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"教育版"桃太郎電鉄にアイツが居ない件。

知的好奇心を刺激する仕組みの重要性。

 コナミが桃太郎電鉄を教育向けに調整した仕様のものを、教育現場向けに無料で提供する試みが話題となった。

 全国3,000以上の小中学校で利用申請があったとのことだが、ざっくり小学校が2万校、中学校が1万校が全国にあることから、国全体の1割程度に留まっている。

 私は座学よりもゲームを取っ掛かりに興味を持たせて、自主的に深掘りさせる方向に促す方が、ボトムを平均まで底上げする現状の教育アプローチよりも効果的ではないかと考えている。

 私はデジタルネイティブ世代とは言え、学校教育の現場では、教えられる教員が限定的だったこともあり、コンピュータ室での授業すら貴重だった。

 それでも、意欲的な若手教職員が居たお陰で、「キーボードモンスターズ」と言う既に絶版になっているタイピングゲームを、1年間で特にやることのない水曜日の5〜6時間目は、男子生徒の総意で自由にやらせて貰えたことが、フリック入力が最速と揶揄される世代の中で、タイピングが速い部類につながっているように思える。

 あの頃はゲームに夢中で、ブラインドタッチの習得には至らなかったが、あれほどゲームバランスが絶妙なタイピングゲームを他に知らないため、今になって一からやり直してブラインドタッチを習得したい欲求に駆り立てられるものの、Windows95とハードもソフトも化石なのが悔やまれる。

 また、幼少時代にシムシティを始めとする箱庭ゲーム、経営シミュレーションゲームにハマっていた影響から、大きい政府の福祉国家と、小さい政府で自由と自立を重んじる国家の、それぞれの長短が感覚的に理解できただけでなく、その派生で大まかな税金や企業経営、会計の仕組みを知ったことが、現在の私を形成しているのは間違いない。

 これらは学校で一方的に押し付けられた学習ではなく、自発的にもっと知りたい、上達したいと思う好奇心が刺激されたことで習得しているため、中には大人でも理解しているか怪しい内容も、時に吸収していたりする。学びに年齢は関係ない。

 実際に小学生の時に、役所の税務課の人が来て、税金についての特別授業的な奴で、知っている税金を列挙する際に、同窓生が消費税、酒税、タバコ税、ガソリン税辺りで出尽くしたため、私が住民税、所得税、固定資産税、法人税、事業税…と列挙し始めた時に、大人たちが響めいたのは覚えている。

 その実体験があるからこそ、子どもの知的好奇心を刺激する仕組みを、いかに様々な角度から取り入れられるかが、学校教育では重要だと考える。

 しかし、プログラミングや金融教育にも言えることだが、教員側が内容を熟知していないと、これらを教育現場に取り入れて活用する発想が生まれず、結果として無料ゲームでも、全体の1割に留まってしまう勿体なさを感じずにはいられない。

貧乏神なしは資本主義の残酷さが際立つ。

 さて、私は桃鉄を遊んで育ってはいるものの、鉄道会社の運営の観点でリアリティを追求した結果、A列車で行こうにシフトしてしまったため、地理よりも経営や会計に興味を持ってしまった。

 歴史にifはないが、もし学校で桃鉄で遊べていたら、キーボードモンスターズで、ブラインドタッチは習得できなくとも、タイピングが世間一般よりも高速であるように、地理やランドマークにも、多少は興味を持ったかも知れない。

 そう考えるとデジタル技術が進歩したことで、授業の一環で桃鉄ができる、α世代と言われる学生が羨ましい。

 とは言え、教育版仕様を提供するにあたって、子ども同士のトラブル防止の観点から、ゲームバランスの肝となる貧乏神を登場させていないのねん。妨害カードは残るものの、暫定トッププレイヤーを袋叩きにして、足を引っ張る用途で使うことが大半のため、これも相手を指定できないランダム仕様となっている。

 そのため、基本的には赤、黄、青マスのすごろく要素と、主要駅での物件購入&収益によって資本力が決まるため、富が富を生む資本主義社会の残酷さを、まざまざと感じられるかも知れない仕様となっている。

 スリの銀次は登場するものと思われるため、トップが転落するチャンスがあるとしたらその辺りだろうか。

教育はデジタル技術で再設計できる。

 どんな資本家でも、一度でも騙されたり、盗まれてしまうと、その一発で再起不能になる可能性があるため、人生で一度も詐欺に引っ掛かってはいけないことが学べる意味で、桃鉄は地理・歴史に留まらず金融教育にも派生できそうな題材ではある。

 そもそも、金融教育が家庭科なのが釈然としない。家計の付け方レベルの話なら確かに家庭科なのかも知れない。

 しかし、FP資格の6分野は、ライフプラン(生活設計)、リスク管理(保険)、金融資産運用、タックスプランニング(節税)、不動産、相続と多岐に渡り、これらには経済や金融の知識が切っても切れない以上、まだ社会科の一環として取り組んだ方が適切なように思えるし、そもそも、科目で区切ることに少なからず無理が生じる。

 デジタル機器が乏しい時代は、画一的な教育しか提供できなかったが、現代のデジタル技術をもってすれば、教え方が上手い教員の授業をVOD形式で、各々のペースで自習して、躓いたところを現場の教職員がバックアップする形で済み、教員不足は一瞬で解消されることだろう。

 直ぐに理解出来る子は、年次に囚われず中高や大学レベルの領域まで踏み込んでも良いし、自分の興味のある分野を研究したって良い。子どもを子ども扱いせず、ひとりの人格者としてまず年長者が信頼し、自主性に委ねられる風土が整えば、教育の姿かたちは今とは全く違うものに、リデザインできる気がしてならない。


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