満足感投資と納得感投資。その決定的な違い。
つまりその「納得感」を得るために、自己の時間とお金を使いたいという若いひとが今ドンドン増えているのかなあと。
鳥井弘文さんのブログです。
近年、事業(プロジェクト)の川上から携わることができる商品が流行り始めています。
従来なら、企業やブランドに丸投げしかったようなこと(生産背景や製造工程)に対して、わざわざ自分の身銭と時間を費やして、あえて川上から携わりたがる消費者が増えている。
消費はお金の使い方の一つのかたち。その範囲をひろーくすれば「投資」とも言えると思います。「納得感消費」があるのであれば「納得感投資」「納得感株式投資」もあると思うのです。
ふと、思い出しました。
成果(リザルト)を最初に定義してそこから逆算するやり方であるという点で「リザルトパラダイム」と表現されることもある。
成果(リザルト)を先に定義せず、その過程に注力するという点で、「プロセスパラダイム」とも表現される。
影山知明さんの 「続・ゆっくり、いそげ」の”まえがき” からです。
「リザルトパラダイム」の象徴として示されているのが「自動車」、「プロセスパラダイム」の象徴は「植物」です。
自動車を作るようにではなく、植物が育つように社会をつくるやり方を主としてやってみたらどうだろう。その始まるとなる問いを、「お金を増やすには」でも、「国力を高めるためには」でもなく、「一人一人が大切にされる社会をつくるには」にしてみてはどうだろう。
こんな提案がされています。
必ずしも二項対立、白か黒か、オールオアナッシング、二者択一である必要は無くて、リザルト(満足感)に重きを置くのか、プロセス(納得感)に重きを置くのか、というのが実際的だと感じます。
一方で、この2つの混ぜ方、というか、関係の仕方次第で残念な状況が生まれることも懸念されます。
納得感投資(納得感株式投資)
納得感投資(納得感株式投資)の潮流の一つが #責任投資 だと考えています。
私たち機関投資家には、受益者のために長期的視点に立ち最大限の利益を最大限追求する義務があります。この受託者の役割において、(ある程度の会社間、業種間、地域間、資産 クラス間、そして時代毎の違いはあるものの) 環境、社会、 企業ガバナンス(ESG)課題が投資ポートフォリオのパフォー マンスに影響する可能性があると考えます。また、これら6つ の原則を適用することにより、投資家がより広範な社会の目的を達成できるであろうことも認識しています。
https://www.unpri.org/download?ac=10971
責任投資原則 という文書からです。
事業活動が環境(地球)や社会に与えるインパクト、あるいは、環境や社会から受けるインパクト、そうした相互作用を十分に考慮して「長期的な視点」で最大の価値を生み出すように、また、それを可能にするのはどのような企業統治なのか、を十分に検討して、資本の配分を決める、これが「責任投資」だと理解しています。株式投資等の判断の過程で、環境、社会に対して投資家が責任を果たす、僕の理解では「プロセス」に重きを置いている概念だと感じます。
今、毎日のように目にする「ESG(投資)」は、上記の文書に登場した”ESG”から取られたものと推測されます。横文字が好きな日本社会ということもあるのでしょうけれど、この概念で最も大事なのは「責任」だと思うんですよね。「責任」という言葉の存在が著しく希薄になったせいで、リザルト(満足感)パラダイムが悪さをしているようにも思われます。
”ESG投資ってホントに儲かるの?” という問いかけです。金融機関の方もその問いかけに「儲かりそうなんです」的な答えを用意しようとしている傾向があるように感じます。「儲かるの?」と問われたら、その前に、この原則に則った投資がなぜ必要なのか、を説明するべきなのだと思います。もう一つ大事なことは、責任投資を通じて得られるであろう投資の成果は、お金を託す投資家もその過程にコミットすることが不可欠だということでしょう。そしてこれは「長期的な視点」が前提の概念です。「儲かるの?」「ええ、儲かりそうです」という問答がナンセンスだと思います。
この概念を適切に投資家に理解してもらうためには、プロセス(納得感)が必須です。どのように投資先候補を探し出して、どのように選別するか、なぜその会社を投資先に選んだのか。そこで終わりではありません。投資先をどのようにモニターするのか、その過程でどんなコミュニケーション、対話を持って投資先との価値創出等に挑戦しているのか、それを示すことです。こうしたプロセスの積み重ねを知ることで投資家は納得感を少しずつ高めていく。これが納得感投資(納得感株式投資)です。
納得感投資を感じさせる、投信会社の発信の一例です。
満足感投資 と 納得感投資。その最大の違い。
満足感投資はリザルトパラダイム。つまり、そこには目標とするゴールがあります。そのゴールを見据えてそこまであとどのくらいか、どれくらいか、がいつも気になってしまいます。ショートカットできる道が見えるとそれが気になって仕方ない、ということもあるでしょう。その道を選ぶかどうかは「早く着けるか」その一点。そして、ゴールに到達。そこで最高の「満足」が待っている(はず)。
納得感投資はプロセスパラダイム。目標はあってもそれは漠然としたものでしょう。マイルストンのようなもの。そのマイルストンに着いた時、これまでの道程を振り返って「思えば遠くに来たもんだ」と感じ、さらにまた歩を進める。ショートカットできる道が目に入った際に「その道を選んで納得できるだろうか」と考えることになって、納得できると確信すればその道にチャレンジすることもあるかもしれません。でも、ゴールはありません。大事なことは、日々の過程が納得できるものかどうか。
満足感投資とは、ゴール(終着駅)を目指すもの。
納得感投資とは、どこまでもいつまでも、人生と一緒にあるもの。
”続・ゆっくり、いそげ” にはこんなことも書かれていました。
目的は、疑問詞でいうなら why に対応するもので、その取り組みの存在理由や意義に関するもの。一方、目標は how much に対応し、ある取り組みの進捗を測る際の目安。
満足感(リザルト)は how much を、納得感(プロセス)は why を、ということになろうか、と思います。
どちらが好きか、どちらに重きを置くか、という問題で、満足感、納得感、いずれが正しいというものでもないと思います。ただ、株式投資の界隈は、現在までのところ、過度に「満足感投資」に支配されているように感じます。
冒頭ご紹介の鳥井弘文さんによれば、消費に「納得感消費」の潮流が来ている、特に若い人たちに。であれば、株式投資、資産運用にも「納得感」の潮流は起きてくるはず。そこで昔ながらの満足感(リザルト)を前提にした訴求しても、伝わることは無いのだろう、と感じます。
僕自身は、人生を通じて、死ぬまで株式投資家でありたいと考えています。ですから「納得感」を特に強く重視しています。
ここ最近は、投資の幅を少しですが広げています。
当然、「納得感」を大切にしています。
納得感投資の今後
金融業界が納得感(プロセス)の大切さを認知して適切な訴求が出来たとしましょう(本当にできるかは疑わしいと思っていますが)。多分、それでも納得感投資が主流になるかというと、そうならないでしょう。依然として満足感投資が主流であり続けると想像しています。ただ、納得感投資が少数ではなく、そこそこの数、数え方によっては多数となってくることで、色々と変わってくるのではないか、と思っています。
僕自身は、なんで株式投資、投資、寄付をしているのだろう、ということを日々考えつつ、深い納得、時にはkneepon! を届けてくれる伴走者とプロセスをたっぷりと味わいたい。そう思っています。