「はかる」と「はかられる」のアンバランス
拙文「はからずもはかられる、はからずにはかる」の続きです。
はからずも、彼らは諮りもしないで、私たちを分類し区分けして、量ったり、測ったり、計ったりして、その結果を文字や数字に置き換え、何かに備える、あるいは何かを企て謀る――。
今回は、そんな話をします。
*はかる、はかられる
はからずも、はかられる
はからずに、はかる
「はかられる」のは多数で、「はかる」のはたった一人か少数なのに気づきます。アンバランスなのです。
balance は、二枚の天秤皿から来ているようです。
上の太文字のフレーズに、「計る、測る、量る、図る、謀る、諮る」を当てはめてみると「はかる」と「はかられる」のアンバランスが実感できます。
ご自分が、計られる、測られる、量られる、図られる、謀られる、諮られるさまを想像してみてください。目に浮かべてみてください。
「はかる」と「はかられる」は多くの場合、集団としての行為の一部として行われるのではないでしょうか? 社会的行為の一環とも言えます。
「はかる」側と「はかられる」側があるという意味です。そして、そこには何らかの思惑があるはずです。
私たちは「はかられる」側 < あの人たちは「はかる」側
そんなふうに考えると、なんだかぞっとするし、怒りもこみ上げてきます。もちろん、「はかられる」ことで有り難いこともあるはずですけど。特に、医療の場では。
被害妄想とか杞憂なのかもしれません。最近、そんなふうに感じることが多くなってきたのは事実です。
年のせいかもしれません、この時代だからかもしれません。私にはわかりません。
*わかる、わけられる
*
上の図式的なまとめは、このところ記事を書くさいにつかっている自家製のものです。
まとめを見ていると、アンバランスが生じているのは「はかる」と「はかられる」だけではない気がしてきます。「わける」と「わけられる」もそうではないでしょうか。
はからずも、わけられる
はからずに、わける
これもよくあります。恐いし、腹立たしいし、悲しい場合もあります。「わける」は残酷なのです。されるほうは痛いのです。
私たちは「わけられる」側 < あの人やあの人たちは「わける」側
「はかる」と「わける」は一方的な行為で、されるほうは突っ立っているしかない感じがします。
ある個人やある集団が「する」側にあり、「される」のは多数なのです。
*
作文してみましょう。
はからずも、彼らは諮りもしないで、私たちを分類し区分けして、量ったり、測ったり、計ったりして、その結果を文字や数字に置き換え、何かに備える、あるいは何かを企て謀る。
私たちから見れば、「わけられた」後に「はかられた」結果である、私たちのデータ、私たちに関するデータが、一部の人たちによって「あつめられて」いる、というわけです。
アンバランスが起きています。チェック・アンド・バランス(checks and balances)という言葉がありますが、チェックする、つまり抑える必要がありそうです。
三権間のチェックではなく、権力に権利をゆだねている私たちが三権をチェックする必要があります。この記事で言うアンバランスとは、そういう意味です。
(なお、三権間のチェック・アンド・バランスが、法に則った形で、つまり合法的に無効にされて機能していない状況は世界各地に見られますが、由々しき問題です。)
*おさめる、おさめられる
はからずも、はかられる
はからずに、はかる
はからずも、わけられる
はからずに、わける
どうしてそうなっているのでしょう?
一つには、任せている、委ねている、委任しているからでしょう。誰がって「私たち」が「彼らに」です。
代理や代表のことです。
その代理と代表に「治める」権利を与えているとも言えます。権力に権利を与えている、正確には与え続けるのです。それが「委ねる」です。
この「治める」権利とは、人びとを「わけて、はかる」権利と言い換えることができます。分類し、数値化しないで統治ができるでしょうか?
大切なのは、代理や代表は言葉の定義からしても一人か少数であり、「治める」権利を与える側、つまり「治められる」側は多数だということです。
*
おさめる、収める、納める、修める、治める
おさめているのに
おさめられているだけでは
おさまりがつかない
納税者がいつのまにか、ずっと納めるだけの、そしてずっと治められるだけの存在になってしまっている。これでは収まりがつかないではありませんか。
この「ただおさめているだけ=ただおさめられているだけ」問題は、政治、つまり統治だけでなく、あらゆる人間関係や契約関係で起こりうるものだと私は思います。
*
代理がいつのまにか代理ではなくなっている。こうした本末転倒は、古今東西を問わず、見られます。腐るのです。
ジョン・アクトンの言うとおりです。
*くさる、腐る、鏈る
くさる、腐る
くさる、鏈る
気になって辞書(広辞苑)を引いてみたのですが(私の趣味は辞書を読んだり見たりすることです)、なかなか興味深い語義がありました。
くさると、くさる
例文:代表がくさると選んだ人たちがくさる。
*
次の「くさる」は初めて見ました。恥ずかしながら、漢字は書いたこともありません。
数珠(じゅず)つなぎのイメージでしょうか。
くさってくさると、くさってくさる
上がつながりあってくさると、下もつながりあってくさることになる――。
権力が数珠つなぎに腐敗すると、民もふて腐れて数珠つなぎに滅入りうなだれるということです。連鎖反応(チェーンリアクション)というより、シンクロナイゼーションに近い気がします。
みんなでくされば恐くない。くされ、くされ。
今のは、もちろん冗談ですが、例の「腐れ縁」というのは、この「くさる・鏈る」なのではないかと思って調べてみると、次のような説明がありました。
この語義を読んでいて、うーむと唸ってしまいました。長期政権、一党支配、党派、多選、居座り、居直り、世襲という一連の言葉が頭に浮んだからです。
ちなみに、「腐れ縁」は「腐り縁」とも言うそうです。
くされえん、腐れ縁、くさりえん、鏈り縁、腐り縁、鎖縁
気になって調べてみると、「くさり【鎖・鏁・鏈】」(広辞苑)とあって、思わず、あっと声を上げてしまいました。
連なる鎖がつながったからです。文字どおりの「連鎖」じゃありませんか。こういう冗談みたいなことが、辞書を読んでいるとよくあります。
*自分で「はかる」
代理がいつのまにか代理ではなくなっている――。
これが、「はかられる」と「はかる」、「わけられる」と「わける」、「おさめられる」と「おさめる」のアンバランスが起きる根っこにあると私は思います。
これでは、あまりにも一面的です。「はかり」に外部委託するだけの「はかる」があるのではありません。
人には一人ひとりが自分で「はかる」能力がある、と私は信じています。
自分で、はかって選ぶのです。
*えらぶ、えらばれる
はかりましょう。
ほら、「えらぶ」と「えらばれる」にも途方もないアンバランスがあるじゃないですか。
多数による「選ぶ」と、少数の「選ばれる」のことです。
ふてくされて、くさってなんかいられません。もっとくさりますよ。ただくさっているだけでは、くさった人たちの思う壺(はかりごとの成功)です。
こっちも、はからないと、はからずに、はかられる、というか、はかられ続けることになりかねません。はからずも。
*
「はかる・計る、測る、量る、図る、謀る、諮る」を、ぜひ辞書で調べてみてください。
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