panda_66:無理なものは無理…なのか!?
この前、休暇を取って、とある方とランチをしたときに「私は36歳のときに親友ができたんだよ!大丈夫だよ!キミはまだまだ若いんだからこれから(後略)」と励ましをいただいた。
私が相当ネガティブで、悩んでいる様子だったみたいで、ご自身の経験談を語ってくださった。
友達は何歳になってもできるそう。取り急ぎ大事なのは、笑顔でいること、話しかけやすい雰囲気を作っておくこと。そのあたりか。
友達を作るなんて簡単だ、困っている人を助ければいいと宮台真司先生は言っていた。ただし現代は、困っている人とそうでない人の見分けがつきにくい社会ではあるという留保付きで。
たぶん私は「孤独」ではないとは思うが、「孤独感」は人一倍強く感じている。学生時代(小中学校+大学&大学院)からの友達とはどんどん疎遠になるし、元来の性格の悪さもあって新しい人間関係には全く拡がりが見えない。
そう言えばちょっと前にあった、高校時代のプチクラス会の誘いは「自称成功者マウントを取ってくるヤツと接したくない」「わざわざメンタルを破壊しに行きたくない」という理由で力強く欠席した。
私にとって、高校時代の人間関係は無かったことにしたいくらい馬鹿馬鹿しく、虚しいものである。そんな人間が今、なぜか高校教師をしているのか、という不思議さは笑える。
さて、毎年のことになるが、年末年始は特に孤独感が強くなる。だから、私はクリスマスからお正月、三が日あたりの期間が大嫌いだ。誰もが浮かれて楽しく過ごす期間に、自分は悶々としながらひたすら黙って時が過ぎるのを待つ。お金を使う趣味も無いしね。こんな惨めで不幸なことはない。願わくば、ずっと仕事でもさせてほしい(そして平時に振休をよこせ)。
「どうして自分は毎年こんなに誰の視界にも入らないのだろう?新年の挨拶ってやらないの?グループLINEで済ませる程度なの?」
「どうして皆がのんびりと幸せな家族の時間を過ごしているときに自分は独りなんだろう?真の負け組は自分のような人間なんじゃないか?」
酷いときには○にたい気持ちにもなったことだってある。でも、そんなことは誰も知らない。そんなことには思いも馳せない。
孤独は人を○すこともある。そんなことは多くの人が知らない。
せっかく有り難い励ましをいただいたのだから、今年こそ心穏やかに過ごしたい。そして、人とのあたたかい繫がりを構築したい。もうメンタルが破壊される年末年始は過ごしたくないよ。
…今さらながら、noteへの投稿を通して、数少ない友達、後輩や未来の生徒たちにカッコいい生き様を見せられたら…と思っていましたが、やはり自分には不可能なようです。
残念ながら、等身大の、哀れで情けない、反面教師にしかなり得ない様を晒すしか貢献する道が無いように感じます。
「絶対にこうはなりたくない」
そんな生きた教材にしてもらうくらいしか自分の社会的な存在価値はありません。
自分の居ないところでカッコいいなと囁かれる、ひそかに憧れられる、そんな人生を歩んでみたかった…。
「モテる」とか「人気」とか「人望」とか「信頼」とか、そういうものを肌で感じる人生を送りたかった…。その真逆は腐る程味わってるぜ。
毎日毎日、悔しくて悔しくて、メンタルが崩壊しそうなのに何とか働いている、何とか生きている。そこだけは褒めてあげてもいいのかもしれませんね。