標にしてみますか?
まずは目標。
そこから何が学習性無力感かを認識し、スモールステップの設定と作業興奮を利用し時間は短くていいから試行回数を増やし行動する。そして習慣化する。
今年の目標と実行プランと習慣化を計画してみてください。
まずは、周囲の大切な人に何か一言を。
そして、自分に対して何か一言を。
最後に、今年の目標など計画を。
いつも、みんなありがとう。生きていてくれてありがとう。
自分にも生きてるだけでよくやってるぞ。
最後に目標、、、、誰か養ってください!?
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きっと、みなさまは良い一年になると思います。
今年の一年があなたにとって素敵な年になることを心より陰ながらそーっと応援しています。
あなたの何かの第一歩となる一年になりますようにお祈り申し上げ、新年の挨拶とかえさせて頂きます。