#262 最近の暮らしぶり

 そういえば、休職に入ったばかりの頃は、このnoteの記事が鬱に関することだけではなく、時事ネタなんかも長文を書いて積極的に投稿していたなあ、と思い出しました。お昼ご飯も積極的に開拓していた気がします。休職って療養のためにあって、鬱病における療養の第一義は、頭も体も休めること。端的に言えば「寝ること」ですね。できていなかったと思います。

 なぜできないのかは明白でした。現代はあらゆる物事に依存性を持たせているからです。わたしは4月にタバコを辞めて、その後タバコ代替品(ノンニコチンタバコ)からも卒煙しましたが、これは薬物依存ですね。6月にはソーシャルゲーム(スマホゲーム)をアンインストールしました。ゲーム依存症はWHOが認定する疾病です。身の回りのことができなくなるくらい異常にのめり込んでしまう時期があったので、病的だと自己判断して辞めました。以来、あらゆるゲームから離れています。

 他にも、スマホのアプリや通知の設定を最低限の構成に見直し、スクリーンタイムで夜間の使用を制限しました。この設定を行う課程で実感したのですが、スマホはヤバいですね。ほぼ全てのアプリが確認や操作を促してきます。人はそれに依存するかもしれないし、例えばそれが「日記をつけましょう」というリマインダーだったとしたら、無視をしてはいけないような、罪悪感すら生み出します。スマホには有益な機能も数多い訳ですが、日々のコントロールを奪われてしまうくらいなら、オフにしたほうが良いでしょう。というわけで、わたしのiPhoneは「ヘルスケア」アプリすらオフにし、歩数を確認することもできません。しかし、それでいいのです。正確な歩数は知らなくても、肉体的な感覚でよく歩いたか、運動不足かは分かります。かつては心身の何もかもを記録していましたが、メンタル疾患に限っては「気にしない」ことの方が重要だと確信し、スマートバンドや血圧計はもちろん、体重計すら捨てました。

 わたし自身の最も大きな課題としては、買い物依存をなんとかしなければなりません。これはもはや、金額の話ではありません。「いまモノがほしいと思っているだけ」なのかどうか、直感で分かります。本当に必要なモノにはそんな疑問を抱くことはありません。自分の中でハッキリとその感情を区別できるのですが、しかし、その購買行動でスカッとするのは前者の買い物です。やっかいな話です。

 そうした買い物をした場合でも、自分を責めることはしません。小売店は娯楽施設であり、その雰囲気に抗えないことがあっても当然だからです。オンラインでもオフラインでも、テレビでもラジオでも、アレを買えコレを買えという圧がすごい。そんな品々がクリック一つで明日届くなら、あるいは目の前に展示されていて触れられるなら、我が物にしたいとの考えがよぎり、その衝動を忘れるためには少し高価な食事をしなければならないほどです。結局、いくらかの過大な消費を伴うという、情けない話です。

 そして、比較的最近の変化としては、サブスクをほとんど全部解約しました。Uberも既に退会しています。今月末頃にAmazonプライムの更新がありますが、それも更新しないと決めています。自宅の光回線も解約月になりましたので、今月解約します。リモートワーカーとしては必須だったのですが、復帰する可能性が低いためです。それに伴い、最近のわたしが中毒になっていたYouTubeもアプリを削除し、更に距離を置くことにしました。少し前まで、朝日新聞デジタルを有料契約していて、報道はしっかりとチェックしている方だと思っていましたが、それもやめました。ニュースは無料のYahoo!ニュース、BBCとCNNとハフポストの日本版を「タイトルだけざっと見」して終わりにしています。もちろん、気になる記事があれば読みますが、ほとんどはタイトルだけで見て終わりです。ニュースの世界は戦争や差別との戦いでいっぱいですから、今のわたしが抱えるには荷が重いというわけです。

 さて、そうした諸々でできた時間は、たっぷりと読書をしたり、音楽を聴いたり、たまにはリアルの友人と遊ぶことに使います。メンタルが落ちると読書ができなくなることがありますが、その際はAudibleを再契約して朗読を聞きます。体調のいいときには映画を観に行きます。あとは身の回りのこと、掃除洗濯をしっかりやって、夜はたっぷり睡眠をとります。

 働く暇がありませんね。しかも、思想的にアナキズムに傾いて行っているのを自覚しているので、労働は悪だくらいに思い始めています。最近読んだ『万物の黎明〜人類史を根本からくつがえす〜』 『「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論』 『格差は心を壊す 比較という呪縛』 『大杉栄伝 永遠のアナキズム』の四冊は良かったです。アナキストを自称するほど傾倒してはいないと思いますが、この手の本をとっても楽しく読めてしまうというのは、やはりわたしには適性があるのでしょう。大杉栄のように生きてみたいものです。

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