「ある対象の良いところを探す能力」と「上手に褒める能力」を磨く場としての #note

同じようなことを何度も書いているんですけど、ずっとそんな風に考えているのなら何度書いたって良いと思うんです。

最初のつぶやきのきっかけになったのは、この2つのノートです。

瑞季 マイさんのノートからは「ヤオコー」に対する、まつしまようこさんのノートからは「オオゼキ」に対する、「スキ」、「愛」がたっぷり感じられたのです。どこが「スキ」なのか、を読んで「なるほどなあ」と感じたり、「そうなんや!」と関心を持ったり。(ちなみに、自宅近くに「オオゼキ」があるので何度も買い物したことがありますが、「ヤオコー」は未訪です)

こうしたノートと出逢う毎に強く感じるのは、

「ある対象の良いところを探す能力」

の大切さです。そして、それを理解してもらえる、伝えようとしてみる表現力も。その表現力は「上手に褒める能力」と言い換えることもできそうです。

ただ、世の中は逆に「ある対象のダメなところを探し出す」「ダメ出しする」のようなことの方が、遥かに大きな注目を集めてしまうような感覚を持っています。巧みな「ダメ出し」はSNSで一気に拡散されて、まるで最初にそのダメ出しをした人が「やるじゃん!」と称賛されているみたいになったりで、、、私自身、そういう「ダメ出し」の方に意識が傾いている時期があったので、そういう現状に「おかしいやん!」と訴える資格は無いのかな、とも思ってしまいます。ただ、この違和感を自覚するようになってからは「ダメ出しする対象は、自分に関わりのあるもの、スキなものになるべく限定しよう」という風に考えるようになりました。どこまで徹底できているかはあまり自信が無いのですけれど。

「ある対象の良いところを探す能力」って、何か、誰かを「スキ」になるためにはとても大事ですよね。必須と言えるかもしれません。もちろん「なんか分からんけど、スキやねん」というのもあるわけですが、その場合だってどこかに「良いところ」を感じ取っているはずで、それが上手く抽出、析出できないだけなんだと思います。

そして、自分が「良い!」と感じた部分を的確に伝える、上手に褒める。これにより「スキ」が他の誰かに伝播したり、「おお!私もそれを見つけてたよ!」という共感を生んだりするんだと思います。そこから「コミュニティ」のようなものが出来てきて、さらにはそこから何か明確な目標を持つ「チーム」が生まれたり、、、そういう力や可能性を note はたくさん秘めているんじゃないか、って最近、ようやく分かったような気がします。

「ある対象の良いところを探す能力」って、何かを選び出す、判断する際に非常に重要です。たとえば、株式投資。投資家からお金を託されるファンドマネジャーであれば、その能力に加えて、同じように、見つけ出した良いところを分かり易く表現する、伝える能力が不可欠だと思います。こうしたことを理解して実践するファンドマネジャーが増えてくれると嬉しいですね。と、少し株式投資にも絡めてみました笑

「人を褒める」というのは「ある対象の良いところを探す能力」と密接に関係する。「ある対象の良いところを探す能力」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「ある対象の悪いところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。

梅田望夫さんのこの記事は何度も読み返しているのですが、noteの根底にはこの考え方があるような感覚を抱いています。

私個人で言えば「ある対象の良いところを探す能力」も、「上手に褒める能力」も、もっともっと磨きたいな、と思っていますが、noteでノートをつくったり、他のクリエイターさんのノートに触れたりすることで、少しずつそれが進むような気がしています。その能力を少しずつ磨くことで、新しい「何か」を生み出せるのでは、とも。

とりとめのない雑感ですが、書き残しておきたいと感じたことなのでノートをつくってみました。

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