「投資」という言葉を聞いて、最初に連想するものは何ですか?
5年前の冬。 #カンブリア宮殿 の記憶が残っていました。
放送の内容はボヤけていますが、 #伍魚福 さんのお名前はちゃんと記憶していました。
最近、この伍魚福さんの社長、山中勧さんのnoteに出会いました。
昨日公開された、山中さんの記事です。
「仕事」とは何か、という問いに対して、山中さんのお考えが示されています。
私は、仕事の定義を
「自分自身が人生の経営者であり、その経営計画を立案し、実行していくこと、そして、今まで生かされてきた事に感謝し、自分にできる事で社会に恩返しをすること」
としています。
この定義に頷きながら、考えたことです。
「経営計画を立案し、実行していくこと」の多くは、「投資」と関連づけることができるのでは無いか、と。経営計画立案、というのは、優先順位をつけること、そして、それに従って自分の持つ資源(お金や時間、想いや意識、スキルとか)をどれだけ投じるかを判断し、決めていくこと、だと思うのです。決断したら、その資源をそこに割り当てる、投じる。
思い出したのが、農林中金バリューインベストメンツ #NVIC 奥野一成さんのこの講義録でした。
どこにどれだけ、自分の持つ時間を投じるのか決めるのは「投資」なんだぞ!、って高校生に説かれています。
山中さんの上記の記事をツイートでシェアしたところ、
すると、このツイートに山中さんからコメントを頂きました。
「人生自体がギャンブルのようなもの」というのは、私もそう思っています。将来は分からないですから、絶対確実なんてことは無い、そう思っています。ただ、自分の資源をどう割り当てるか、どこに投じるか、を、調査して、分析して、仮説を立てて、判断する(事の大きさによっては「決断」と呼ぶ場面もあるでしょうね)、ってスゴく大事なことだと思いますし、こうしたプロセスを経ているか。これが「投資」と「ギャンブル」を分けるのではないか、と、不確実な未来に結果を委ねるという点では同じであったとしても。
ただ、日々の暮しで毎日、毎日、至る所で、「この判断が投資なんだぞ」、ということを意識してしまうのもしんどいと思います。「ここが投資判断すべきところだ!」「これは分かれ道だぞ!」という場面がどこか、というのは優先順位でしょうから、そういう意味で、ざっくりとした「経営計画」を自分自身の中に持つことが大事なのでしょうね。どんな状況、どんな場面で、しっかりとした調査、分析に時間を投じるか、これも「投資」ということになりますね。
そう考えると、仕事、言い換えると「はたらく」と、「投資」というのは非常に似ているということにあらためて気づかされます。
山中さんの記事には「恩返し」という言葉も。そしたら、昨日こんなツイートに出会いました。
このツイートと出会って、反射的にツイートしてしまったのがこちらです。
「恩返し」しなきゃいけないな、と感じているものはたくさんあるのですが、その一つが「投資信託」です。
「投資信託」への恩返し。私にとって、それは、投資信託がポジティブなモノとして多くの人に長く愛される存在になってもらえるように行動すること、です。で、真っ先に取り組むべきだと感じているのが、「投資」「株式投資」のイメージの転換です。「お金が増えた、減った」という面ばかりがフォーカスされている限りは、イメージの転換なんて起きないなあ、って思います。
上でご紹介した奥野一成さんは『ビジネスエリートになるための教養としての投資』でこんな風に説かれています。
時間と少しばかりのお金(注:タイポで「おかん」と書いてました汗)を有効に配分して、自分という道具を磨き、自分よりも優秀な他人を働かせる。これが投資です。
「働かせる」というと、ちょっと上から、な感じですね。自分よりも優秀な、というか、自分にはできないこと、社会に価値をもたらすことのできる他人に働いてもらう、そうして創り出された価値を分け合う。これが「投資」を通じて可能になる。
やっぱり、ここでも「働く」が出てきます。「働く」と「投資」との密接な関係が、もっと意識されるようになると、イメージの転換が起こる、、、そんな妄想が膨みます。
「投資」と聞くと最初に連想されるのが「仕事」や「働く」。最初はちょっと無理ですね、やっぱり「お金」が最初でしょう。でも、「投資」と聞いた人が、「お金」と一緒に「仕事」「働く」が連想する。そういう人が一人でも増えたら、そうなれば、私の恩返しは一歩前進するんだ、っていうのが今日のまとめとなります。