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【読書感想文】私が思う「強さ」があった。くどうれいん『虎のたましい人魚の涙』読了記録

こんにちは。藤村玲乃です。
最近読んだ本の話をします。

好きなエッセイの話

僕はずっと、強い女性のエッセイが好き。ここでいう強いというのは、「たくましい」とか「困難を気にせず突き進んでいく」という意味ではない。もっというと、「男性と同じ場所で戦っている」であったり、「その場所で負けない」ということでもない。

一番最初に好きになった「強い女性のエッセイ」は柚木麻子さんの『とりあえずお湯わかせ』。

女性が女性のまま健やかに生きていくために、今の私たちはどうやって生きていこうか、と考えるきっかけになったエッセイたち。

そこから私は「強い女性のエッセイ」を探し続けている。

白浜の海の中に、人魚の涙


10月の末日、祖母と母親と白浜へ旅行へ行った。

私は、旅先でそこにしかない本屋さんに行くのが好きで、旅行の計画をするたびに「○○ 本屋」とかを検索し続けている。

白浜には1店舗しか本屋さんがなかった。
それが、「ivory books」さん。

本当に隠れ家みたいな場所に、自分だけの書庫があるような本屋さん。自分のためだけにあるんじゃないかと錯覚するぐらい選書も空間も居心地の良い場所だった。(旅先で素敵な本屋さんにであうたびに「近くにあればなあ」と思ってしまう。)

たくさんの本に目移りしながら最終的に1冊選んだのが『虎のたましい人魚の涙』だった。

くどうれいん 虎のたましい人魚の涙


くどうれいんさんに「強い女性」という言葉を当てていいのかわからないけれど、それでも私が思う「強い女性のエッセイ」だった。

このエッセイのなかでは、営業職として働きながらエッセイを書いているところから退職するまでを書いている。全体的に一番強く感じたのは、「働きながら執筆しているの凄……。」という気持ち。自分が社会人になったからこそ強く感じることができたのかもしれない。

その体力というか継続する力を「羨ましいな」と思いながら、「恨めしいな」と思っている。残念ながら私には現状、それがないので。

と同時に、このエッセイを読みながらくどうれいんさんからずっと「強さ」を感じていた。私は「諦めないこと」であったり、「信念・努力」のことを「強さ」と呼んでいるのかもしれない。

エッセイごとに好きだったものを記録していく。

虎のたましい人魚の涙

「九千万年です。」から始まる接客受けた過ぎる。なんだそれ。どこで受けられるんだそれ。その店員さん会いたい。

「虎のたましい」と「人魚の涙」はこのとき店員さんから教えてもらった琥珀の別名から。人魚の涙はほかの鉱石の別名としても使われていそうだけれど、虎のたましいは琥珀のためのものだよな、と思った。

始業時間も迫る中、コンビニのATMに駆け込んでお店に引き返して購入するぐらいの「ものに対する衝動」をすごく羨ましく思った。自分が今まで体感したことない感情。ものへの執着がほとんどなく生きてきたので、純粋に「いいな」と思ったしまった。

耳朶の紫式部

「紫式部って知ってますか」
あのぷちぷちっとした紫色の実が付く植物でしょう。と答えると、すいちゃんは聞いてきたくせに「良く知ってますね」と言った。

虎のたましい人魚の涙           
耳朶の紫式部

そうはならんやろ。

いや、なってるやろがい。紫式部といえば、あの『源氏物語』の人じゃない??実の方が岩手県(くどうさんの出身地)で有名なのか、と思ったけれど日本全国で分布している植物らしい。

こういう独自の背景とか言語を持っている2人、最近見たな。
職場の先輩に、仲の良い2人組がいる。その2人がまさに「2人だけに伝わる意味」で言葉を使っていることがあった。そして多分、その2人にその自覚はなさそうだった。

くどうさんもきっとそうなのかもしれない。
私もそういう友人関係羨ましいなと一瞬思ったけれど、傍から見ればすでにそうなっているのかもしれない。私の職場にいる2人のように。

くどうさんとその友人(すいちゃん)のプレゼントの話も大好き。
「強くなりたいときのために」といって、資生堂の赤い口紅を渡したり、「愛は大きいほうがいいですから」といって、顔よりも大きなハート形の棒付キャンディーをくれたりする。そんなことをお互いにしている。

プレゼントを贈ることに抵抗がない関係って素敵だな。私はいつも「重くないかな」と考えて、あげることをやめてしまう。こんなにも、与えることが好きなのに。

うどんオーケストラ

わたしはまだなりたい姿になっていない。わたしは作家になりたいんじゃない。うどんの看板みたいに単純で、このオーケストラみたいに壮大な人間になりたい。なりたいから、これからなろうと思う。

虎のたましい人魚の涙
うどんオーケストラ

「なりたいから、これからなろうと思う。」、これが「強さ」じゃないのかなと。これからなるために自分は動いていくことを信じているところが「強い」なと感じた。すごい好きな文章になった。

ありがとうございますさようなら

くどうれいんさんが退職したときのエッセイ。

兼業ができる体力とか、継続できる力を羨ましいなと思っていたけれど、そうではなかったらしい。「マリオのスター状態であったと思おう」という文章からそれがどれだけすごいことだったかを垣間見ることができる。

「仕事」か「執筆」か「健康な人生」。どれかを手放さなければならない、となったとき、「執筆」を選びつつも、「わたしは働くのが大好きなんです」と言い切れることに驚いた。

自分は仕事をやめたいから、そんなに好きなものに囲まれていること、そして幸せな決断ができること、に驚いて羨ましく思った。自分もそうなりたい。

おわりに

「強い女性のエッセイ」の強いがなにかというのを考えるきっかけになった。と同時に、私が「なにになりたいのか」とか、「なにを理想にしている」のかを考えるためのエッセイになったなと思う。

「強い女性のエッセイ」というか、「かっこいい女性のエッセイ」とか「私が憧れる女性のエッセイ」という方がいいかもしれない。そっちのほうが合っている。

これからも自分のためにエッセイを読みたい、と強く思う。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。


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