panda_105:教材研究は仕事か?
さて、今回は「教材研究」について考えてみます。教職の世界における独特の用語かと思いますが、何となく意味は伝わるでしょうか。わかりにくい場合は、「授業づくり」と置き換えてもほぼ同義かと思います。
私は、教科の試験を通過して採用されている高校教師にとって「教材研究」は最大にして、最重要の仕事であると捉えています。特に、社会科は「教材研究」は命だと思っていますし、大学や大学院でもそう教えられ、先生方や学生同士で白熱した議論をしてきました。
ところが、そんな「教材研究」を仕事とすることに難色を示す管理職が存在するのです(シンジラレナイ!!)。「直接授業に反映されない教材研究は、(勤務日や勤務時間ではなく)休みの日にやれ」と言い出す始末。録音しておけば良かったと悔やんでいます。
はっきり言って、学んだことをそのまま授業に活用できるケースのほうが少ないと思います。じゃあその学びは教師にとって無駄なのか!?子どもたちに還元できないのか!?そんなことはありません。長期的に考えて、日々学んだことは教員にとっての肥やしになっていき、確実に授業の質の向上に繋がります。
小学校の授業の例を考えてみるとわかりやすいかと思います。例えば、小学生に「第一次世界大戦」の授業をする際に、小学校の社会科の教科書に記載されている知識以上のことを知らない教師が授業をすることはさすがにないでしょう。かといって、教師が学んだ知識の全てを授業でアウトプットするかといえばそうではないと思います。
「知らないから教えられない。よって結果的に教えていない」のと「知っているけどそこまで教えると児童の発達段階に沿わないし、授業の目的がブレる。よって結果的に教えていない」。
両者は、「教えない」という結末部分は同じであっても、授業の質には雲泥の差があることでしょう。
児童や生徒、子どもたちをナメてはいけません。日々、学んでいる教師とそうでない教師の見極めくらいはつきます。ごまかせません。基本的に、学んでいる教師の指導は素直に聞いてくれるでしょう。逆に学んでいない教師からあーだこーだと言われたら反発したくもなるものではないでしょうか。
「すぐに役に立つもの」しか認めない姿勢が何を招くのか想像もできないのだろうか。情けない。
強い憤りを感じたので記しておきます。