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泡沫(うたかた)のように

こんにちは、からなしでしゅーーーー。

皆さんいかがお過ごしですか?
私はTwitterのアカウントを現在の連携されているアカウントですが改め、写真の活動などのクリエイティブな方向へ少しずつですが移行しています。
もちろん以前のアカウントも使用しておりますが作品の発信などはそちらでやらせて頂いております。
よろしくお願いします!

 

さて紹介もほどほどにして本題にいきましょう。

今回の記事の内容はずばり

【学校へ行くことの意味】

こちらの内容でお話させていただきます。

  

なぜこの話を今するのか。

それは最近某不登校小学生YouTuberが話題になったり、コロナ禍によって多くの学生が不安定な環境を与えられしまっているからです。
また大学生、とくに就活生にいたってはかなり強引にインターネットによる画面越しの活動をしいられいます。

この現状で浮き彫りになっていくものがあります。

ネットリテラシー?PCを使用する技術?
そんな浅いものではありません。

もしよろしければ読んで頂いた後、共有や拡散等していただければ幸いです!

 

【私が通った道】

この話をするにあたってどうしても私の話が必要になってきますので少しだけここで失礼します。
もしかしたら共感していただけるかもしれません。

 

さて学歴ですが

高校は進学校卒業(県内で2番目の偏差値)
F欄私立大学に入学
2年留年
6年目を最後に中途退学

最終学歴は高卒になっています。

こんな感じです。

  

進学校であった高校には当時偏差値60程度で私は勉強もせず入学しました。
高校生活においても勉強はしませんでした。
1年生の頃は先生から「横国に入れる」と言われていました。

勉強はしなかったので当然落ちぶれるわけです。
その結果がF欄私立大学入学です。

留年は鬱病が原因です。

就職も出来ていません、現在フリーターです。

  

つらっと書きましたが頑張らなかった言い訳を垂れ流しているようにしか見えませんよね。

想像してみてください
私が「何かがんばること」をしてきたと思いますか
私に「何かしたいこと」があったと思いますか
私が「自分でえらぶこと」をしっかりやってきたと思いますか

まぁ、ないですよね。
言い訳出来ないほどその通りなんですけども(笑)

だからこそ退学をしてから気づいたんです。
大人が本当に子供に教えないといけない「学校に行く意味」に。

何も得て来ず、逃しっぱなしだった私だからこそ。

 

【見つけなきゃいけないもの】

いきなりですが皆さんに質問します。

なぜ「学校へ行くべき」なのですか?

なぜ「学校へ行っておかないと…」なのですか?

親御さんならば
なぜ「学校へ行かせたい」のですか?

  

はっきり答えられますか?
子供に子供と同じ目線でそうだと言い切れますか?

 

私も少し考えてみました。

 

出てくる答えってこんなのですよね

「学歴がないと」
「社会に出てから認められないから」
「就職するため」
「順風満帆な人生を送るため」
「社会性や協調性を身に着けるため」
「青春を味わうため」
「やりたいことを見つけるため」

下2つ除いてその他の答えって…
「大人が社会的に求められていること」ではないですか?

それは学校に行く意味ですか?
学校に行った結果によって身に付いたりするものではなくて?

その保証のための「学歴」「履歴書に書ける資格」になっていませんか?

 

私が質問したのは義務教育だからとか社会通念上とかそんな話しではありません。
皆さんも子供の頃を思い出して今の視点から考えてみてください。

 

ヒントは「あの時もっと勉強しておけば」

 

【思い返せば】

ところで皆さんの学生生活ってどんな感じでしたか。

私の話しですが
別にやりたくもない宿題やったり
気怠い授業に参加させられて
体育とか工作の時間なんて嫌いな共同作業しなきゃだし
周りは流行りのアニメ、ゲーム、食べ物の話しか妬み嫉み

くだらない、ゴミみたいな毎日でした。

これは私が少し尖った見方をしていたからですけど

 

たとえば
「本気で打ち込めたもの」
「本気で楽しめたもの」
「本気で考えた出来事」
「本気で苦しんだこと」

そんなもので溢れていましたか?

たぶんたくさんあったんですよ。
それを見ようとしなかった、手をのばそうとしなかった。

そんな人も多いのではないのかなと思います。

だからか「あの時もっと勉強しておけば」
って言葉が出てしまうんですよ。

もっと違う人生を歩めていたかもしれないから
もっと楽しく生きられていたかもしれないから
もっとやれることがあったかもしれないから

これは自分を振り返った時の「理想」です。
社会人になったら戯言を言うなって言われることです。

  

でもなぜかこうやって
「理想」の裏腹に「後悔」が出てきてしまいますね。

もっと直接的に言いましょうか。
「本来そう在れた自分がいたはず」だからではありませんか?

つまり「勉強しておけば…」の後悔と理想って
自分をちゃんと生きて来なかったことに起因しているんですよ。

 

【「あの時勉強しておけば…」の「勉強」って?】

さて私たちは「何の勉強をしたかった」のか

教科のことですか?
成績のことですか?
学歴のことですか?
部活のことですか?

それとも

就職のことですか?

学生生活そのものですか?

 

現在学生の方も考えてみてください。
すぐに答えは出ないと思います。

大人でもなかなか出ませんから大丈夫です。

 

それだけこの質問は触れられて来なかったということです。
こんな偉そうに語っている私でさえ中退してからしっかり気づきました。

 

どうでしょうか、なにか答えは出ましたか?

 

たぶんそれ

大人の方は
学生の頃に得たかったこと

学生の方は
今自分に足りないと思っていること

です。

 

その奥には一体何があると思いますか?
どうして「理想」と「後悔」が渦巻くのでしょうか?

 

どうしたらその理想へ近づけていたのでしょうか
どうしたらその後悔をしなくて済んだのでしょうか

 

そこに本当の学校へ行く意味があると思います。

 

ここで一旦止めて考えてみてもいいかもしれませんね。


【学校で○○すること】

そういえば学校って何をするところでしたっけ?

勉強すること?

恋をすること?

資格をとること?

単位をとること?

協調性を培うこと?

自主性を養うこと?

自分のやりたいことをみつけること?

 

うんうん。たしかに。

理想や後悔が産まれるのは

勉強しなかったから自分のやりたいことも見付からず、必死に打ち込めるものがなかったから資格も学歴も「もっとこうできていた」のかもしれないし
それゆえに自主性だったり協調性だったりも本当の意味で培われることもなかった

自信の持てる今が作れなかった
だから理想もあるし後悔もある

 

こんなところかもしれませんね。

 

でも先ほど上にあげた学校の側面にはあんまり関係なくないですか?

 

大切なことが抜けているような気がします。
外ばかり見て内側を見ていないような、そんな感じです。

 

1つだけ確かなことは「積み重ねてきた」ということです。

 

【さもありなん】

私は中退をしてアルバイトをしていますが思うことがあります。

 

社会に出てからの方が学生の頃よりはるかに勉強は多い

 

と、いうことです。

 

学生の方はあまり想像が出来ないかもしれませんが
「働く=生活出来る=出来ることを増やす=実践値=勉強」

こういう構図で捉えてもらえればいいかとは思います。

よく聞く「社会では通用しない」という決まり文句は

これら全てがある一定のラインに達することが出来ていて
さらに社会的意味を持たせられないといけない

ということなんです。

なのでそれが出来てない人、学生には
「能書きを垂れるな」「屁理屈をいうな」と言われるわけなのです。

 

つまり
それだけのことをしていく厳しさが社会にはあるわけです。

 

少し言い換えると
それだけのことをしていける自分でないといけない。

 

もうそろそろ答えが見えてくると思いますが

大人になって一番大切なのは
「自分がいかに生きていけるか」
「自分をどう活かしていけるか」

ということです。

 

だから「積み重ねてきた」ものが大事なんです。

そして社会人になってからは

積み重ねていくことが主になっていきます。

 

こういった視点を持つと【学校へ行くことの意味】が見えて来るのではないかなと思います。

 

【君達は苗木】

社会人もとい大人として生きていくことを
「自分を積み重ねていくこと」
とするのならば

学生もとい子供はなにをしていくのでしょうか?

 

学校へ行き
ちゃんと勉強をして
成績を修めて
課題をこなし
規律を守り
モノトリアムを過ごし
社会人になり生活をしていく

 

一体なにをすべきなのでしょうか?

子供達は何を勉強しなくてはいけないのでしょうか?

 

積み上げていくためには何が必要だと思いますか?

最後のThinking Timeです。

 

何を積み重ねていくんでしょうか? 

  

 

子供達がしないといけないのは…

 

何かを積み重ねをしていく方法やその土台を作ること

 

ではないでしょうか。

 

そのためには考えてもらいたいことがいくつかあります。

・自分がどういう人間なのか
・自分の興味はどこにあるのか
・自分は人とどう付き合っているのか
・自分にで来ることは何か
・自分に出来ないことは何か
・自分のなりたい形は何か
・自分の好き嫌いは何か
・自分の楽しいはどこにあるのか

書いていて思ったのですがこれ就活の時にやる自己分析とにていますね(笑)

 

なんでこれを考えてもらいたいのかというと

これには答えはなくてそれぞれに答えを出していい事柄だからです。

就活生より子供はさらに大きく自由にこの答えを出すと思います。

もっと自分側に答えを向けて出してくれます。

就活生の方は自覚してると思いますが、「体裁」を気にしてますよね?

 

本来「自分とはこうでこうありたくてこうしてる」ということに
他人の目など1ミリたりと必要ありません。
なぜなら「自分自身のこと」だからです。

 

そしてもう一歩就活生に向けて踏み込んで言うと
「自分ってどんな人間か解らない」のではないかと思います。

実際に私もそうでした、もちろん周りの人も。

 

これって曖昧に生きてしまったツケだと思います。
決してそれが悪いわけではありませんが、社会が求めていることとは離れてしまうので。

 

少し話しがそれました。

  

だから

「自分をもって自分で何かを積み上げていくのは自分しかいない」

ということです。

自分の人生の責任は他人ではなく自分にあります。

 

なら子供がしていくのは

「自分を知って自分の活かし方を探していくこと」

これに限るのです。

 

その種を植えさせてあげないといけないんです。

大人は自分の生きる場所は選べるけど子供はそうはいきませんから。

 

そう考えると学校ってなんでしょうかね
なんとなく解ると思います。

 

【見つけたヒカリ】

ここから学校に踏み込んでいきます。

大人の方も学生の方もここまで読んで頂きありがとうございます。
やっとこさ本題も本題です。

 

学校は「学ぶ場所」です。

 

そこには何があるでしょう?

規則があります。
授業があります。
テストがあります。
運動会などのイベントがあります。

人がいます。
そこには人間関係があります。

 

学ぶとは何を学びますか?

努力すること?
協調性を身に着けること?

 

答えから言います。

学校で学ぶことというのは

「自分を学ぶこと」

と考えます。

 

自分を学ぶには

他人との差異を知り
他人との関係性の中から自分らしさを見出し
いろんなものに触れて自分を発揮し

それらの中で経験をしていき

その中で道徳心や社会性、協調性、自主性を培い

自分のあり方を模索していくこと

これが自分を形成していくことです。

そこから自分なりの創造性や独創性、工夫が溢れるようになる。

 

その過程を「勉強」とは言えないでしょうか

 

先に問いかけた

「もっと勉強しておけば」の「勉強」とは

 

自分を学び、その中から自分を活かすこと

 

それを習いたかったのではありませんか?

 

それが出来ていれば
もっと違う人生だったかもしれないし
もっと楽な人生だったかもしれないし
もっと幸せな生き方が出来ていたかもしれないし

 

理想と後悔は取りこぼしてきたからなのかもしれません。

そうでなかったら大人が
人間関係に悩むこともないですし
繰り返しの味気ない毎日なんて送らないし
子供達にこれを教えてあげられているし
自分もそれに則して生きていけているはずだし

 

そう思うと子供の期間に学校に行くということは
非常に大きく大いに自由に色々なものを自分と相対しながら
自分が在れることを自覚させてくれる材料になるかもしれない

と、位置付けられはしませんか。

 

教科を勉強するだとか資格をとるというのは全然主体ではなく

むしろ手に出来る武器ということになりますね。


そしてそれをどう使っていくのかは本人に委ねられています。

 

どう使うのか、どう使っていけるのか
使う本人が自覚していかなくてはいけません。

 

【おまけのお菓子】

さて就活生、学生さん達
ここまで読んでどう思いましたか。

大人は社会での生き方は教えてくれません。

上辺は撫でるけど「あなた自身の話し」はしてくれません。

小さいころから自分を学ぶことを問いかけてはくれないのに
大学生になれば自立やら培って来てないこと求め発破をかけます。

  

本人達からすれば

「そんなの出来るわけねーよ!自分達だって出来て来なかったくせに!」

って思うと思います(笑)

 

でもこれって

社会に出る前に自然と出来てないといけないものなんです。
完璧でなくてもそれなりでいいので。

 

だから誰も言わないし、目を向けないし、はっきり言ってもらえないんです。

 

少なくとも私は手を遅れでした。
テキトーに大学行って就職してって安易に考えてましたから。
普通に大学卒業して就職出来たとしてもきっとドロップアウトしていたでしょう。

中身の私が変わっていないんだから当然ですね。

 

【ポケットの中には~♪】

最後まで読んで頂きありがとうございました!

この記事をきにいっていただけたら幸いです。

よろしければハートと拡散お願いします!

 

それでは最後に。

あなたという人間をどう活かしていくか
あなたという人間をどう生きていくか
それをどう見つけていくのか

これについては
下のリンクからどうぞ
こちらも長い記事になっていますので時間のあるときにでも♪

https://note.com/resound_no_color/n/n80f59e6727cc


これからの社会どうなるかわかりません。

今就活をしている大学生はどうなるかもわからないコロナ禍の中で矢面に立っています。

大人のしてやれることは何か。

私がやれることはなにか。

と考えた時にはこの記事を書き出していました。

 

そこで1つ

 

現代はとても便利です。

便利ということはそれだけ考えなくてもそれらを使える。

誰でも使えるということはそれだけ多くの結果や事柄を引き起こします。

「いいこともわるいことも」

使い方は使う人に大きく偏ってしまうことになります。

だけどどんなに便利になろうとも人との関わりは消えません。

対面してようが画面越しであろうが。


冒頭であげた「ネットリテラシー」とかもそうです。

道徳を培うことは大きな課題となると思います。

それには自分を知らないといけないんです。

 

社会で生きていくにも「自分を持つ」ことが出来ていないと

自分の人生に迷子になってしまいます。

 

学校は他人やモノと触れ合いながら体験し学んでいける実感がそこにあります。

しかしコロナ禍でリモートをし出すとそれは手元から離れてしまうことになります。

だとすると教えてあげられるのが親しかいなくなる訳です。

しかし親も完璧ではないし、今まで学校に放り投げていた問題を
いきなり「はいやってください」で出来るとは思いません。

 

なので一人でも学生さんでもいいし目に止まればなと思って記事にしています。


と、ながながと語ってしまいました。

本当にありがとうございました。
また記事書きますのでみてくださいね!

 

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