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要らなくなったおもちゃを友だちにあげる子ども~100分de名著「資本論」①を観て

これを書いている2021年1月のNHKの100分de名著はカール・マルクスの「資本論」を取り上げて斎藤幸平さん(日本の哲学者、経済思想史研究者。専攻はヘーゲル哲学、ドイツ観念論、マルクス主義哲学、マルクス経済学。大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。博士 wikiより)さんによる見解が繰り広げられている。

私は海外に住んでいてNHKが観られないのでまずムック(キンドル)を買って読み、やっぱり観たい!と思い、なんとか第1回目の放送を観ました。(日本の友人が録画したのをzoom経由でみせてもらったり、色々工夫しております)

ムックはこちら アマゾン 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 

Fujisanというサイトも送料無料だそうです。

やっぱり読むだけじゃなくて、人が話しているのを聴くのは楽しい!(笑)

しかもアニメーションや朗読、「それってこういうことですよね」と合いの手が入ることによって、味わい深くなる~~~。

で、ですね、ムックを読んでても、「あ~、そういうことか!」と思っていたことを、放映を見たら書きたくなったので(読むだけではそこまで味わえていない、ということを強調したいw)、表題のことについて書きます。(他にも色々書きたいのですが、ぜひせめてムックだけでも読んでみて!)

子どもがいる人は一度は経験したことがあるんじゃないかと思うのですが、子どもって要らなくなった(自分が遊ばなくなった、興味がなくなった)おもちゃを、遊びに来ていた友だちにあげようとしませんか?

私には娘が2人いるのですが、どちらもそうでした。

まだ遊んでいるおもちゃを「ちょーだい」って言われても「これは〇〇のだから」とか「ダメ」などと言って断るけれど、あれば遊ぶけどそれほど興味がないものは自分よりも欲しがっている人がいるなら、という感じで「いいよ~」という。

ただ、ここで一つだけ単に「いいよ~」と言う代わりに「お母さんがいいって言ったらね」と言って母である私に聞きに来ます。いま思うと、これに関しても書きたいことがありますが、ここでは割愛します。(まぁ、いろいろ最近考えているのですよ、ということを匂わせておくにとどめます(。・・。)

で、「マミィ~、これ〇〇ちゃんが欲しいんだって。もう使わないからあげてもい~い?」と訊かれた私が、そのものをみて、それがシルバニアファミリーだったりしたら「ダメ!それは高いんだから」とか「まだ遊ぶかもしれないからとっておきなさい」とか「それ、要らないならまみぃの友達にセットで渡したいからバラバラにしないで」とか、なんだかんだ言ってなかなかあげさせません。

そしてこころの中で思うのです。「子どもは価値が分かってないからすぐにあげる、とか言うけど、それ元は私がお金払ってるんだからね!?」と。

実際に子どもが「なんで~?いいじゃない、私のものなんだから」と言った時に「あなたのものかも知れないけど、元々は私たちがお金払ったんだから、最終的には私たち親のものです。だいたい、あなた達は子どもだから、どれをあげていいかわからないんだから、ダメよ」などと、今考えたら筋が通っているようないないようなことを言って、子どもは腑に落ちないので何度かそれを繰り返し、結局子どものほうが折れてもう逆らわなくなっていました。

今や子どもも大きくなり、要らなくなるものが何度も出て親である私も処分することに慣れたので、「高かったんだからダメ!」と言わなくなりました。実際、2~3年前に「wiiもう使わないから〇〇にあげるけど、いいよね?」と言われた時には「いいよ~」と言っていたし、DSも使わなくなって数年経った時には「捨てちゃってもいいよね?」と自治体の電気製品ゴミ処理所に持っていったりしていました(それでも去年『DSあるっけ?』と遊びたくなって探していましたが( ̄ー ̄)。

最初の段階は「だめ、もったいない」で、次の段階は「もう私たちには価値ないからあげてもいいよ」だったのです。

そんな私が、資本論と斎藤さんの論と、資本主義や市場経済について少し知ったいま、子どもの「要らなくなったからあげてもいい?」の意味がわかったのです。

子どものほうが「価値」をわかっていた。

この「価値」は「使用価値」という意味の価値ですが、私たちが強欲(結構感じで書くと強く感じる…。つまりは欲張り、ですね)になるのは、「使用価値」ではなくて、「これをああしてこうしたらもっと価値が上がる」という「紙幣価値」の考え方で、これが花咲かじいさんの欲張りなおじいさんとあるもので満足しているおじいさんの違いなんだな、と気づいたのです…。

金のガチョウを殺しちゃう、みたいなのも通じていると思う。

どっちが正しいか、ではなく、どっちが幸せか、って考えると、私は目の前の興味があるもの、使っているもの、好きなものが十分な量あることのほうが幸せだなぁ、と今さらのように気づきます。

そして、子どものように、つまり私たちが先天的に持っている感性のままに自然やものに対して接していたら、モノがあふれかえる、ということはないのかも、と思いました。

このマインドセットでいたら、家の中のものがもっと捨てたり処分(寄付も含めて)できそう。

というわけで、資本論から人間が元々知っている、持っている叡智、自然と融合する感覚を思い出し、自分の周りをもっと毎日過ごすのが快適になるヒントを得たのでした。

第2回、3回、4回の放送も観られて、なにか気づきがあったらまた書きま~す✎

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ともちゃん@シドニー
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