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もっとサステナブルな暮らしを。

休み下手な日本人。

 どこかの鉄道車両に倣い、サイレント引退を目指して粛々と早期退職と地方移住の準備を進め、いよいよ大詰めを迎えている。

 古い友人とコロナ禍振りに会食で再開したのも束の間、シラフではなくなったタイミングで、オフロードを歩むことをカミングアウトして酔いを醒ましては、また会う日がいつになるかも定かではないため、伝えるべきことは一応伝えたことで本気度が伝わり、業界の愚痴に終始することなく、珍しく人生論的な会話をしたように思う。

 旧友は「好きでこの仕事をしている」と言いながらも、最近眠れないやら何やらと、私ではなくカウンセラーに相談すべき内容がチラホラ出ていた。

 そのため、些細な体調不良を我慢し続けた結果、発作で倒れて入院、手術に至った身としては、自分にそう言い聞かせたいだけで身体は悲鳴をあげている。休めるなら休んだ方が良いとは伝えたが、恐らく休まないだろう。

 ここに日本人の休み下手が如実に現れている。若干のステレオタイプが混ざるものの、欧州の人はバカンスのために仕方なく働いている程度で、労働そのものに生きがいを見出そうとする日本人とは温度差がある。

 恐らく根底にあるのは、学校教育で「働かざる者食うべからず」的な、生きるためにはまず労働をしなければならないという、強迫観念が刷り込まれている影響だろう。

 生きるために仕事があるだけで、仕事のために生きてはいけない。会社の言う通りに労働した結果、心身が壊れても会社は何も責任を取らない。自分の身は自分で守る大義名分があるのだから、内心ヤバいと感じたら仮病を使ってでも休むべきだと言うのが自論である。

 私は頭痛、腰痛、倦怠感、食欲不振、吐き気、腹痛、肩こり、不眠などの、ひとつひとつなら我慢できそうな範疇の、原因不明な体調不調に数年悩まされたものの、年2回の健康診断でも、具合が悪くなり罹った病院でも、根本の原因が判明することはなく、末期症状で倒れて初めて原因が分かった。

 しかし倒れる少し前から、仕事どころではないことを察して、内科で異常が見当たらないのなら仕方がないと、カウンセリングでありのままを話したところ診断書を発行して貰い、どうにか休みに漕ぎ着けた。

 それにより、鉄道乗務員が乗務中に発作で倒れる、最悪の事態を未然に防ぐことができたが、入院中にもっと早い段階で、仮病を使ってでも休みを取って早期発見できていれば、ここまで酷い有様にはならなかったのではないかと後悔した。

 滅私奉公にも似た、社会の持続可能性を高めるような生き方は、個人にとって物凄い負荷が掛かるものであることは、平日朝の通勤電車に乗る人の表情を見ても明らかだろう。私の二の舞にならないためにも、仮病を使ってでも休む勇気を持って欲しい。

もっと自由に暮らしをデザインして良い。

 日本国憲法には生存権に、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が明記されており、心身を壊してまで無理して働かなくても、生活保護を行使すれば当面の生活に困ることはない。

 権利と義務は対の関係にあるため「教育を受けさせる義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」が明記されているものの、今の日本社会の就業者は6,000万人台と全体の半分ちょっとに過ぎず、逆に1/3は年金生活や生活保護などの不労者が占めており、よくよく考えてみると、超高齢化社会の実情にはそぐわない、変な義務でもある。

 以前にも記したが、憲法に明記されている国民の三大義務には順序があって、国としては納税して貰いたい(納税の義務)から、税収が安定するサラリーマン(勤労の義務)を自発的に選んで貰えるよう、9年間の義務教育によって仕向けている(教育を受けさせる義務)に過ぎない。

 極端な話、きちんと納税さえしてくれれば、勤労や教育に関しては義務というより、道徳的な規範に過ぎないものだと勝手ながら解釈して、これからお金には困っていないが故に、働かない道を歩む自分自身を正当化している。

 社会不適合者が労働を美徳とする、プロテスタント的思想が蔓延るような、この社会に適合しようと努めたところで、どこかしらに無理が生じるのは明白で、私のようにいつか壊れる人もいれば、定年までうまいこと逃げ切れる人もいるのだろう。

 後者ほどの器用さを持ち合わせている人が、果たして不適合者なのか。人間社会で生き抜く器用さを持ち合わせていないから、不適合者なのではないかと、そもそも論が脳裏によぎったが、長くなるので割愛する。

 大多数の前者の場合、無理して適合し続けた結果、社会に生み出された付加価値の総量と、壊れてしまったことによる社会的損失の総量を天秤に掛けると、プラマイゼロか、むしろマイナス面が大きいような気がしてならない。

 それならば社会は最初から不適合者に期待や矯正などせず、潔く俗世と距離を置き、生活保護などで生活不安がない状態で、マイペースに創作などの好きなことに打ち込んで貰う。

 それにより一部で、ハリーポッターのようなヒット作が生み出され、圧倒的な付加価値が社会に還元される。その方がトータルで考えると、抽象的ではあるが社畜として壊れるまで搾取され続けるよりも、プラスになるような気がしてならない。

 自分の心身や体調のことは、自分が一番よく分かっているのだから、社会システムの枠組みの中から、好きで選んだ道だと思い込むよりも、見栄や世間体、同調圧力に臆することなく、自分にとって最も持続可能だと思う暮らし方を、日本人はもっと自由にデザインした方が、社会にとっても良いのではないかと感じる今日この頃である。


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